愛コンタクトYさんが早稲田の先輩だということを僕は知りませんでした。 日本サッカー界を担ういまや綺羅星のような方々とチームメイトであり中心的な選手だった方で、 大変バックグラウンドの大きな方です。 当時早稲田はスポーツ界の雄でした。 サッカーはもちろんのこと、野球、ラグビー、アメフト、マラソンに至るまで大活躍をしていました。 僕もまたそのあたりにいて、一般体育のサッカーかなんぞで顔にボールを食らってのびて空なぞ仰いでいたわけです。 Yさんは、ご自分で成人のサッカーチームを発足され、少年部を興し、高校や少年団等で指導され、 ここ2年間は愚息の中学でコーチをされていました。 本格的な技術指導ができる稀有なコーチでありながらオープンマインドで、 何より子供たちへの熱い想いが名選手達や優れた指導者達を育んできました。 中学生期の子供たちは、第二次成長により身体的にも精神的にも激変します。 サッカー指導においても極めて重要な育成過程になります。 如何せん、これまでの学校、企業主導によるスポーツ体系では 支えきれない時代になってきました。 Yコーチのような指導者に巡り合えるのは極めて幸運なことです。 この年代では、急成長する呼吸器循環器系を鍛えるため耐久トレーニングが多くなります。 最初のうち愚息はバタンキューの生活を続けていましたが、 反抗期酣のイカレ野郎が、今日はこれを教わった、 今日はこれを覚えたなどと無邪気に喜んでいるのを見るにつけ、 Yコーチとの活動が如何に楽しいものであるかが伺われました。 そのYコーチの北海道転勤の話を聞いたのはつい先日、青天の霹靂でした。 中学でのお別れ会に参加できなかったので、 翌日少年サッカーの同僚コーチ達と企画して、Yさんと杯を交わしました。 専門的なサッカー談義や、地域の歴史、実情など会話は多岐にわたりました。 中でも我が少年団を卒団していった子供たちがYコーチのもとでどのように活動しておったかについて、 まことに活き活きとしたお話を伺うことができました。 子供たちを観る目の純度、密度、子供たちへの並々ならぬ愛情が涙の出るほど伝わってきました。 夕方の6時から始まった宴会は閉店の12時を過ぎても終わらず、 店の人に追い出されるように外に出たのは夜中の1時頃だったと思います。 帰る道すがら、Yさんは「どうか中学を頼みます」と言って我々如き半端者に深々と礼をされ、 志半ばで置いていかなくてはならぬ子供たちをなんとか託そうとしておられました。
僕はYさんと帰る方向が同じでした。
マンションの前まで来ても別れ難く、二人で立ち話を始めました。
子供たちにまつわる様々なエピソードを
身振り手振り、ボレーキックからプッシングの実演まで交えて話して頂いた。
そのとき、ことある毎にYさんの口を突いて出たのは「愛」という言葉でした。 「愛」などという言葉、もうウン十年聞いていませんでした。 そもそも抽象的で、いい加減で、歯の浮くような言葉と思っていた。 けれど、Yさんの口にする「愛」という言葉は、 とても具体的で、分かりやすく、心に食い込むような質量を持っていました。 白髪で、日に焼けていて、小柄で、一見普通で、よく見ると筋骨逞しい 年配男性が熱心に説く「愛」という言葉に、 僕はサッカーの深さと広がりのようなものを感じていました。 そして、気がつくとなんともう午前3時。 握手を交わして別れると、 街灯が照らすハナミズキの並木道を、 Yさんの背中は振り返ることなく遠ざかりながら小さくなっていきました。 --- 9.Jun.2003 Naoki |