その夜、退社して遅めの夕食をとろうと車を走らせていました。
こういうことはよくあって、金のあるときは寿司屋、ないときはファミレス、最近は沖縄料理の店。
どの店でも顔を覚えられ、ときどき知った顔にも出会います。
しかし、沖縄料理店は定休日、ファミレスという気分でもないことから、もう一つ行きつけの中華料理屋に乗り付けました。
入るや否や「えらいことになってますよ」と店のお兄さんが興奮していました。
なんでも、高層ビルに飛行機が衝突したというのです。
「いまテレビでやりますよ」というので、貸しきり状態になった店内でチャーハンなど口にしながらニュースステーションを見ることにしました。
台風15号の被害についてひとしきりニュース放映がされたあと、黒煙を上げているニューヨークの世界貿易センタービルが映し出されました。
ジェシカ・ラングのデビュー作、映画キングコングのクライマックスシーンにもなった、あのツインタワーです。
キングコングが登ってもびくともしなかった巨大ビル。
台風や空襲を連想させる日本のゴジラ映画とは対照的でした。
ラストシーンでは、キングコングが撃ち落され、それを哀れむジェシカ嬢が泣き崩れるという塩梅だったのを記憶しています。
眩いほどクリアな快晴。
事故にしてはどう考えても不自然なので、パイロットが気でも振れて突っ込んだのかと思いました。
そうしたら2機目が激突、誰の目にもテロだと分かる、身の毛のよだつような光景でした。
間もなく煙を上げている国防総省も放映され、否応なく「世界戦争」という言葉が頭に浮かびました。
対岸の火事でないことは明らかで、日本他四十数カ国の人々に多くの犠牲者や行方不明者が出ていますし、世界全体の安全や経済を著しく脅かしていることも確かです。
イスラム原理主義勢力の仕業との見方が強まっていますが、これを機に欧米がキリスト教原理主義的心境に陥らないよう祈って止みません。
そもそも、一神教は決定的な排他の宗教、別れて暮らすことができなくなった昨今では、例えば日本人のような何でもありの中空思想でもない限り共存の教えにはなりません。
中空思想が論外なら、真ん中の穴には何を据えればいいのか、核抑止力でないことは分かってきましたし、単純な資本主義や市場原理でもなさそうです。
アメリカ人が最初に連想したのは、パールハーバー、旧日本軍による真珠湾攻撃だったようです。
最近、これをモチーフにしたハリウッド製特撮恋愛娯楽大作のロードショーがあったからでしょうか。
そのときは二千人以上の人が亡くなったそうですが、今回は数千人以上とか。
米国が標的となった奇襲作戦ということや、神風特攻隊と自爆テロにも類似性が感じられるのでしょう。
しかし、見て来たわけではないけれど、真珠湾攻撃は軍服を着て軍施設へ攻撃に行ったのではないのだろうか。
真珠湾攻撃の頃にあったのかどうかは知らないけれど、神風特攻隊が民間機を乗っ取って突っ込むなどという非道な真似をしたのだろうか、などと思いをめぐらせると、どうもアメリカ人の第二のパールハーバー発言が些か心外だと感じるのは僕だけでしょうか。
そもそも、どんな大義名分があったにせよ、広島・長崎の三十万人近い※一般市民を殺戮した蛮行に及んだ歴史があるのは米国。
思い出すなら、そちらの方にしてもらいたい。
今回、もし核が投入されるとしたら、我々日本人はどういう態度をとらなければならないでしょう。
人を人とも思わぬ蛮行は地球上から排除されるべきだけれども、人への報復や民族・宗教への攻撃は、原爆の例から学べるように、正義なき泥沼に違いありません。
原爆詩の詩人、大平数子という方の「慟哭」という詩ではなかったかと思いますが、その詩の一節を思い出します。
詩は、亡くなった息子兄弟を探し求め、呼びかけている口調から、いつの間にか普遍的な語りかけに変化し、最後にこう結んでいました(正確ではありませんがお許しください)。
剣を抜くことは正義ではありません。
正義とは、お母さんを悲しませないことです。
分かるでしょう?
だって、みんなお母さんの子供なんだから。
この場を借りて、今回のテロでお亡くなりになった犠牲者と殉職者の方々のご冥福をお祈りし、遺族の方々へ心からお見舞いを申し上げたいと思います。 そして、テロ成功に歓喜している純心で無知なアラブの子供達の命が脅かされぬよう、イスラムの母たちが涙を流さずに済むよう、世界各国の誇りある対応を期待して止みません。