天使の青い風船

初めて会ったとき彼女は小学校の4年生でした。
どんな子かというと
こういうのをオシャマっていうんでしょうか
メガネをかけていて文系的な雰囲気ながら活動的。
当時人気を博していた映画ハリーポッターに
ハーマイオーニという小娘が登場するんですが
僕はすぐその子を連想しました、まさしくあんな感じ。
グランドへ向かう道すがら
お父様から「よろしくお願いします」と紹介されると
彼女は真っ直ぐ僕の顔を見上げ眩いほどの微笑みをくれました。
何か楽しいことが起こりそうという期待に満ちた光をその目は宿していて
僕も思わず微笑み返した。
言葉を交わす前から一瞬にして心が通じたとでもいうか
何かそんな不思議な印象がありました。

ついでに言えば、彼女は少々怖がりでした。
メガネを外すとボールがよく見えないということがあったのかもしれませんが
ちょっと強いボールが飛んでくると身を硬くして飛び退いてしまう。
ヘディングや胸トラップは断じてやりませんでしたし
相手とぶつかりそうになると立ち止まり、くるりと背を向けてしまう。
けれど動きは、キビキビ、ピチピチしていた。
当時のキャプテンは彼女を可愛がり
紅白戦の途中で傍に寄って何やらアドバイスをしたり
どんどんクロスを出してシュートさせたりしていました。

その年、初めて夏休みの強化練習というものを組みました。
そうしないと、女子の場合、1ヶ月以上ボールに触れなくなるからです。
これには、女子の特性というより、環境面の原因があります。
娘さんのサッカーに熱心なご家庭は稀です。
息子の場合だと、ウチの子はJリーガーになれるでしょうか
などと本気で訊いてくるキュートな親御さんもいると聞きますが
娘の場合だと、何でもいいから元気に外遊びしといで
みたいなノリが殆どで、別にサッカーである必要はない。
親に期待されない取り組みに、子どもはあまり入れ込まないものです。
更に言えば、ボールを抱えて校庭や公園に出かけたところで
同様の女の子はまずいないし、男の子達に煙たがられるのがオチです。
もちろん、そんなハードルをものともしない女の子もいますが
まぁ、20人に1人だと思って間違いないでしょう。
残りの19人は球蹴りなどする環境になく
夏休み強化練習を企画して女の子達の参加を募ったのは自然なことでした。

やってくるのはせいぜい4〜5人なのですが
その中には必ず彼女の顔がありました。
炎天下ということもあり、たいした練習はできません。
頭から水をかぶってボールタッチしては日陰で休憩
また水をかぶってパス練習をしては日陰で休憩
あまり、というか確実に、面白くない練習だったと思います。
けれど、彼女達には楽しみがあった。
アイスクリームです。
練習後に振舞われる1本のアイスを口に含む
その至福のひと時を楽しみにやってくるわけです。

もちろん、集っていた子達の名誉に賭けて言えば
単にアイスだけが目当てで集っていたわけではありません。
やはりある程度以上サッカーが好きだから
上達したいからやってくるわけです。
サッカー8割、アイス2割といったところでしょうか。
ところが、彼女は違う。
まぁ、贔屓目に見て、サッカー8分、アイス9割2分といったところ。
のっけから「アイス食べたいナ」、「ねぇ、アイスにしよう?」と始まる。
「だめだめ、ちゃんと練習してからね」と断っても「アイス、アイス」。
「真面目に練習しなきゃあげないよ」と告げると「真面目にやってるよ」。
呆れた僕は「ぜんぜん真面目にやってないじゃん」と批判した。
そのときでした。
「あっ」と思ったがもう遅い。
彼女、しゃがみ込んで泣いてしまったのです。
「えええーっ?」と驚くコーチ、これはまずいことになった。

ちょっと想像してみてください。
可愛らしい少女がうずくまって泣いている。
その横にズボと立っているイイ歳したヒゲの男。
こんな最低の構図はありません。
こんなところを他人(ひと)に見られたら
児童虐待にしか見えないじゃないですか。
相手が男の子なら僕だって対処できる。
しかし、女の子の場合は全く勝手が分からない。
娘もいないし姪もいない僕にとって
これはもうギブアップ、ノックアウト状態なのです。

幸いにも他の子のお母様が練習を見にいらしていて
おやおやとばかり助け舟を出してくださった。
天を仰いでいる僕のところに来て「大丈夫ですよ」と囁くと
「さぁ、立って、立てるよね?」
厳しからず優しからず凛として起立を促すお母様。
さすがは女親と感心している場合じゃない。
その方にお願いをして逃げるようにアイスを買いに走るヒゲのコーチ。
戻ってくると、お母様はその子の背を押し
「コーチが帰って来るまで真面目に練習してたんだよね?」
涙目で肯いて見せる少女。
それから少しボールを蹴って練習終了。
彼女の機嫌も戻ってきました。
別れ際「またやろうね?」との声かけに
「ウン」と応えてくれた少女の
天使のような笑顔に救われた拙い指導者。
「またやろうな!」

彼女は彼女なりに期待に応え、彼女なりに成長していきました。
相変わらずスクリーニング(体を張ってボールをキープする方法)
の練習は大嫌い、接触プレイは苦手、ヘディングなんて言語道断
相手にアプローチするときもすぐにお尻を向けてしまうスタイル。
しかしながら、いつの間にかインステップ・キックが強力になり
スピードにもの言わせてのラン・ウィズ・ザ・ボール
(細かいドリブルではなくボールを大きく前に出して突破する方法)で
決定的な場面を創出するようになっていきました。
もはやそのスピードはロートルの僕を凌ぐに余りあり
しかも単なる時速以上に速く見えます。
おそらく、スタートの良さと
トップ・スピードに達する早さによるものと思います。
そして、面白いことに
走っている最中の彼女の写真は
いつも宙に浮いているのです。
空中を移動しているかのような空飛ぶドリブルを武器に活躍を重ね
昨年、6年生になった彼女は
皆が期待するエースへと成長していました。

他にだって上手な子は何人もいました。
体を張ったディフェンスからアグレッシブなオフェンスまで大活躍の子
一見大人しそうだが抜群のボール奪取力としっかりとしたキック力を持つ子
もっと逞しい子もいたし、サッカー頭の良い子もいたし
下級生にもテクニシャンや筋の良い逸材はいました。
その中にあっても、アタックを掛ける彼女のスピードと
積極的にボールを呼ぶ元気な声は逸品でした。
そんな姿が事務局の目に留まったのでしょう
やがて彼女は選抜に選ばれることになります。
いや、選ばれてしまったというべきか。。。

事実上の市選抜なのですが大半は市内の県選抜選手で構成され
市都対抗戦目指してトレーニングを積むという代物です。
これにはさすがに心配になりました。
相変わらずボールは怖いし接触プレイも苦手な彼女が
本格的にサッカーをやってきた子どもらに混ざっての
厳しいトレーニングに耐えて行けるのだろうか。
練習試合だって6年生の男子が相手になりますから
タックルも今までの比ではありません。

僕は、祝福に景気づけを兼ね
彼女の誕生日にサッカーボールをプレゼントすることにしました。
お兄ちゃんからお下がりのボールが甚だしくボロボロなのを知っていたし
偶然自分用に購入しておいたボールが余っていたからです。
大人は5号球を使いますが小学生は4号球という小さなサイズを使います。
念のため両方を揃えておいたのですが、結局4号球は使わずにいました。
清楚な白地に青いラインの入った比較的珍しいロテイロで
彼女のイメージにピッタリのデザインでもありました。

夏休みには、強化練習に加え、彼女のための特別練習を企画しました。
何もせずに彼女を選抜へ送り込むのはコーチとして無責任だと思ったのです。
幸い、彼女には彼女に勝るとも劣らぬ実力を持った親友がいるのですが
その子も付き合ってくれるということになりました。
盆の帰省や家族旅行でチームメイトたちがいない間も
その子と3人でトレーニングを積むことができたのです。
もちろん、練習の最後はお約束のアイスクリーム!
3人きりという寂しい練習環境にも関わらず
これはこれで忘れがたく楽しい夏の思い出になりました。

そして、蓋を開けてみれば
選抜への不安は取り越し苦労に終わりました。
子どもの順応力というのは思いのほか逞しいのですね。
もちろん、彼女自身は相当に勇気を振り絞って臨んでいたようです。
選ばれたくても選ばれなかった仲間達に
ここでくじけては申し訳ないと思ったのかもしれません。
あるいは、怖がりな自分を克服したい、上手くなりたいといった
彼女自身の成長願望がそうさせたのかもしれません。

スペースに走りこんでボールをもらう動きに磨きが掛かり
相手ディフェンダーの背中を取る(相手の視野から消える)動きを習得し
すぐにお尻を向けるスタイルは次第に真空飛び膝蹴りスタイル
(取り敢えず前は向いている)に変化しました。
新しい友達もでき、練習試合でも時々フォワードで出してもらい
市都対抗戦に至っては横浜選抜の優勝に貢献したのです。
この優勝について「私は何もしてないから」と彼女は言うのですが
客席から観戦していた僕はそうでないことをよく知っています。
走りこむときの目を見張るような速さ
相手ディフェンスを撹乱する動き
ボールを持った相手に積極的にタックルし
なんと体を寄せてヘディングを競ってまで見せてくれました。
まぁやってみてください、これってけっこう勇気が要るんですよ。
本当にカッコ良かった。
改めてファンになってしまいました。

如何せん、今季我がチームの成績は振るわず
選手達も次々と(サッカーでではなくオフのときに)怪我をして
満足のいく活動にはならなかっただろうと思います。
最終戦に至っては、彼女自身が学校で負傷し
出場すら危ぶまれたところ最後の数分だけピッチ・イン。
持ち前の威力を完全には披露することができませんでした。

女子は、中学生になると、サッカーをやる場が殆どなくなります。
少々離れたところにあるクラブチームに通うか
全国に数校しかないサッカー部を有する特定の女子中学に進学するか
それ以外に道はありません。
当たり前のように部活でサッカーを楽しむことが
女子には許されていないのです。
中学に乗り込んで相談する方法も1つですが
卒団生は少なくとも5つの中学に分散して進学しますから焼け石に水。
「○○中学は体育の授業でサッカーもやるらしいよ」
「本当?やった!」と喜んでいる彼女達の会話を
複雑な気持ちで聞いているほかありません。
ボールを蹴りたくなったときいつでも遊びに来られるよう
チームの会則に「レディーズメンバー」という活動枠を設けましたが
対外試合や大会参戦まで持っていくハードルは少女以上に高い。
学友達と部活で女子サッカーをする環境がどうしてできないのか
切歯扼腕、1人の力では如何ともし難い現実です。

卒団パーティーの席、皆でわいわい食事をし
スライドショーを視たり、歌やゲームに興じたりする中
彼女だけはふと寂しそうな表情を覗かせていました。
お母様方が飾り付けてくださった風船の中から青いのを1つもぎ取り
彼女はそれを、修了証を受け取るときも
卒団の挨拶をするときも放さなかった。
春の晴天を想わせるその風船の青色は
僕の心を掴んで放しませんでした。

水を得た魚ならぬ風を得たエンジェル
彼女は空を飛ぶように走った
2〜3人を抜き去って角度の無いところから放った
強烈なクロスシュートがサイドネットに突き刺さった
夏休み、朝の特別練習に来た2人のエンジェル
練習の最後にはアイスクリームが待っている
エンジェルと彼女の白いアディダス・ロテイロ
新調した同色のシューズは選抜対抗戦後お兄ちゃんに
選抜対抗戦、相手DFの背中を取ってボールを呼ぶ
外に開く動きで2回戦目の決勝点に貢献した
怪我を押して出場した今季最終戦の晴れ姿
春の青空の下で


--- 26.Mar.2007 Naoki

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