手弾きの勧め
音楽を志す方は、必ずボーカル(歌手)を経験されることをお勧めします。
下手でも結構。
やはり、自分の声帯、横隔膜、喉、頭蓋骨、鼻孔、唇、舌などを使って、しかも或る程度意のままに発声することのできるボーカルという演奏手段は、いわゆる器楽演奏よりも端的に貴方自身を呈示します。
そこから学ぶものは少なくないはずです。
もし貴方が器楽奏者を志しているとすれば、自分の心を楽器に代弁させることを期待しておられるでしょうから、そのプロトタイプとしてボーカルを経験してみることは無駄にならないでしょう。
ボーカルの利点を三つ考えることができます。
一つは、直接的であるということ。
貴方の肉体と音源との間に仲介物、例えばスティック、ギターピック、革、弦、板、シールド線、プリアンプ、…そういったものがないということです。
だから、マイクを通してリバーブ(残響効果)やエコー(木霊効果)を付けてというのでは意味がありません。
カラオケは、ダメです(キッパリ)。
多分、やらない方がいいでしょう。
もう一つは、頼る物がないということ。
「俺の楽器は安物だから弾き難いんだ」とか「やっぱりトランジスターのアンプじゃ良い音が出ないな」などと言い訳できない。
ダメなのは、ヒトエに自分がダメだからということになります。
逆に、良かったら、それは貴方の楽器が上等だからではなく、貴方自身が上等だからということです。
そして最も大切なことは、ボーカルはイヤでもその人をさらけ出すということです。
器楽演奏で自分をさらけ出せる人というのは超一流の部類で、最終的にはそうなりたいものです。
しかし、ボーカルは、上手かろうと下手であろうと、その人を暴露します。
だから、表現者を志すにはもってこいの経験になるのです。
但し、恥ずかしいからといって、自分を隠してはいけません。
スターの物真似のような歌ではダメです。
そう言う意味では、歌が器用な人は却って要注意です。
ほら、声帯模写のコロッケさんとか抜群な歌唱力がありますけど、素で歌うと何か物足りないでしょう。
職業柄、地を出すことが難しくなっているのではないでしょうか。
それから、サングラスなぞをかけて歌うのはやめましょう。
それはそれでカッコイイのかも知れませんね、その人の美意識においては。
しかし、本教室の講師は敢えて言います、「何のために板に上がっているのだ、音楽のためではないのか?」。
自分を出す、そのためには無駄な物を外しましょう。
カッコワルくて結構、それを暴露したところが出発点になります。
さて、話を器楽演奏の方に移します。
楽器は、肉声では得難い音を奏でてくれますよね。
そこが器楽演奏の利点の一つです。
しかし、「表現する」という意味においては、ボーカルもインストゥルメンタルも同じです。
楽器を練習する上での指標とすべきことは、如何に正確に、如何に大胆にといったことよりも先に、如何に表現できるようになるかです。
言い換えれば、如何に歌えるようになるかです。
本教室の講師は元々ギターが専門ですので、ギターを例に採ってお話ししましょう。
専門といっても、そうですね、元々は「エレキ」を抱いてロックギターのようなことをやっていました。
クラシックギターやジャズギターのようなものも僅かながら経験しましたが、専らティアドロップ型のギターピック(セルロイドの下敷きを小さな三角に切ったような人工の「爪」)を持って、ギターから垂らしたシールド線にワウ(電気的なフィルタ)やエコー装置などを付けて、ギターアンプを少し歪ませてといったスタイルでした。
これはこれでいろいろな音が出せて、なかなか面白いことができます。
しかし、最近感じることは、このスタイルで「表現」することは、思ったよりも難しいということです。
最近は、アコースティックギターを使っています。
スチール弦を張ったギターは、大抵の人はギターピックで弾くのですが、講師は素手で弾いています。
素手で弾くと、ギターピックでできたことができなくなります。
ある種ハンディーに感じられる反面、それを補って余りあるほど表現が容易になります。
自分と音源の間の仲介物は、少なければ少ないほど、自分の意のままの演奏ができるのです。
確かに爪はボロボロになります。
手仕事の多い方やスポーツをやっている方など、演奏に適した状態で爪を維持するのは至難の業であろうと思います。
しかし、貴方がギタリストを志すなら、一度はこの方法を経験しておくことを強くお勧めします。
講師の場合、目から鱗が落ちた感がありました。
爪を維持したい方は、夏でも手袋、そして瞬間接着剤を常備されると良いでしょう。
それでも爪がダメになったら、それはそれで何とかなるものです。
それでも何とかしようと努力すれば、ギターが応えてくれるでしょう。
楽器の中には、自分と音源との間に仲介物の多い物があります。
ドラムを叩く方。
スティックワークの練習だけに没頭せず、素手で叩いてみては如何ですか。
貴方の手の痛みを音にしてみましょう。
レッドツェッペリンの故ジョン・ボーナムがよくやっていました。
講師も試みたことがありますが、素手でクラッシュを鳴らすにはコツがいります。
インパクトの重要さを身体が覚えてくれるでしょう。
(もっとも、これを練習しすぎると手が腫れてギターが弾けなくなりますね)。
それから、コンガ、ボンゴ、タブラなどの手弾きの太鼓を経験するのも良いでしょう。
太鼓が「鳴る」とはどういうことか、遙かに分かり易いと思います。
シンセサイザー奏者の方は、おそらくオルガンを弾くようなタッチで鍵盤を演奏しておられるのだろうと思います。
是非お勧めします。
シンセサイザーは非常に難しい楽器です。
あまりにも仲介物が多過ぎるのです。
シンセサイザーやシーケンサーで「表現」することは、可成りの力量を要します。
せめてアコースティックピアノも練習しておきましょう。
手の形やタッチが違うのだと反論される方もおられるでしょう。
しかし、少なくともこれから音楽活動を始めようという方が、のっけからシンセサイザーしか触らないというのでは、だいたいどういう風になってしまうか想像が付くと述べると僭越ですが、はっきり言って音楽にならないと思います。
鍵盤以外の楽器をやってみるのも良いと思います。
貴方は、身体という形で世界に現れています。
最も容易な表現方法は、身体表現です。
初心者の方ほど、直接的な演奏方法を選びましょう。
現代のミュージックシーンに「表現」が枯渇している原因の一つに、機械化され過ぎた音楽環境に演奏力が追いついていないことが挙げられると思います。
初心者がいきなりブライアン・イーノのアンビエントミュージックのような手法を取り入れることは、とても有利な方法とは思えません。
貴方の喉の響きや手の痛みを音にしてみましょう。
きっと楽しいことが起こります。