聞くことの大切さ
誰しもセンスのいいプレイヤーになりたいものです。
センスといってもいろいろな意味合いがあるでしょう。
格好良さかもしれないし、美しさかもしれません。
誰もが共感できるような演奏を意味しているかも知れませんし、逆に玄人ウケするものほどセンスが高いのだと考える方もいるかも知れません。
何れも素晴らしいことで、実際その条件を満たすことで音楽は、或いは音楽業界は支持されて来ました。
しかし、もし貴方が音楽を浪費するだけでなく、生み出すということに喜びを感じるなら、必ずしもそれらのことは必要条件でもなければ十分条件でもなくなるでしょう。
センスが良いと感じられる音楽とは何でしょう。
例えば、人に生理的な快感をもたらす一連の音波がセンスの良いメロディーだと考えることもできます。
心地よい音がどのような性質を持っているかは、脳波や宇宙的な揺らぎの研究などからもかなり分かって来ているようで、科学的に心地よいメロディーを算出することは不可能ではないようです。
しかし、人は甚だしく喧しい音楽や不協和なハーモニーにも心惹かれるものです。
実は、人が直感的にいい音楽だと感じることは、何回そういう音を聞いたかということと深く関わっているようです。
例えば、産業革命がなければ、つまり蒸気機関車や自動車がなければ心地よいと感じられなかったような音楽もあります。
更に、レコードやCDは元より、テレビやラジオの音楽番組、ドラマの主題歌、コマーシャルソング、ショッピングセンターやファミリーレストランの有線放送、テレビゲームのBGMなどの中で繰り返し聞かされる音楽は、或る程度バランスよく作られてさえいれば、意識するしないに関わらず、次第にいい音楽と感じられるようになります。
同様のことは、不協和な平均律やハーモニーの解放などの問題の中にも見つけることができるでしょう。
断っておきますが、もちろん、人がいい音楽だと感じるには何回それを聞かされたかというだけでは説明できない要素が多分にあります。
多くの人、殊に幼年期の子供達は、初めて聞いた音楽をストレートに受け入れ感動する感性を持っています。
彼等の感じるところに音楽の核心があります。
本当に重要なのはそこなのですが、この点については本講義の中では触れません、というより、それは森の音楽教室全体を通して見据えるべき焦点です。
さて、多くの人は楽曲の中でどこかで聞いたようなメロディーに出会ったとき、例えば“Let It Be”のケーデンスに日曜学校で耳にした賛美歌のようなフレーズを見つけたとき、ビートルズのセンスの良さを感じるものです。
音楽の仕組みの大半は、このようなパッチワークの美しさです。
ですからビートルズが行っていたR&Bやバロック音楽やインド音楽のパッチワークは見事であったと思いますし、彼等は素晴らしい音楽家達であったと思います。
ただ、このパッチワーク技法は、単なる思いつきだけではうまくいきません。
子供のころ大ファンであったオペラ歌手の立川澄人さんは、郷里の民話をモチーフにして「オペラきっちょむさん」というのを上演されましたが、残念ながらベルカント唱法で「馬ん糞〜、馬ん糞〜」と歌うのは如何なものかと感じたものです。
まあ、前衛的ではありましたけれどね。
素晴らしいパッチワークは、端切れの組み合わせだけではなく、他とは違う創造性豊かな一流の下地や縫い目の上に成り立っています。
ポリスというグループならR&Rとレゲエ、トーキングヘッズならR&Rとアフロミュージック、キングクリムゾンなら西欧古典とフリージャズと一部の現代音楽、フランク・ザッパときた日には世界中の音楽のパロディーのパッチワークを見ることができますが、それらが単なる組み合わせに感じられないのは+αがあるからです。
このパッチワーク+αの“α”の部分に、音楽の生命があります。
ところが、このαが極端に少ない、もしくは持ち合わせていないような音楽でも、大勢の支持を得ることは可能なようです。
全ての人がいつでもどこでも音楽に生命を求めているわけではないからです。
売れればいい、うければいい、その時楽しければいい、気持ちよければいいといった音楽の捉え方があるのは事実でしょうし、むしろ一般的ではないでしょうか。
この場合、音楽を供給する者が手っ取り早く仕事をこなす方法は、聴衆或いは消費者がよく知っているものを組み合わせることです。
例えば、マドンナとラップを組み合わせるとか、70年代歌謡曲とヘビーメタルを合体させるとか、そういったことで良いのです。
良きにつけ悪しきにつけ、人は繰り返し聞かされた音楽に感化されます。
現代社会において人に音楽を聞かせる手段を持つ最も大きな媒体は、マスメディアやカラオケや商用のBGMなどです。
最も多くの人が良いと感じる音楽は最も多くの人が聞かされた音楽である、これは決して根も葉もない命題ではありません。
一方、ジャズやロックの黎明期や最盛期、比較的我々の記憶に新しい音楽ですが、それらの中には生命感にあふれた音楽が実に多く見受けられたように思います。
その頃のジャズやロックはカウンターカルチャーであり、ナンセンスな音楽であると評されていたことを思い起こしてください。
創造的な音楽は、必ずしもその時点ではセンスが良くないようです。
ですから、もし貴方が創造的な音楽活動を志すなら、単純に流行の音楽を追いかけるよりも、或いは耳から入ってくるものだけに繰り返し浸っているよりも、聞く音楽を能動的に選ぶという作業からスタートされることを提案します。
更に言えば、聞くべきでないと思う音楽を積極的にボイコットすることも重要です。
その選び方が貴方のセンスの側面を形成するでしょう。