歌詞のこと(その2)

 元来、俳句というものには興味も理解も持ち合わせませんでした。 池に蛙が飛び込んで何が面白いねん、程度の認識しかなかったんですね。 そもそも「季語」なるものが必要というのも気に食わなかった。 なんか、いかにも予定調和的で旧弊な感じがしたんです。 けれど、今ではやっと物心がついたというか、俳句のファンになっています。 この国に長く生きてれば、否応なく俳句に出会う機会がある、そのお陰でしょう。 たとえば、あの渥美清さんも詠まれてたんですね。 俳号は「風天」だったそうです。

はえたたき握った馬鹿のひとりごと

 思わず寅さんを連想しちゃいますけれども、ただそれだけじゃなかったんです。 「蠅の野郎、覚悟しやがれ!」と息巻いているのかもしれないし、 「どこ行きやがった?」と集中しているのかもしれないし、 「畜生、逃げられたか」と悔やんでいるのかもしれないし、 「俺、いったい何やってんだ・・」と自嘲しているのかもしれない。 それは、読み手の感じ方、想像力に委ねられます。 そうはいっても、汗の滴るような夏の暑さ、シーンと音がするほど静まり返った部屋、そして動脈を伝わる胸の鼓動に僅かな時の流れを感じる方は少なくないでしょう。 基本的に上五、中七、下五の「五七五」というたった十七音でこんな緻密な空間や時間が再現される、考えてみれば不思議ですよね。 ただし、渥美さんの場合、五七五には拘らない「破調」と呼ばれる形式の句も多かったようです。

蟹悪さしたように生き

 「蟹」が上五でしょうか、圧倒的な字足らずですね。 「悪さしたように」が中七でしょう、これはまあまあ収まっています。 決して前進せず、横歩きして、ササッと岩陰に隠れては、また現れる。 愛らしくも日陰者、悪事も働くが、臆病で、滑稽で、どこか卑屈な仕草の蟹が目に浮かぶようです。 なんとなく渥美さん自身の姿を連想させるようで、微笑ましくもありますね。 ところがです。 このあと下五のはずの部分が、「生き」。 ガツンとアッパーカットを食らったような気がしました。 わけもなく、じわりと涙が込み上げてくるのはなぜでしょう。 おそらくですが、その蟹に、読者が自分自身を投影してしまうからではないでしょうか。 なんか、俳句って凄いな、という気がしました。 たまたまこういった句に遭遇したお陰ですね。

 そして、決定的だったのが、人気娯楽番組の「プレバト!!」です。 芸能人たちが俳句を競い合い、夏井いつき先生が添削をしてみせるという嗜好。 もう七年(?)も続いているそうですが、あまりその実感はなく、見る度に新鮮な感慨があります。 驚いたことに数年前、愛媛に初出張した宵に大学サークル時代の先輩後輩と遊んだんですが、明日も朝早いのでと夜中にホテルへ送ってもらったところ、なんとその夏井先生と遭遇したんですよ。 夜闇からいきなり飛び出してきた男に絡まれるのは迷惑どころか恐怖以外の何ものでもないでしょうから、握手、写真、サインの類は求めず、ソーシャルディスタンシングよろしく距離をとってご挨拶だけさせて頂きました。 「いつも拝見してます! いつも感動してます!」みたいなことを申し上げたと記憶。 実際、感動することがしばしばあるんですね。 夏井先生の添削にも感動しますが、添削なしの傑作も時々出てきます。 特に、東国原英夫さんの句には、秀逸な句が多いような気がします。

鰯雲仰臥の子規の無重力
(2018年「俳句甲子園」対外試合決勝句)

凍蠅よ生産性の我にあるや
(2019年「プレバト!!」冬麗戦優勝句)

信号の点滅は稲妻への合図
(2019年「プレバト!!」金秋戦優勝句)

 さて、こういった俳句と、楽曲の歌詞と、何か共通するところはあるでしょうか。 音楽となると、リズム、音色、メロディ、ハーモニーといった様々な要素が絡んできますから、ざっと考えれば別物。 もちろん器楽曲は歌詞が不要、歌ものにしたって時間の流れが違う。 俳句は、スチル写真のように一瞬ではないにせよ、時の流れが僅かです。 はえたたきを持つ馬鹿も、悪さしたような蟹の動きも、空高く仰ぐ鰯雲も、動きの鈍い凍蠅(いてばえ)も、信号の点滅も刹那です。 一方、代表的な日本の歌の一つである「鉄道唱歌」(作詞:大和田建樹、作曲:多梅稚)なぞ、汽笛一声新橋を出発してから、泉岳寺、品川、大森を経て、最終的に神戸(東海道編)まで行き着くのに、相当な時間を要しています。 国民的歌謡曲である六八九(作詞:永六輔、作曲:中村八大、歌:坂本九)の「上を向いて歩こう」なぞ、思い出す春の日、夏の日、秋の日と続き、おそらく一周回って冬に帰ってくる心の旅です。 長短バリエーションはあるにせよ時間の尺が違う、別物だ。 しかしです、大いに相通じるところもあるのではないでしょうか。

 たとえば、なぜ「上を向いて歩」くのか、それは「涙がこぼれないように」するためだと歌います。 至って説明的、散文的ですよね。 ところが、その次の瞬間、「思い出す春の日」と飛躍します。 で、「一人ぽっちの夜」なのだと。 なんだか俳句っぽくないですか? もっとわかりやすい例を挙げましょう。 「だまって俺について来い」(作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶、歌:植木等)というヒット曲がありました。 「銭のないやつぁ俺んとこへ来い」と頼もしげな歌い出しです。 如何せん「俺もないけど心配すんな」と言います。 昭和の高度経済成長前夜の雰囲気を彷彿としますね。 衝撃的なのは、その直ぐ後の歌詞です。 「見ろよ青い空、白い雲」ですよ。 どうですか、この跳躍力。 そして「そのうちなんとかなるだろう」と着地します。 無駄な説明は一切ない、なんだか俳句を連想しませんか?

 日本語の歌ってのはそうなっちゃうんだよ、というご意見にはうなづけます。 このベタベタとシラブル(音節)の並ぶ大和言葉は、如何にも情報伝達効率に劣る。 「わたしはあなたを愛しています」で15音を要します。 英語なら "I love you." の、いわば3音。 "I love you. I want you. I need you." を日本語で歌おうとすれば、ヘタをすると1コーラス費やさなければなりません。 だから日本語の歌詞は言葉を省略しなければならないんだと。 でも、本当にそれが理由でしょうか。 なんの因果かこの拙作エッセイを読むハメになった方には、おやおや、そろそろなんか小難しい話が始まるんだなと危惧される向きがあるかもしれません。 なんのことはない、実は俳句で必須とされてきた季語の拡大解釈を試みているだけです。

 思い返せば、和製フォークブームの頃、英語のフォークソングは叙事的だが、日本のそれは叙情的だという評価が我々の中にありました。 よって、英語のフォークはメッセージ性が強いが、日本のフォークはそれに欠ける。 もっとしっかりとしたメッセージを伝えるべきだ、と。 では、代表的なベトナム反戦歌とされたボブ・ディラン(Bob Dylan)の「風に吹かれて」(Blowin' in the Wind)を思い出してみましょう。 この歌は、男と呼ばれるようになるために人は幾つの道を歩かなければならないんだといった疑問から始まります。 そして、何年海に洗われるまで山は存在できるのか(たしか「山は死にますか」みたいな日本のフォークもありましたが)とか、永遠に無くなるまでに何発の砲弾を発射しなければならないのか(おそらくこのあたりが反戦歌にジャストフィットしたのでしょう)とか、次々と疑問が列挙され、遂にサビを迎えます。 では、そのサビは、戦争を止めようとか、愛し合おうといったメッセージだったでしょうか。 違います。 友よ、答は風に吹かれている、答は風に吹かれているよ、それがサビです。 これをメッセージソングと呼べるでしょうか。 単に反戦歌として利用されただけに過ぎないのではないでしょうか。 事実、この歌を書いたのはベトナム戦争が始まる以前だったとディラン本人が語っています。

 別の例を挙げます。 「ビコーズ・ザ・ナイト」(Because the Night)というヒット曲がありました。 ラブソングです。 原曲は、ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)という、大金持ちになったにもかかわらずボロボロの破れたジーンズを履いて大衆が共感するような貧乏臭い歌を唄っていた男によります。 如何せん、彼はラブソングが得意ではなかった。 そこで、女性ロックシンガーのパティ・スミス(Patti Smith)にこの曲を託します。 その結果大ヒットと相成るわけで、最終的な歌詞は彼女が完成させたのだろうと推察します。 ありのままの私を受け入れて、もっと近くに引き寄せて、と、なかなか色っぽい口説き文句から始まります。 ワイルドに、セクシーに、どんどん口説き文句を吐露し、とうとうサビに到達すると、いきなり "Because the night" と来ます。 だって夜は恋人たちのために、欲望のためにあるのよ、と。 けど、ちょっと待ってください、これ全然説明になってなくないですか。 誰もなぜ(Why)とは訊いていない、少なくともそういう問いかけがあったとは説明されていない。 しかも、あなたが魅力的だからとか、愛しているからとかなんとか、そういう整然とした因果関係ではなく、明後日の方から脈略もない唐突な理由が陳述される、なんだか論旨が通ってない。 よくよく考えれば、この "Because" 、大いに飛躍してるんです。 けど、だからこそ、サビに到達したとたんウワッと衝撃が疾り、誰もがこのフレーズの呪縛に掛かってしまったのではないでしょうか。

 こういった類、もちろんメッセージソングでもなければ、叙事詩とも言い難い。 まあ、歌詞なんですけれども、どこか、俳句の匂いがしませんか。 もっと直接的な例を挙げてみましょう。 ご存知、ビートルズ(The Beatles)の中心的メンバーの一人であったジョン・レノン(John Lennon)は、ポップスター(日本でいうアイドル)としての活動に辟易し、ニューヨークで開催された東洋の現代芸術家の個展を訪れました。 入るなり、梯子が立てかけてあり、どうぞ登ってくださいという格好。 ジョンは、興味本位にその梯子を登ったそうです。 なんの変哲もない梯子、しかし、上まで行くと、天井に小さな文字が書かれていました。 「もしそこに "No" と書かれていたら僕はとっとと帰っていただろう」と後年ジョンは語っています。 果たして、そこに書かれていた小さな文字は、"Yes" でした。 これが彼とオノ・ヨーコの出会いになります。 後に「マインド・ゲーム」(Mind Game)の中で歌われた "Yes is the answer" という歌詞は、この "Yes" に違いありません。 ジョンは、ヨーコを通し、日本の文化、中でも俳句に興味を抱いたと言います。 その影響を受けて書かれたのが「ラブ」(Love);

Love is real, real is love
Love is feeling, feeling love
Love is wanting to be loved

 初めてこの歌を聴いたとき、まさしく英語を齧り始めた中坊のときだったと思いますが、まあなんと観念的な歌詞だと感じたものです。 英語の歌というのは、こうも理屈っぽいものなのかと。 ところが、歳を重ねるに連れて、これが観念でも理屈でもないと感じるようになっていきます。 むしろ逆だったんですね。 確かに、具体性、論旨あるいは主張といったものは見当たりません、削ぎ落とされています。 そうすると何が起こるか、聞き手が具体性、論旨あるいは主張といったものを与え始めるんですね。 それを包含するように、作者と同様の、あるいは異なる、小さな、あるいはより豊かな世界が聞き手の中に広がります。 そして、名曲「イマジン」(Imagine)が誕生。 これも、ヨーコの詩集「グレープフルーツ」の主題となっていた「想像すること」(Imagine)にインスパイアされたものです。 様々な国の、社会の、境遇の人々に共有され、彼ら彼女らの心の内側に、そして外側にも、各々の新たな世界を出現させていきます。

 こういった歌に惹かれて生きてきましたから、自作の曲にもその傾向があります。 如何せん、凡夫がゆえに、なかなか伝わらない。 若い頃、あなたの書く歌は全くわからないと、自分のバンドのボーカルに言われたことさえありました。 「君の手の中には白い玉子がある」って、なんでいきなり玉子が出てくるの、意味わかんない、と。 仕方がないので何か意味っぽいことを説明しようとするんですが、元々文字通りの意味しかない、握りしめていた手の中から現れる玉子の白さを想い描いてもらうしかないわけです。 残念ながら、凡夫の場合、聞く人の心に届く確率は高そうにありません。 けれど、時折届くことがある。 そんなときは、凡夫が描いていたものとよく似た、ちょっと違う、あるいは想像を超えた広がりが生まれているらしい。 だから、歌を書く側は、届いてくれと祈り、受け止めてもらえることを信じて演奏します。 聞き手を信じること、これしかありません。

 俳句に不可欠とされる季語の多くは、使い古された慣用句です。 そのぶん、届きやすく、受け止められやすい言葉でもあります。 では、誰もが同じ感慨を共有し、予定調和に興じるための道具なのでしょうか。 そうではないのですね。 本番は、受け止められた後です。 そこから、作者とよく似た、ちょっと違う、あるいは想像を超えた世界が出現します。 受け手が二人いれば作者の二倍、十人いれば十倍の世界が出現していることでしょう。 まず受け手に届ける、そのために言葉の力を信じる、それが俳句でいう季語なのだろうと思います。 もちろん、リズム、音色、メロディ、ハーモニーと共にある唱歌の歌詞を俳句と同様に捉えることはナンセンスでしょう。 しかし、まず受け手に届ける、そして受け手を信じる、大いに共通点があるのではないでしょうか。

 さても、ライブ活動が困難だった昨年、バンド仲間たちと自作曲を録音しました。 高校時代に書いた歌から、まさしく昨年書いた新曲までの計8曲です。 誰かに届き、新たな世界が出現することを信じて。


--- 2021/1/15 Naoki

ForestSong ファーストアルバム
今朝見た夢
橋本直樹 Vocal, Guitar, Sanshin, Chorus
島田みゆき Vocal, Drums, Cajon, Percussion, Chorus
森山悦子 Bass, Chorus
江藤直子 Acoustic Piano (3, 7)
堤 研一 Electric Piano, Synthesizer (1, 6, 8)
ForestSong ファーストシングル
ユウレイ (Another Mix)
橋本直樹 Vocal, Guitar
島田みゆき Vocal, Drums, Percussion
森山悦子 Bass
江藤直子 Acoustic Piano

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