僕は、くじ運というものが殆どありません。 ワールドカップチケットの抽選から何かのパーティーでやるビンゴゲームまで、「当たった」という経験がない。 幾ら思い起こしてみても、その手の経験が見当たらないのです。 同じ世界に身を置く者として、何故自分が常時確立の高い一般的で平凡で平板で退屈でその他大勢に埋没した運のない存在なのか不思議に思うと同時に、その日常性の中に安心している小市民であることを感じます。
かくいう自分ですが、では奇遇というものを経験したことがないのかというそうでもない。 けっこうあるんですね。 なんだこのタイミングは・・・といった経験はけっこうある。 すぐまた日常の中にそれを忘却してしまうんですけどね、でもまたそういうことがあると既視感のようなその奇遇を反身になって受け止めることになる。 「これは何かの暗示か・・・?」などと穿ったことを考えつつ、結局は忘れてしまうんですけどね。 だから、奇遇は公平に訪れているのかもしれない。 自分の平凡を憂う人は、実はその平凡が好きなんだな。 平凡とは凡人と称される特異なパラノイア達の集合に他ならないのかもしれないのだけれどね。
こういう凡人を演らせたら第一人者じゃないかと思う役者に、イッセー尾形という人がいます。 脚本家の森田雄三氏とコンビを組んで1976年から活動を開始。 当初はブレヒトの作品を演じていたそうだが、処女作(←ん〜最も似合わない表現)「アトムおじさん」を初演。 ストリップショーの幕間に出てくる老いたコメディアンの一人芝居です。 大阪の200人ほど入る小屋で、3人の観客を相手に全くウケない。 受け入れられていない。 そんな疎外感が、主人公と尾形さん自身をオーバーラップさせたんだそうで、本来5分ほどのネタを20分もやったのだとか。 それは、イッセー尾形一人芝居という新境地が産声を上げた瞬間だったようです。 ここから尾形・森田コンビの快進撃が始まります。
僕は、未だ一度も生の舞台を見に行ったことがありません。 僕が興味を持ち始めた90年頃には、もうイッセー尾形の芝居と言えばどこも満員札止めの活況で、余程用意周到にスケジューリングしておかないと潜り込めなかった。 しかも、当時僕はことのほか雑踏嫌いで、人込みの中に入るとすぐまいってしまう質でしたから、とてもこの人気の芝居に足を運ぶ勇気はありませんでした。 そこで、もっぱらテレビやビデオで観賞していました。 「都市生活者カタログ」や「とまらない生活」といったシリーズに魅了され、 「バーテン」、 「もてた話」、 「単身赴任」、 「ヘイ、タクシー!」、 「地下鉄」、 「スケベ教師」、 「コンピューター再就職」、 「結婚相談所」、 「中華屋」など、 お気に入りの作品が幾つもありました。 凡人の持つ偏執性が社会との間に織り成す軋轢と疎外感を笑いという切り口から浮き彫りにするような手法で、新劇とも喜劇とも落語ともパントマイムともつかぬ不思議な、けれど自然で、しかもわくわくするようなお芝居でした。
ここのところ、仕事仕事でストレスが溜まり、ふとイッセー尾形の芝居が見たくなりました。 ネットオークションでビデオ数巻を手に入れ、昨夜の帰宅は午前0時過ぎでしたが早速再生。 明日体がもつかなとは思ったけれど、もう1巻だけ、もう1話だけと観賞して、就寝の決心がついたのは朝方の4時ごろでした。 案の定、今朝は起き上がれず、遅い時間に出かけることにしました。 ここ1ヶ月、サッカーや地域活動の引率があるとき以外は休日返上で深夜まで働いているのだから、この程度の遅刻には居直りの心境。
僕は、車通勤です。 体力が枯渇しないのはそのお蔭かもしれない。 小1時間で通勤することができます。 その間、煙草を吸おうが、音楽を聞こうが、ラジオを聞こうが自由です。 時節柄、ラジオで「夏休み子供科学電話相談」をやっているはず。 また子供達の可愛い息遣いでも堪能しようかとラジオをON。 ところが時間帯が遅すぎたのか、「ちょっと一息ティータイム」をやっているようです。数年前まで「ラジオ談話室」という番組の枠ではなかったかと思うのですが、「ティータイム」なんだそうで、どっちかというと「談話室」の方が好きだった。 「ヨコヤマヨシヤス」とかいう低い声の男性アナウンサーがインタビュアーで、そもそもこの人自体が魅力的だった。 いろんな分野からゲストが来るのだけれど、聞き出すのが上手でね、先ずハズレはなかった。 話で感動するなんて、そうそうない経験ですからね。 ところが「ティータイム」になってから、数回しか聞いたことはないけれど、なんかお喋りみたいになっちゃって、ゲストの自慢話に付き合わされるくらいが関の山かなという印象になってしまった。 んじゃ消すかラジオ、とは思ったけれど、一応面白い話であるかもしれない、ゲストが誰か、どういう分野の人かくらいは聞いておこうと思いました。
しゃがれた男の声、生放送か、起き抜けなんだろうな、退屈そうだな、本を出したって?、本の宣伝かよ、やっぱ消そうかな、ん?、おや? その口調には馴染みがある。 昨夜ビデオを見すぎて耳についたかな? まさかと思い聞き続けていると、女性アナウンサーが「おが○さん」とか「○っせさん」とか呼んでいる。 間違いない、今日のゲストはイッセー尾形さんのようです。 こんな偶然あるんだなぁ。 ネットオークションを覗いてみた、入札した、落札した、商品が届いた、その夜に観賞した、朝寝坊した、CDやめてラジオにした、そしたら居た。 たいしたことなさそうだけど、例えばビデオを入手する確立、尾形さんがその日その時間帯のラジオに出る確立、寝坊する確立、ラジオを聞く確立なんかを単純に乗算しただけでも天文学的な確立になります。 実は誰しも偶然の中で生きている特異な存在、只それに気付かないでいるというだけなんだと思います。
尾形さんは、来年で50才だそうです。 ちょっと信じられない気もする。 様々な人格を鮮烈に演じ分ける彼自身は、自然体でニュートラルな人物に思われます。 俳優という肩書きも必要に迫られて用いる程度。 「なにか創造活動をしているかしていないか、ONかOFFかしかない」と語りながらも「本来消極的な人間なんです」と謙遜。 どんなデフォルメをするのかといった質問に、「デフォルメ?いやデフォルメはしないんですけど、正確に外見を作って、距離とか状況を正確に出すように心がけてまして・・・なんか僕、すごく正しいことしてるみたいですね!」と笑いを促す。 「みっちり稽古をしてから舞台に上がれば、根拠はないんだけど、あれだけやったんだからいいはずだと少し安心できる」というコメントには、自分が初めて弾き語りライブをやったころの心境がオーバーラップしました。 イッセー尾形の一人芝居は海外でも大好評を得ていますが、当初の報道は各国とも「日本人にも心があった」といったニュアンスのものだったそうですから面白い。 そして、彼の演じる凡人は、実は世界的な共感をもって受け入れられているのです。 現実逃避型のエンターテインメントが全盛の中、現実を真正面から突きつける、そこに笑いがあり悲哀があり感慨がある。 現実は捨てたもんじゃない。 イッセー尾形の一人芝居は、現実を残酷に、コミカルに、そして優しく彩ってくれます。
http://www.issey-ogata.net/
にホームページがあります。
様々な情報のほか、メーリングリストや後援会入会の案内もあり。
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