RE-SPECTと云ふこと

ビアンチ監督のアドバイス

 昨年来、忙しいの忙しくないのって、忙しい、 エッセイに書きたい事はあっても書く気力、体力共に衰え、今日に至りました。 とはいうものの、相変わらずサッカーにはちらちらと顔を出していて、 昨年来女子のサポートをしています。 「蘇れユニフォーム」でご紹介したユニフォームは、 時々ではありますが蘇っておるわけです。 男子、女子というけれど、ガキンチョに性別の差はないだろうと当初は思っていました。 が、どうもあるらしい。 それが先天的なものか後天的なものかは分かりませんが、やっぱりある。 例えば、
「今度試合やるぞ、よかったな」
「相手は強いの?」
「強いよ」
「じゃ、やんな〜い」
こんな会話は女子ならではで、男子では見た事も聞いた事もありません。 けれど、逆に考えれば、女子には男子にない何かがあるわけで、今はその発見に努めています。

 昨年末のトヨタカップでは、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズがイタリアの名門ACミランを下しました。 ボカを率いていたお茶の水博士のような風貌のおじさんは名将カルロス・ビアンチ監督です。 ビアンチ監督は、世界的には無名選手揃いのチームを率いて、 レアル・マドリッドやミランといった超スター軍団を相手に、 世界屈指の真剣勝負の場を征しています。 余程先進的な戦術や奇抜な発想、驚異的な指導手腕を持っておられるのかと思うのですが、 むしろそんなギラギラした感じではなく、 いつも落ち着いていて至って温厚な紳士といった印象です。 彼がテレビでこんなことを語っているのを聞いた事があります。

「監督は選手達に意図を伝えることが大切です。
控えの選手に『オマエを信頼してるよ』と告げるときは、
本当に心から信頼していなければ伝わりません。
選手達の敬意を得たいと思ったら、
先ず選手達に敬意を払わなくてはならないのです」。

 「敬意」という言葉はサッカーではよく使われます。 相手、仲間、審判、観客、事務局に敬意を払おうというのはフェアプレイの黄金則の一つです。 ところが、もし敬意という言葉の意味を実はよく分かっていないとしたら、事は少々ややこしくなります。 気を付けをすればいいのか、頭を下げればいいのか、尊敬語と謙譲語を上手に使えばいいのか ・・・  いや、サッカーの場合、それらはさしたる意味を持ちません。 そこで、FIFAによるフットボールの行動規範を読み返してみました。 世界中の選手が読めるよう、規範は英語で書かれています。 「敬意を払う」は英語では "respect" です。 この言葉はどうやら "re" と "spect" からできていて、直訳すると「よく」+「観る」です。 なんとなくニュアンスが伝わって来ました。 例えば、人と人が集うとき、物理的にもそうでしょうが、心がそっぽを向いているとうまくいきません。 人と向き合う心、それが敬意の側面であるとすれば、 昨今の巷には枯渇しているもののように感じられます。


安全バンド再演

 昨年の暮れ、安全バンドのライブがあるから来ないかというお誘いがありました。 誘いを掛けてくださったのは、浦和ロックンロールセンターという団体の現代表の方。 腰が抜けました。 安全バンドというのは、70年代、僕が中高生だった頃の「和製ロック」バンド。 フライドエッグ、パワーハウス、外道、四人囃子、頭脳警察、カルメンマキ&OZ、クリエーションといった面々が、 米英のロックなる音楽を模したり日本語化したりしながら新境地を切り開いていた頃のバンドです。

 60年代、海の向こうで起こっていた黒人民権運動やベトナム反戦とロック、フォークの因果関係が、 我が国においてもロックはカウンターカルチャーだ、カウンターカルチャーとは反体制だみたいな、 ちょっと焦臭い空気を持っておりまして、今の商業ロックとはずいぶんと趣を異にしていました。 そこへいくと安全バンドは確かに安全な感じがあって、 海の向こうではロックの嵐が去ってメロウがトレンドになろうという頃、 安全バンドはちょうどその狭間にあった感じの清濁微妙な音楽を奏でていました。 僕はそれを銀座にあった「スリーポイント」というライブハウスに見に行って、アルバムは2枚とも購入、 友達に貸しているうちになくなっちゃいましたが愛聴していました。 後年、柏駅前の楽器屋でベースの長沢ヒロを見かけて声を掛けた事があります。 ファンだったんですよと告げると照れ笑いしておられた。

 が、腰を抜かしたのは、安全バンドだからってわけでもないんです。 浦和ロックンロールセンターなる団体が、何故僕如きを知っていて案内をくれたかなんです。 その昔、スリーポイントのライブを主催していたのがこの団体でした。 で、なんで僕を知っているのかというと、 そのライブハウスで書いたアンケート用紙を保存しているからなんだそうです。 見ず知らずの青二才の採るに足りない戯言が書き綴られた藁半紙を、彼らは三十年余りも保存し、 それを縁(よすが)に案内をくださったというわけです。 これに腰を抜かしたわけです。

 12月26日、見に行きました、高円寺の "ShowBoat" なるライブハウスです。 この日ばかりは同僚達にお願いして残業せずに会社を飛び出した。 超満員の小屋にはいると既に演奏は始まっていましたが、 なんだかちょっと安全バンドっぽくない。 有名な曲のカバーとかやってる。 ギターも変わったんだな、ハハハ、なんだか森園みたいな奴だな、などと眺めていたら ジャラ〜ンというギターストロークを契機に次の曲が始まりました。

    あの青い空が破けたら ・・・

「一触即発」です。 ということは ・・・ あの男は森園勝敏、このバンドは四人囃子、 まさかそんなものまで観られるとは!

 そうこうするうち、頭脳警察のパンタが乱入。 もう其れ成りの御歳と思うのですが、アウトローなオーラと迫力は相変わらず。 そこへハルヲフォンの小林克己まで登場して場内俄然盛り上がりました。 こうしていよいよ、我らが安全バンドの登場と相成ったわけです。

    目の前の女が食い物の話
    俺は飢えた狼 てめぇを喰ってやる

どこからみても真面目で人の良さそうなナイスミドルとなった長沢ヒロが迫力満点の歌を熱唱。 米国へ移住したという相沢民夫のギターも相変わらず冴えていてナイス。 アンコール1回は寂しすぎるぞと思っていたら、 頭脳警察、四人囃子、ハルヲフォン入り乱れてのJAMセッション大会に突入。

 狂喜のセッション大会でした。 どういうことかというと、 日本のロック黎明期を支えたこれら錚々たるバンド達は、 べつに誰が浦和出身者でもないのですが、 いずれも浦和ロックンロールセンターに集い 世に羽ばたいていった同窓生なのだそうです。 それが安全バンドの再演を機に再び集ったというわけです。 個性的な面々、アウトローな輩、良く言えば夢のある自分勝手な連中を、 これといった経験則もレールもない中で受け入れ、育み、 長きに渡り灯を絶やさずにきた浦和ロックンロールセンター。 彼らの大胆で寛容で地道な努力が、こんな形で珠玉の時を実らせているのでした。 壇上に立った四人囃子のドラム、岡井大二さんが、僕たちもまたバンドを演りたいぞと挨拶。 安全バンドって、練習に誰一人遅れてこないなんて信じられない、 僕たちも見習おうなどと述べて笑いをとっていました。

--- 14.Feb.2004 Naoki

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