還暦ライブ

 楽隠居とは、いつの世の話でしょう。 事実上の家制度が行き渡っていた戦前、大正、明治、とりわけ江戸時代の話なのではないでしょうか。 長男に家の跡目を継ぎ、権限は逸するも責任の荷は降ろし、悠々自適に余生を過ごす。 藤沢周平さんの「三屋清左衛門残日録」に出てくる主人公は、側用人として仕えた藩主の死去に伴い隠居、齢五十二。 暇になるかと思いきや、様々な事件が起き、旧友の町奉行等々と共に活躍するという筋立て。 「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」というのが彼の感慨でした。

 勝小吉は、齢三十七で息子の麟太郎(後の海舟)に家督を譲って隠居。 以来「夢酔」と名乗り、ヤンチャ三昧だった過去を振り返りながら「男たるもの決しておれの真似をしないがいい」と書き遺した自伝が「夢酔独言」。 その割には、なんとなく得意気な空気が読み取れます。 江戸煩い(脚気)を病んでいたこともあり、女房お信(のぶ)に口述筆記させる折、ついつい自慢話になってしまったのでしょう。

 日本の一般的な会社員には、定年という制度があります。 以前は五十五、今では六十歳定年制、更には希望者に対する六十五歳までの雇用延長が会社に義務づけられています。 本来なら楽隠居していたであろう齢にして、こういう世の中ですから、実家が自営業でもない限り、再就職を試みるか、雇用の延長を申し出ます。 申し出られたら、会社には面倒を見る義務がある、仕方がない、なので定年後の雇用条件を落とせるだけ落とします。 担当職に格下げし、最低賃金に減給。 そこへ昨年換算の住民税やなんかが追いかけてきますから、全くもって無惨なもんです。 そう、いまや自分の身の上がそれ。

 うちの会社では、よく役職を略記します。 課長になったら「橋本K」、部長に出世したら「橋本B」といった調子ですね。 如何せん、定年後は一担当に過ぎなくなりますから、「橋本T」となる。 そこで、若い衆に苦言を呈したわけです。
「ここまでご奉公して『橋本T』に逆戻りでは辟易、せめて『橋本Z』としてくれ」
「はぁ、でも『Z』って何です?」
「ゾンビ(Zombee)の『Z』だよ」
「なぜですか?」
「自分は本来ならここにいない人間、社員としては死んだも同然、それが動いてるんだからゾンビだ。でもな、これからゾンビが増えてくるぞ。ほら、来年には彼方もゾンビ、再来年には其方もゾンビ、どんどん増殖していくぞ」
そんなことを言い回っていると、他部署や関連会社の人にまで「ゾンビ」が通じるように。 挙句は、雇用延長期限に近づいた社員を「大ゾンビ」と呼ぶ風習まで。 日本社会は、少子高齢化していると言われますが、ある面ではゾンビ化しつつあるのですね。

 「いま橋本さんに辞められては困る」という若い衆の中には、本来ゾンビとはブードゥー教の神のことだった、「だから橋本さんは神だ!」などとこじつけてヨイショする者が現れました。 地下鉄の壁に「エリック・クラプトンは神だ!」と書かれた落書きを目撃した本人がその気になり、ドラッグに溺れ、アルコールに溺れ、更生して真のスーパースターになっていく過程が語られていた自伝「エリック・クラプトン」を思い出します。 あの自伝に書いてあることはちょっと事実と違うと異を唱えたパティ・ボイドの自伝「ワンダフル・トゥデイ」も堪能。 自分にとっては、この拙作エッセイこそ半端な自伝に相当するのかもしれません。 こんな具合に自伝、すなわち自分のストーリーを記すというのは、それこそ人間の特長でしょう。 言葉を獲得し、記号を、観念を、そしてストーリーを獲得した特異生物に違いありません。

 杉浦日向子さんという方がいます。 お誕生日からすれば同じ学年、一足先に還暦になられていたはずですが、若くして亡くなられました。 バブル崩壊後の二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて放映されたNHKのコメディー番組「お江戸でござる」で江戸文化を詳しく解説してくださっていた先生です、ご存じの方も多いのではないでしょうか。 江戸風俗研究家としても、エッセイストとしても有名ですが、彼女が一躍脚光を浴びたのは奇才の漫画家としてでした。 スジがどうの、オチがどうの、ウケがどうのといった一般的な漫画ではなく、言葉にならない、絵にもならない空気、時間、情感の詰まった漫画で、世間は大いに注目しました。 ところが、三十半ばで漫画家引退宣言、隠居生活に入ると発表されます。 秘密にされていたようですが、重い病と診断され、重労働である漫画家を続けるわけにはいかないと決心されたのではないでしょうか。 ところが、そこからの活躍がまた素晴らしく、座学や机上の論理だけでは到底感得し難い、江戸時代〜現代、心情〜社会に関することを数々の文芸作品に遺しておられます。

 日向子さんの自伝というものがあるのか詳しくは存じ上げませんが、ネットで探してもそのような書籍がすぐには見当たらないので、特に執筆されていないのではないでしょうか。 しかし、ご自身の活動や心情を綴られたエッセイならあります。 中でも、「東京イワシ頭」、「呑々草子」、「入浴の女王」の三部作は傑作です。 こんな活動的な隠居生活があるでしょうか。 本来は極度な出不精であったはずの日向子さんが、東京はおろか、日本中の、それもちょっと気付かないような津々浦々まで訪れ、極めて客観的かつ主観的な観察と洞察で時間と空間を往来され、読む者をも旅に帯同してくださるかのようです。

 この三部作には、欠かせない黒子、否、名脇役の存在がありました。 出版社に入社したばかりで日向子さんの担当編集者に着任し、以来全身全霊でこの三部作に携わることになった女子社員です。 その女子社員に初めて会った日向子さんは、「洋梨のムースのように瑞々しく甘やかに香り立つ外見」から、彼女を「ポアール・ムース・モリヤマ」と名付けられました。 ずいぶん洒落た名前ですが、文中では省略されることが多く、単に「ポアール」とか、一文字で「ポ」と称しておられます。 とんだヘマをやるかと思えば優れた提言を口にし、世の中を知らない若者かと思えば日向子さんの心に鮮やかに共鳴する「ポ」。 二人は、すぐさま姉妹のような、母娘のような、あるいはまるで恋人同士のような師弟関係に。 それから五年、二人三脚の活動を重ねて「内なる肝っ玉は、備前の舟徳利の如くどっしりと、精神は、明日を憂えぬキリギリスの脳天気さを有すと判明」したことから、最終的には彼女を「ポアール・ムース・ビゼエンヌ・ド・ホッパー・М」と命名されます。

 さて、昨年の初夏、大学時代の軽音クラブのOBコンサートにバンド出演を計画するも、ベーシストが手配できず、後輩にお願いしました。 後輩とはいえ、十学年近く離れていますから、いわば初対面同然。 けれど、一度他で彼女がベースを弾いているところを観たことがあって、ずいぶん筋がイイなと感じていた由。 学生時代は鍵盤奏者だったらしく、「本格的にベースギターを弾くのは初めてなんです」とかなんとか言うんですが、目に狂いなし、やはり合わせてみてもイイ感じ、ナイスな新ベーシストです。 さても、昨年の暮れ、今度は三学年ほど上の先輩がベースを担当する森高千里さんバンドのコンサートに。 連れ立って赴いたのは、その先輩のお弟子さんに相当するベーシスト仲間と我々。 森高さん、昔よりパワーアップされたんじゃないでしょうか、びっくりでした。 けれど、それよりびっくりしたことがあった。 コンサートの待ち時間にお喋りしていて分かったのですが、うちの新ベーシスト、実はあの「ポ」だったのです。 日向子さんの三部作に活写された「ポ」を知っていただけに、それこそびっくり、感無量。 君があの「ポ」なのかなどと訊き返そうものなら「ポ」にあのもこのもないと窘められそうだったので黙っていましたが、年明けのライブでは観客の皆様にご紹介させて頂いた次第。


--- 2020/1/23 Naoki


いつもなら息子の誕生日を失念しているオフクロが珍しく
還暦祝いにくれた煉瓦色のピエールカルダンを着て演奏。
赤いチャンチャンコの代わりだとかなんとか言ってたが。


鍵盤奏者キョンケンイチ、打楽器奏者のドドンガみゆき、
そこに「ポ」のベースが加わって奥行きと広がりが倍増。
学生時代と一味も二味も違うバンド演奏の醍醐味を経験。

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