ドッグワード

 エライ時代になってしまって、パンデミック真っ盛り、もはや感染爆発×医療崩壊と表現しても過言ではない状況です。 こうなってから慌てているというのが世間、行政、政府の実態で、如何に正常化バイアス、前例主義、想像力不足(未然防止が大の苦手)が蔓延した国になっていたのかと思い知らされる今日この頃。 この1年半、レジャーは自粛、バケーションを楽しむことは皆無ながら、僕の場合、在宅勤務で糊口を凌ぐことができており、感謝すべき立場にあります。 しかし、転地はおろか、人と会わない生活がこうも続くと、気分が滅入ることは避けられません。 電話、メール、SNSといった手段はありますが、直に友人と会えない、友人たちと集えないというのは、ボディブローのように効いてきます。 反面、妙なところに気付いたりすることも。 今までは何の関心もなかったこと、見過ごしていたこと、聞き漏らしていたことが、眼鏡や補聴器を装着されたように認識できるんですね。

 テレワークが多くなり、リモート会議の機会が増えました。 対面のとき以上に、「え~っと」とか「あのぅ~」といった間投詞が耳につきます。 「フィラー」というそうです。 なぜ人はよくフィラーを差し挟むのか。 それは、言いたいことを整理したり言葉を選んだりしている間、割り込まれないようにするためなのだそうです。 チコちゃんがそう言っていたので間違いないでしょう。 しかし、リモート会議にはタイムラグや音声衝突・輻輳の難点があり、出席者は皆それを心得ていますから、発言中に割り込まれるようなことは希です。 だったら、そもそもフィラーは要らないはずですよね。 にもかかわらずフィラー満載で喋っていると、この人よく理解できてないんじゃないか、考えが纏まっていないんじゃないか、あるいは頭が悪いんじゃないかと思われかねませんから、損だと思います。

 リモート会議ならまだしも、スピーチやプレゼンテーションにおいて、フィラーは猶更不要なはずです。 だって、話す時間を与えられているわけですからね。 事実、少なくとも海外企業のトップ、CEOみたいな方々は、殆どフィラーを差し挟みません。 感心するほど淀みなく語ります。 せいぜい、拍手が鳴りやまなかったり、ジョークに応える笑いが収まらないときなどに、そろそろ話し始めますよという合図代わりのフィラーを用いる程度です。 なにか、そういったスピーチのトレーニングを積むのでしょうか。 もしかしたら、フィラーなしで語る能力は、海外企業で出世するための必須条件の一つなのかもしれません。

 コメディアンなんかもそうです。 欧米、特に英国の漫談師なんかは、驚くほど淀みなく語ります。 仕込みネタとは限りません、即興のトークや対談なんかでもそうです。 お笑いの人というのは、我々一般的な人間より、一歩先、半歩先を考えなければなりませんから、きっと頭の回転が速いんでしょう。 何年か前に、下北沢の小劇場へ、お笑いのライブを観に行ったことがあります。 マイナーな芸人さんばかり、10人足らずの観客、小劇場ながらガランとしていて、シーンとしていて、時折「ヒャッヒャ」と笑うのは僕くらいだったでしょうか。 それでも、そんな笑い声をキャッチするや、間髪置かず、サッと面白いことを返してくるんですね。 引き出しも豊富なんだろうけど、やっぱり常に半歩先を行ってるんでしょう。 フィラーなぞ差し挟んでいたら台無しですものね。

 一方、日本の話芸、特に落語にフィラーは付き物です。 「え~~~・・その自分の吉原なんてものはぁ」などとやります。 これは、その方がいいんですね。 その「え~~~」の間に、情景が浮かんできます。 話者と聴衆が同時に思い描いていく情景、叙情のようなものがけっこう大切で、そういう話芸なんですね。

 けれど、リモート会議はそうではありません。 フィラーは、話者が頭を整理している間の雑音に過ぎず、そればかり聞かされているのは退屈ですし、苛々することも屡々です。 同様に自分も迷惑をかけているのでしょうが・・

 ただ、総理大臣のような重職の方は、軽々に滅多なことが言えませんから、そうもいきません。 妙な言質を取られても困りますから、言葉も選ばなくてはなりませんね。 原稿を棒読みするだけならまだしも、インタビューなどに自分の言葉で答えるとなると大変です。 日本の歴代総理に、いろいろな名物フィラーがあったのも頷けます。

 いちばん感心させられたのは、小泉元総理だったでしょうか。 この方、若い頃は気鋭の論客で、早口でしたし、いっぱい喋ってました。 ところが、首相になったとたん、無口になったんですね。 「今回の観劇は如何でしたか?」などとインタビューされ、「・・・・・、感動したね」などと答える。 沈黙で繋ぐ、いわは無音のフィラーなわけです。 ここまでくれば豪傑ですね。

 フィラーによく似たものに、口癖があります。 「ドッグワード」っていうんですね。 犬は「ワンワン」しか言わないじゃないか、ってことでそう呼ばれるのでしょう。 フィラーと異なるところは、少しく意味を携えているところです。 本人は意識していない場合が多いのではないかと思いますが、繰り返し、執拗に登場します。 もしかしたら、無意識のうちに漏れ出ている心の叫びのようなものなのかもしれません。

 例えば、しきりに「チョット」という言葉を差し挟む人がいますね。 「チョットご検討頂ければとチョット思いますので、チョット次回の日程をチョット・・」などと話します。 チョットというのは、少ないということですから、多くはないわけです。 少しだけ言いたい、大袈裟には捉えないでほしい、そういった心の叫びに聞こえなくもありません。 なので、「チョットは心の屁っ放り腰」と言えそうです。 中には、「ケレド」を連発する人もいますね。 「調査しましたケレド、原因は未だ特定できていないんですケレド、ご指摘の件はわかるんですケレド・・」とやります。 結論に触れないように、あるいは結論を先延ばしにしていますね。 なので、「ケレドは心のモラトリアム志向」なのかもしれません。

 当たり前に思っている言い回しも、よくよく顧みるとワケがあったりします。 小池現都知事は、よく「~であります」という、硬派な言い方をされますね。 一見、毅然としていて、いかにも公的な印象があって、結構なんですけれども、そもそもはこれ、方言なんだそうです。 では、なぜ方言が心の叫びなのか、どんな心の叫びなのか、近代史をチョット齧ればチョット推察できそうです。

 明治維新により、戊辰戦争の立役者だった薩長土肥、中でも旧薩摩藩と旧長州藩の志士達が当時の政府、行政、軍部といったところを席巻しました。 当初は薩摩閥が最大の権力を握っていたようですが、その後に病死、戦死、暗殺などで主役級が入れ替わり、西南戦争以降は長州閥が内閣や陸軍を牛耳るようになったんですね。 いきおい、出世したいと思う人たちは、長州弁を採り入れるようになります。 「~であります」は、軍隊用語や体育会系特有の言い回しに思われていますが、そもそもは長州弁の丁寧表現で、今でも山口県辺りに行けばお歳を召したお婆さんなどが普通に「~であります」と仰るようです。 ということは、西南戦争以降の成り行き如何で、小池さんが「~でごわす」の方を常用されていても不思議ではなかったということですね。

 我々、どうしても偉い人たちの言い回しを真似してしまう傾向が否めません。 政治家の言い回しが企業の幹部に伝染し、幹部の言い回しが管理職に、それがペーペーにも伝染して日本語の市民権を得ていくようになります。 口語というものは流動的で、要は伝染伝播、JKも会社員も常套句を生み出すメカニズムに大差はないんですね。 それはそれで仕方のないことかもしれません。

 ただ、源流が政治家であるという点で、注意を要します。 先にも申し上げた通り、彼らは軽々に滅多なことが言えませんし、妙な言質を取られても困るわけですから、あまり的確な言葉にはならないんですね。 「真摯に」、「しっかり」、「きちんと」、「積極的に」、「スピード感をもって」、「総合的に判断」するわけですから、何とでもとれます。 言葉の上では「安全・安心」だと公表しつつ、現実には危険で不安な世の中に誘導してしまっても、何を憚るでもない、逃げ道満載のファジーワードなんですね。 ダブルミーニングなんだと捉えて、裏の意味を穿ってみるのも一興です。 自動翻訳機を開発すれば売れるかもしれません。

 その言葉の真意は何なのか、言葉の裏に隠れている真実は何なのか、それを推察する作業は、会社生活の中でも役に立ちます。 例えば、何か報告を求めたとしましょう。 如何せん、報告する側も商売ですから、言いたくないことは隠すし、隠しきれないことは真綿に包みます。 加えて、特段のリスクや問題だと本人が思っていないことの報告は、適当な常套句で済ませてしまいます。 逆に言えば、常套句の背後を覗き込もうとする習慣が、リスクや問題の抽出には重宝するんですね。 言葉には表裏がある、そう心得ておいて損はないでしょう。


  ※ 以上、ネットから拾ってきた画像満載、不適切な場合は削除しますのでご容赦を。
  ※ 但し、丸顔に眼鏡のおじさんはオリジナル、「ピンポンマン」といいます。
  
--- 2021/8/20 Naoki

back index next