なでしこ
大凡彼女たちの戦いというのは、
手に汗を握るものばかりと言って過言ではありません。
大きく、パワフルで、技術的にも、組織的にも格上、
乃至は、そも歯が立ちそうにもないような相手と真っ向ぶつかり合う。
そんなものばかりですから、戦う前から不安で一杯になる。
試合が始まるや、目を覆いたくなるような劣勢から始まる。
それをなんとか凌ぎながら、時折反撃に出る。
そうこうするうち、やっぱり失点する。
で、男子の試合だと、やっぱりねと、
ちょっと俯いちゃったりしそうなものなんですが、彼女たちは違う。
で、試合終了間際だったり、場合によってはロスタイムなんかに、
「奇跡」の同点弾や決勝弾が生まれる。
しかし、こうも繰り返し「奇跡」を目撃すると、
どうもこれは違うんじゃないか、
これが彼女たちの力そのものなんじゃないのかと感じ始めます。
確かに、サッカーというのは不確定要素満載のスポーツで、
偶然性、理屈では如何ともし難いという意味での運命的な出来事、
その余地が多くあります。
けれど、その偶然を手繰り寄せ、
味方につけてしまう一人一人と、
その一人一人の関係全体が、
どうやら彼女たちの力そのものに思われてくるのです。
一得点一失点に一喜一憂しながら僕らは観戦します。
彼女たちだってきっとそうでしょう。
ただ、彼女たちの背景には、一得点一失点では微動だにしない
共通のなにかがあるように思われてきます。
男子は、多くがプロのスター選手、
人々の期待を集めて成長し、衆目を集め、
凡夫には想像もできないような高額の報酬を勝ち取った英雄たちです。
一方女子は、興行的に成り立たないこともあり、
凡夫の半分にも満たない年収のプロ選手か、会社員か、
あるいはパートタイマーとして生計を立てている若い女性や母親たちです。
サッカーを愛する心は同じでも、
愛しかたに違いが出て然るべきでしょう。
その愛しかたですが、大きな差異が三つあるように感じます。
一つは、国際マッチのあとにユニホームの交換をしない。
まぁ、これは淑女のたしなみでもあり、
ゲームそのものには何の影響もない。
もう一つは、とてもピュアだということ。
少し高校サッカーにも似た直向きさがある。
今その時、そのゲームの勝利に全身全霊を捧げる。
このゲームは流しておこうとか、
このゲームで海外チームやブローカーにアピールしようとか、
そんなのはないんですね。
残る一つは、これが最も大きいと思うのですけれども、
女子の試合というのは至ってフェアなんですね。
勝ちたい一心のゲームであることに変わりはないんですが、
戦術的ファウルというものがない。
もちろん、ファウルは起きますし、警告や退場というのもある。
けれど、いわゆる「悪意のファウル」がない。
例えば、敢えて相手を傷つける意図を持ったファウル。
偶然に見せ掛けて相手のキーパーソンを傷めてやろうという、
俗に言う「エースを削れ」ってやつですね、それがない。
見事にないです。だから、報復というのもない。
女性というと、なにかそういうのが得意そうな気がする、
などと言うと失礼ですが、女子サッカーの、
少なくとも国際マッチ、それから少女たちの試合では、
本当に全く見かけないのです。
男子の場合、「悪意のファウル」は、
とても根の深いものです。
これは、精神戦にまで及びます。
如何に自分の方が強いかを見せつけ、
相手の戦意を削ごうといった行為は当たり前。
もっと酷いのは、相手を挑発し、苛々させて
プレイの精度を損なわせようというもの。
代表的なのは、2006年のワールドカップ決勝。
その晴れの舞台で相手選手に頭突きを入れ、
一発退場でピッチを去ったフランス代表のキャプテン、ジダン選手。
とても後味の悪いものでしたね。
あの試合の間じゅう、彼は相手選手から、
自分の生い立ちや家族に対する愚弄を浴びせられていたのです。
フランスは敗退し、ジダン選手の選手生活にも幕が下りました。
「悪意のファウル」は、選手だけではありません。
ピクシーことストイコビッチ選手(現名古屋グランパス監督)が
Jリーグに来たとき、相手チームのサポーターたちは、
どうやってピクシーを怒らせるかに勢力を注ぎました。
自チームの勝利を容易にするため、彼がキレて、
自滅したり退場を食ったりすることを望んでいたからです。
ユーゴスラビア内戦、崩壊、その後のセルビアの国際的孤立など、
彼が抱えていた耐え難い背景など気にもかけずです。
けれど、世界のファンタジスタは、それに耐え、日本に残ります。
そして、豪雨の長良川グラウンドで、
それまで日本人が見たこともない
文字通り妖精のようなスーパープレイを披露して
心ないサポーターたちを黙らせたのです。
もっとも、ファンタジスタであることと短気なところは、
引退して監督に就任してからも変わっていないようで、
相手ゴールキーパーが外に蹴り出したボールを
40m以上離れたテクニカルエリアから
ボレーキックで相手ゴールに放り込むなど、
まるで漫画かCGのようなことをやって退場させられています。
ピクシーの例はピクシー自身の努力と
長い年月とともに癒されてきましたが、
ジダンのような例はサッカーゲームの魅力を台無しにします。
それどころか、どうしてジダンほどの英雄が、
あのような形で選手人生最後のピッチを去らなければならなかったのか。
今度は、男子サッカーが、
女子サッカーに学ぶべき時代になってきたのだと思います。
前回中国で行われた女子ワールドカップ、
ドイツ戦でグループ予選敗退の決まった日本代表たちは、
反日感情で沸き起こるブーイングの中、
用意しておいた手作りの横断幕を広げました。
「ARIGATO 謝謝 CHINA」。それを見ていたのは、
ブーイングをトーンダウンさせた観客たちだけではなかったのでしょう。
サッカーの女神がいるとすれば、きっとそれを見ていたはずです。
4年後、ドイツで開催された女子ワールドカップにおいて、
予選を二位通過した日本代表は、
優勝候補と目されていた地元ドイツに1-0、
今大会3位に輝いた強豪スウェーデンに3-1、
今まで一度も勝ったことのない世界ランキング首位のアメリカに2-2(PK3-1)
で勝利し、なんと優勝してしまいました。
例によって、安心できる試合なぞ一つもなく、
言い換えればつまらない試合なぞ一つもなく、
あきらめないサッカーが炸裂した大会でした。
さて、ギャルッチョ・サッカーの方は、
選手数が激減し、大会にも定員に満たない人数で参戦する始末。
それでも我らがナデシコたちは、毎試合毎試合、
小さな奇跡を起こしながら成長しています。