匿名の海


 日比谷は帝国ホテルの近くに“LE CAFE”という店があります。 ビルの一階フロアの一角とその軒先にテーブルと椅子を並べ、多分仏蘭西(フランス)のカフェを模したと思しきその喫茶店は、少々手狭ながら、日比谷公園の緑風を僅かに感じながらコーヒーを味わうことのできる気の利いた空間です。 元々カフェの類は仏蘭西発祥のものかと思っていましたが、ものの本(今手元にないので著者やタイトルが分かりませんが)によると、トルコ辺りから欧州に派生して、むしろ英吉利(イギリス)なんかで大変栄えたようです。 当初は専らコーヒーを楽しませる店でしたが、煙草の流行と相まって或る種退廃的文化の拠点となったり、コーヒーの持つ一種の興奮作用のせいか反体制知識人達が集い政治論議を繰り広げる恰好の場と化したりで、大仰に言えば、近代日本の舞台裏を支えてきたのが料亭とすれば、カフェは違った意味で当時の欧州文化を支えていたようです。 当然抑圧の対象ともなり、本来の姿に近いカフェが、例え装いだけであったとしても現代まで根強く残っているのが仏蘭西ということかも知れません。
 カフェはその名の通り、コーヒーを飲ませる商売から始まっています。 尊敬する詩人である今は亡き徒夫散人は、喫茶店を好み、必ずコーヒーを頼んで「わかば」を燻らせていたものです。 しかし、彼は特にコーヒーそのものを好んでいたわけではないようです。 それが証拠に、彼が自室でコーヒーを口にしている姿を、結局のところ一度も目にすることがありませんでした。 静岡生まれということもあってか、専ら日本茶を飲んでいました。 どういうことか訊くと、彼はコーヒーを味わいに行くのではなく、喫茶店を味わいに行くのだというような意味の事を語ってくれたことがあります。 彼の残した詩集の一つに「横濱喫茶繁盛記」という詩集がありますので、機会があれば紹介したいと思っています。
 喫茶店の持つ魅力の一つに、徒夫散人はウェイトレスを挙げていました。 名も知らぬウェイトレスと名も知らぬ客である自分との関係を、或いは存在そのものを彼は楽しんでいたかも知れません。 彼の娘もまた喫茶店ファンですが、彼女の場合、その居心地の良さには、周りにいる人達の織りなす雑音的環境が少なからず関係していると言います。 ものの本に上手い表現がありました。 それは、「心地よい匿名性」といった言葉でした。 そこに集いながら、そしてお互いの存在に気が付きながら、しかし雑然と調和している匿名の人々との関係を心地よいと感じることのできる空間という意味でしょうか。
 十数年前の知り合いに、岸直見さんというシンガーソングライターがいました。 彼女の歌に「ドリームカフェ」というのがあります。 おそらく悲しみのどん底で書かれたのではないかと思われるその歌は、「寂しいなら此処へお入り。誰も知らない此処はドリームカフェ」という歌詞から始まります。 この「誰も知らない」は、そこが秘密の場所であることを示唆しているようです。 そして、「あなたの事も、あの日の事も、誰も訊かない此処は...」と続きます。 この歌は、救いを求める場として、やはり匿名の空間を選んでいます。 その歌には、優しさを孕んだ匿名性が漲っています。
 一方、喫茶店に立ち寄るまでもなく、ちょっと街中を眺めれば、そこにいるのは名も知らぬ人達ばかりです。 通りを行き来する人達は、皆匿名の人物です。 通りや駅や盛り場やオフィス街で、我々は専ら無関係という関係を保っています。 少なくとも人が都市に集うようになってから、我々は匿名の海に暮らしているのです。 このことは、不思議な衝撃を伴います。 子供の頃、学友達に囲まれていた頃には考えもしなかったことだからです。 お互いを知っている人より知らない人の方が圧倒的に多いということ、そして自分は正にその匿名の海を泳いでいるのだということを、少なくとも僕は今頃になって不思議に感じています。
 早稲田の学生だった頃、理工学部のキャンパスが嫌で仕方なかったものですから、通学途中に山手線で1,2周うたた寝し、適当な駅で降りて遊びに行くということがよくありました。 ルーレットみたいなものですね。 その日は御徒町かどこかで降りて、西も東も分からぬまま一人歩いておりました。 夏の暑い日で、どこかで涼をとりたいと思いつつ、さて湯島辺りにさしかかったときでしょうか、コーヒー・紅茶200円の貼り紙が目に入りました。 当時コーヒーは既に350円くらいしましたから、「安い!」と喜んで、半分地下のようになったその店に降りました。 屋号はよく覚えていませんが、「日輪」のような感じだったと思います。 店内は、しかし何とも喫茶店らしからぬ雰囲気で、薄暗い中に客は自分だけ、壁一面の棚に白磁だか青磁だかの湯飲みやなにかが所狭しと飾られ、古ぼけた箪笥のような日立の業務用クーラー(エアコンではない)が汗をかきながら稼働しており、BGMは一切なく、時折店員のハングル語と思しき会話が聞こえるだけでした。 照りつける日差しを受けた窓の外の景色は過去の映画のような別世界に感じられ、巨大なクーラーが唸りを上げているに関わらずこの上なく静寂感を持ったその空間に、オーバーではなく、自分が誰で今日が何時で何故此処に居るのかさえ忘れてしまいそうでした。 一体どれほどの時間其処にいたでしょうか。 気が付いたときは、また外を歩いていました。 その日は確か四谷まで上がって青山を通り渋谷に抜けて帰宅したように思います。 途中、上智か青学の学食で何か食べ、帰りの電車に乗る頃には日が暮れていたように記憶しています。 僕は自分が何者かということも、何をしなければならないかといったことも、全く理解していなかったものと思われます。 そして、それは今でも変わりません。

--- 26.Mar.1998 Naoki


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