ソルファの勧め
曲を書いたり、アドリブ(即興)演奏をしたり、アレンジ(編曲)を行ったりするのがどうも苦手だという人がいます。
コピー曲はちゃんとできるし、譜面があれば自信を持って演奏できるのだけれど、そういうものがないと困ってしまうタイプの人です。
だからといって、そういう人に音楽的才能がないというわけではありません。
吉原すみれさんという超一流のパーカッション奏者がいます。
この方は現代音楽畑なのであろうと思いますが、色鉛筆や独自の記号などを駆使した譜面を用意されていて、本当に信じられないような素晴らしいプレイをされます。
10年ほど前でしたかコンサートで拝見しましたとき、奏者のインプロビゼーションに多くの部分が委ねられるという作品を1曲だけ演奏されました。
このときは、しかしながら率直に申し上げて、まるで人が変わったようにおぼつかない演奏でした。
もちろんそれで彼女の魅力が色あせるものではないのですが、即興は苦手なんだなと誰しも感じたであろうと思います。
まあ、現代音楽となるとずいぶん発散してしまうので話を元に戻します。
ジャズやロックやポップスのような音楽にとって、作曲とアドリブとアレンジの能力には密接な関係があります。
多くの悩みは、どう演奏していいかわからないというより、何を演奏していいかがわからないというものでしょう。
音楽にはリズムやハーモニーなどいろいろな要素が絡み合っていますが、この場合問題の根元となっている主な要素は、作曲やアドリブやアレンジの機軸となるメロディーが浮かばないということだろうと思います。
この問題を解決するために、できるだけ多くの音楽を聞き、できるだけ多くのコピーをやろうと決意している人がいるかも知れません。
しかしその方法は、本質的な問題解決のためのアプローチというより、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるといった類のものだと思います。
もしどこかで開眼でもしなければ、いつもお仕着せのメロディーしか表現できないプレイヤーで終わる恐れがあります。
しかも、メロディーそのものはそれが12音階の組み合わせであると限定すれば殆ど掘り尽くされているのですが、メロディーニュアンスというか、不協和な平均律から逸脱したプリミティブな音楽的要素を孕んだ生きた音というか、そういったものすらお仕着せになってしまえば、彼は残念ながら二流のプレイヤーであると言わざるを得ません。
まあ、一流二流にはいろいろな定義がありましょうから、そういう意味の二流は特に気にしないという方がいても一向に構わないと思います。
けれど、どうせなら生きたメロディーを生み出せるようになりたいものです。
この問題を克服するための練習方法の一つとして、ソルファ(階名唱法、ソルミゼーション、ソルフェージュ)を勧めます。
要するに、メロディーを「ドレミ...」のような階名で歌う練習です。
ここで階名と音名を区別しておきましょう。
“CDEFGAB”(独逸式では“CDEFGAH”、日本式では“ハニホヘトイロ”)という表現は、音名に用いられるのが常です。
例えば“A”は、周波数が約440Hzの音波を意味します(実際には442Hz付近がよく用いられるようで、ウイーンフィルなどでは443Hzを採用しているそうです)。
一方階名は、音の周波数ではなく、その曲のキー(調)に併せて「ドレミファソラシ」(英国式では「Do,Re,Mi,Fa,So,La,Ti」)と表現されます。
例えばキーがC(ハ長調)なら「ド」は“C”ですが、キーがCm(ハ短調)ならば「ド」は“Eb”です。
ですから、ソルファで培われるのは絶対音感ではなく相対音感です。
絶対音感は、芸術大学に通っている方など、人一倍音楽的訓練を積まれてきた方に備わっているようです。
曲を聞いただけでその調を言い当てることなど当たり前で、音叉をポンと鳴らして「この音叉、フラットしてるわね」とか、エレベータの壁をノックして「このエレベータ、“C#”だ」とか、「その楽器の形状に関わらず、金属の基音は“F”である」なんて指摘できる人がいます。
残念ながら、本教室の講師は、そのような能力を持ち合わせていません。
しかし、長年のあいだ逆だと思っていたのですが、絶対音感というのは訓練によって誰でも修得できるものなのだそうです。
逆に、どんなに訓練を積んでも相対音感、つまり音と音とのインターバル(音程)の感覚を修得できない人がいるのだそうです。
先天的なものか幼児体験的なものかよくわかりませんが、いるのだそうで、講師は実は半信半疑なのですが、このことについて二三の書物で読んだことがあります。
仮にそうであるとしても、講師は未だ真性の音痴の人には出会ったことがありません。
そういう方は極稀で、おそらく殆どの方が相対音感を持ち合わせておられるのだろうと思います。
ですが、相対音感の開発にも訓練が必要です。
例えば、「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」を歌えない方は、まずいらっしゃらないでしょう。
一方、ディミニッシュトスケール(ド・ミb・ソb・ラ・ド)を歌える方はあまり多くありません。
インターバルの部品はb3rd(短三度)しかありませんから、「ミ→ソ」とか「ラ→ド」の感覚を持っている人なら必ず歌えるはずです。
しかし、聞き慣れたメジャースケール(長音階)などの感覚に邪魔されて、それを逸脱した音階が歌えなくなっているのです。
こういった類のことを解決するには、訓練が必要でしょう。
ソルファの持つ意味は、それだけではありません。
小学校で習ったリコーダーのことを思い出してください。
イギリス式とジャーマン式がありましたっけ、いや、これは押さえ方が若干違うだけなのでどうでもいいことです。
短いソプラノリコーダーと長いアルトリコーダーがありましたよね。
ソプラノもアルトも押さえ方は大体同じなので、どちらかで「ドレミファ」が吹ければ他方でも吹くことができます。
穴を全部塞いだような押さえ方を「ド」と教わります。
確かソプラノの「ド」は“C”、アルトは“F”だったように記憶していますが、にもかかわらずどちらも「ド」と教えるのは、学童に手っ取り早く押さえ方を覚えさせるためです。
しかしながら、ソプラノとアルトを混合したり、他の楽器と合奏したり、様々なキーで演奏しようとすると、とたんに面倒になります。
しかもリコーダーは純正律的な音階を持っていますから、キーによっては、単純に押さえて吹くというだけでは正しい音程も出ません。
同様のことがソプラノサックスやアルトサックスなどにも言えます。
前者は“Bb”を「ド」、後者は“Eb”を「ド」と教わります。
キーが“Bb”の曲しか演奏しないのならそれが「ド」でもいいのですが、例えばキーがEの曲を演奏するとき、“Bb”は「ソb」と感じた方が、他の音との関係、正しいインターバル、メロディーニュアンス、その後に来るべき音の予測や期待といったものを具体的に体感することができます。
ですから、ソルファはそのキーに対応して行うべきです。
そういったソルファによる練習に問題がないわけではありません。
先ず、使用する音程が「ドレミファソラシ」の7つだけでは足りないということです。
例えば、講師は「ファ#」という音程を多用しますが、これを「ファシャープ〜♪」と歌っていたのではソルファが追いつかなくなってしまいます。
米国カリフォルニア州にあるバークレー音楽院という専門学校では、そのようなことのないよう、12音によるソルファで練習させるそうです。
例えば、「ファ#」を「フィ」と名付けるなどして、「ド・ディ・レ・リ・ミ・ファ・フィ...」というようなクロマチックスケール(半音階)からなるソルファを行うのです。
これについては、何かクラシック標準のようなものがあるのかもしれないし、バークレー校がソルファを音名ではなくちゃんと階名として使っているかどうかということも定かでないので、興味のある方は調べてみられるとよいでしょう。
講師は、ソルファはほぼ個人的に練習すればよいことなので、階名の名付け方そのものには大きな意味はないと思っています。
もう一つの問題は、「ドレミ...」という7音階名が、トーナルミュージック(長調や短調のように調的イメージを持った音楽)用に設けられているということです。
また、先の「ドディレリミ...」のような12音階名を使うとしても、クロマチックスケールそのものが平均律的発想の上に成立しているので、生きたメロディーニュアンスを言い表せるものではないということです。
例えば、ブルーノートスケールはどのようにソルファすればよいのでしょうか。
生まれついてのブルースミュージシャンは、多分西洋音楽の階名など意識していないと思います。
もし彼が階名を持っているとすれば、それは「ドレミファソ」ではなく「シャバダビドゥ」のようなものかもしれません。
良きにつけ悪しきにつけトーナルミュージックに慣れ親しんだ我々にとっては、しかしながら無意識的にブルーノートにも階名を割り振ることになるでしょうし、それをソルファすることも無駄ではないかもしれません。
一般的なブルースペンタトニックスケールを例に採ってみましょう。
ルート(根音)がAなら“A,C,D,E,G”の5音からなるスケール(音階)で、楽譜上はAナチュラルマイナースケールの第2音と第6音を抜いたスケールと同じということになります。
講師は、これに「ラドレミソ」とマイナースケールの階名を割り振ることがよくあります。
しかし、実際の演奏では、これにメジャーペンタトニックが組み合わされたり、様々なテンションが追加されたりしますから、この階名は一定しません。
例えば、“A→C”を「ラ→ド」と感じることもあれば、「ラ→ディ」、「ド→リ」、或いは単に「ド→ミ」と感じることもあります。
興味深いのは、その階名の感じ方によって、インターバルやその変化の仕方、タイミングなど、即ちニュアンスが微妙に違ってくると言うことです。
この階名の変化は、その楽曲の中で、またその前後の音の中で“C”の意味が異なってくることによります。
ですから、このようなことをモデル化した練習方法がソルファということになります。
同じようなことをモーダルミュージック(調からは若干逸脱した施法主体の音楽)にも当てはめることができます。
ロック風の音楽でよく応用されるミクソリディアンというモードを例に採ってみましょう。
例えば、Cのミクソリディアンは“CDEFGABb”というノート(音)で構成されています。
Cのメジャースケールと異なるところは、第7音、即ち“B”がフラットしていることで、これはミクソリディアンの特性音の一つといえます。
この場合、“C”を「ソ」と解釈すると、例の7音階の階名だけで「ソラシドレミファ」と歌うことができます。
講師は、この“C”がメロディーやハーモニーのルート(根音)であった場合、例えばドミナントコード(属和音)のような位置付け乃至はニュアンスの強い場面での基準音であった場合、それを「ソ」と感じています。
ところが、その“C”がアクシス(軸音)、即ち楽曲にとって不動な中心音の性質を持っている場合、これを「ド」と感じ、「ドレミファソラセ」のように歌います(「セ」は講師が勝手に考案した階名で、「セブンス」の「セ」です)。
更に、このミクソリディアンがブルース的なニュアンスを強く持っている場合、先のブルースペンタトニックのソルファの影響から、“Bb→C”のインターバルを「ソ→ラ」と感じる場合もあります。
重要なことは、それらの階名の使い方によって、メロディーニュアンスが変わってくるということです。
世の中には様々な音楽学校があり、講師はその殆どについて知識がありませんが、口伝てに聞いた話を総合すれば、転調でもない限り、上記のような動的なソルファを教えるところはないようです。
ですが、固定的な階名唱法は、音名唱法と大差はなく、平均律やトーナルミュージックの呪縛から逃れることのない練習方です。
もし貴方が、音感は良いのに生きたメロディーを生み出すことが苦手だとすれば、動的なソルファは非常に効果的な練習方の一つだと思います。
この練習方は、ソロパートを受け持つ楽器奏者の方にも是非お勧めします。
手はよく動くのに、理論は完璧なのに、どうしても魂の伝わるようなメロディーを奏でることができないとお気づきの方は、楽器で歌うことを心掛ける必要がありますね。
それが重要だということは、B.B.キングやデビッド・サンボーンのプレイを聞くまでもなくご存じのことであろうと思います。
そういうソロプレイを身につけるのに、いろいろな練習方法があるでしょうが、自分のソロをスキャットとユニゾン(同じ音程)で行ってみるというのはとても効果的な方法の一つです。
管楽器などでは心とユニゾンするしかないかもしれませんが、できれば肉声を出して練習することをお勧めします。
これが苦手な方は、おそらくメロディーそのものがうまく把握できないでいるし、おそらくメロディーを生み出すこと自体苦手としておられますね。
そんなとき、スキャットの代わりに是非ソルファで練習してみてください。
--- 12.Nov.1997 Naoki
--- update 19.Nov.1997 Naoki
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