子どもの遊び
あけましておめでとうございます。 仕事始めです。 昨年はいろいろありました。 何回かライブがあった、 サッカーもいろいろあった、 仕事でも大きめの変化がありました。 世の中は酷かった、 戦争、犯罪、災害、酷いものでした。 エッセイにできそうなことは後を絶たなかった、 にもかかわらず、全然筆が進みませんでした。 これを筆が重くなったという形容で済ませていいのかどうか。 先ず、時間がなくなった「ような」気がします。 深夜、テレビを観ながら気絶してることもしばしばで、 書く時間がない「ように」思うのです。 でも、この言い方も正確ではない、 書く時間ではなく、考える時間がないのでしょう。 テレビ、ウォークマン、パソコン、携帯電話、 情報は情緒の分野をも席巻しています。 もの思いにふける暇があればiPodで音楽を聴き、 携帯電話でインターネットはおろか テレビ放映まで観ようという体になりました。 仕事は、電話ではなくメールで、乱雑に、勝手に、 マルチスレッドで飛んできます。 いきおい、仕事はとんでもなくマルチタスクで、 研究や実験というプロセスは手抜きにならざるを得なく、 インターネットをつつけば嘘か本当か答が出てくるので、 調査や分析は高速化したが薄っぺらになった。 ユビキタスでもってマルチでもってスピーディーなんだけど、 自分を省みる時間が失われました。 自分を考える時間、 思春期にはふんだんにあったように思います。 難しい事じゃなく、今日あったことを反芻し、 明日を夢見る時間があったように思います。 少なくとも、部屋でボーとしながら、 あるいは寝床の中で考えた。 今はテレビの前でビール片手に気絶してるわけですから、 考えないわけです。 時間がないのではない。 なければテレビを消せばいいし、 携帯電話の電源を落とせばいいし、 パソコンを立ち上げなければいい。 情報が増えた分、人と会う機会は減りました。 もちろん、仕事や何やで否応なく会う人とは会う。 けれど、心のレベルで人と時間を共にしたり、 一期一会の関係を暖め合う機会は滅多にない。 物理的には会うが、出会わない。 Eメールやインターネットの掲示板を介して シンボリックな交信を行うことは圧倒的に増えましたが、 それは交信しているのであって会っているのではない。 活字や音声の情報量は限られています。 テレビ電話とて、1秒間に数〜数十コマ、 たかだか数十〜数百万画素の二次元映像でしかない。 会うことはディジタル化できません。 昨今、情報量は多いように見えて欠乏している。 人が人と出会う、あるいは遭遇する。 偶然と感動は友達です。 そういった場がないときは、作らなければならない。 音楽ライブっていうのも悪くはなかった。 ある意味オープンマインドの場で、 一人一人が自分の殻を破って出てくるのに絶好の機会。 しかし、ライブにもよりますが、 往々にして予定調和の中に精神が埋没する。 思った通りに楽しく、 思った通り素晴らしく、 思った通りのアンコールに これといったドラマのない時間が経過する。 即興演奏ならいいんじゃないかっていうと、実はそうでもなく、 即興ほど予定調和が重要だったりします。 一方、スポーツというのはドラマチックですね。 不確定要素満載のサッカーは特にそうであり、 中でも発展途上真っ直中の子どもたちは名役者です。 多くの驚き、気付き、輝きを振り撒きながら、 彼らはピッチを疾走します。 彼らにとってのサッカーとはゲームのことです。 ゲームは試合と訳されますが、ゲームはゲーム、 トランプゲーム、椅子取りゲーム、テレビゲームと同じゲーム。 勝ったとか負けたとか、はしゃいだり悔しがったりする。 ゲームとは遊びそのものです。 なにしろスポーツという言葉の語源自体が 遊び戯れるという意味だったんだそうですよ。 Deportare、直訳すると荷を担わない、 すなわち仕事しないという言葉が、 Desport -> Disport -> Sport ってなふうに変化したらしい。 遊びという言葉は、日本ではサボるとか巫山戯ると同義。 ネガティブで不道徳な言葉だから、 誰もスポーツを遊びとは訳さない。 でも子どもたちにとってこれは不可欠。 少なくとも動物の子どもたちにとっての遊びが 死活問題に通じる重要な営みの一つであることはご存知の通りです。 昨今、いや昔からか、僕はこれを拡大解釈しており、 遊びは成人にとっても、はたまた老人にとっても、 非常に重要な営みなのではないかなどと考えています。 ・・・という自己正当化の布石を打った上で、 忙しい、時間がないと言いながら、 僕はかつてよりも貪欲に、 生活に遊びを組み入れようとしています。 インターネットで知り合った 少年サッカークラブの有志を集め、 年に一度ミニサッカー大会を開くのもその一環です。 目黒、千葉、埼玉、藤沢、鎌倉、横浜、 一昨年などは大阪からも参戦者がありました。 学年に関係なく、性別に関係なく、 彼らは即席のチームを組み、 即席の仲間達と勝利を目指して戦います。 昨年暮れにも開催されましたが、これまでに劣らず たいへんエキサイティングでドラマチックなゲームになりました。 この大会をホームページに記録しています。 この大会は、サッカー掲示板のオフ会フットサル、 略して「オフットサル」と呼ばれています。 --- 4.Jan.2005 Naoki |