HOW TO 選手起用


 コーチ間で悪名高き息子チームを引き受け、 西も東も分からぬまま途方に暮れていたとき、 ある先輩コーチが救いの手を差し伸べてくれました。 この方のことについては別途ご紹介するとして、 おそらくその出会いがなかったら今の小生はないでしょう。 人生には特別な出会いというものが幾度か訪れるものです。 その出会いを上手くキャッチできるかどうか、 サッカー風に言うなら上手くボールコントロールできるかですね。 そのためにも、良い体の向き、広い視野、そしてリラックスが大切。 リラックスという言葉が変なら、自然体とでもしておきましょうか。

 その方から教わったことは多岐にわたりますが、 子どもたちがサッカーをするのだということ、 なぜサッカー?・・・ならば、どうサッカー? という視点だけは一貫していました。 これからご紹介する荻生徂徠の「政談」という書物からの抜粋は、 選手の起用法を考えるのにいいですよと教わったもの。 一読してバチッと目が覚めるような思いがしました。 これが300年も昔の言葉であることを考えると、 サッカーが如何に普遍的なものに触れているか、 改めて考えさせられます。

デルピエ〜ロ



荻生徂徠「政談」より

  1. 人の長所を初めより知らんと求むべからず。
     人を用いて初めて長所の現るるものなり。
    
  2. 人はその長所のみを取らば即ち可なり。
     短所を知るを要せず。
    
  3. 然れば人を知るというは、とかく使い見て知る事也。
     さなくては我が目がねにて人を見んとせば、
     畢竟(ひっきょう)我が物ずきに合いたる人を、器量ありと思う事也。
     これ愚かなる事の至極なり。
    
  4. 小過をとがむる要なし。
    ただことを大切になさば可なり。
     小過を許すということ有は、小過を咎(とが)めればその人
     小過もなきようにとする故、その才知縮みて働かず、
     心一杯に自由をすることが成らず也。
     心一杯に働かぬときは其の器量は見えぬ也。
    
  5. 用いる上は、そのことを十分に委ねるべし。
     人を使うてその器量を知るというは、上より物ずきを出さず、
     兎せよ、角せよと指図をせず、その人の心一ぱいにさせてみる事也。
    
  6. 人材は必ず一癖あるものなり。
     器材なるが故なり。
     癖を捨てるべからず。
    
  7. 「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
    と孔子も宣まえり。
     和するというは五味を持行きてまぜあわせする事也。
    

荻生徂徠
おぎゆうそらい(1666〜1728)
江戸時代中期の儒学者。江戸の生まれ。 初め柳沢吉保(よしやす)の儒官(じゅかん)となり、 5代将軍綱吉からも信頼されるまでになったが、 吉保の引退とともに勤めをやめ、 江戸に塾を開いて学問にうちこんだ。 初め朱子学を学んだが、これにあきたらず 古学を説いて、孔子や孟子の教えを説いた 書物を直接研究することによって 儒学の真の精神を知ろうとした。


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