コーチ間で悪名高き息子チームを引き受け、 西も東も分からぬまま途方に暮れていたとき、 ある先輩コーチが救いの手を差し伸べてくれました。 この方のことについては別途ご紹介するとして、 おそらくその出会いがなかったら今の小生はないでしょう。 人生には特別な出会いというものが幾度か訪れるものです。 その出会いを上手くキャッチできるかどうか、 サッカー風に言うなら上手くボールコントロールできるかですね。 そのためにも、良い体の向き、広い視野、そしてリラックスが大切。 リラックスという言葉が変なら、自然体とでもしておきましょうか。 その方から教わったことは多岐にわたりますが、 子どもたちがサッカーをするのだということ、 なぜサッカー?・・・ならば、どうサッカー? という視点だけは一貫していました。 これからご紹介する荻生徂徠の「政談」という書物からの抜粋は、 選手の起用法を考えるのにいいですよと教わったもの。 一読してバチッと目が覚めるような思いがしました。 これが300年も昔の言葉であることを考えると、 サッカーが如何に普遍的なものに触れているか、 改めて考えさせられます。 |
荻生徂徠「政談」より |
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荻生徂徠 おぎゆうそらい(1666〜1728) |
江戸時代中期の儒学者。江戸の生まれ。 初め柳沢吉保(よしやす)の儒官(じゅかん)となり、 5代将軍綱吉からも信頼されるまでになったが、 吉保の引退とともに勤めをやめ、 江戸に塾を開いて学問にうちこんだ。 初め朱子学を学んだが、これにあきたらず 古学を説いて、孔子や孟子の教えを説いた 書物を直接研究することによって 儒学の真の精神を知ろうとした。 |