ニューヨーク音楽事情
仕事の関係で1週間ほどニューヨークへ行ってきました。
日中でも−5℃以下、朝晩は−10℃以下という寒波でしたが、
ヒートテックのモモヒキに息子からのお下がりのダウン・ジャケットという万全の体勢。
当初はアポロ・シアターやバプティスト教会のゴスペルなんぞが観られれば
と期待していましたが、なんやかやと作業があって断念。
とはいえ、摘み食いしたマンハッタンの音楽は、
想像していたレベルより遥かに素晴らしく、円熟していて、
少なからず感動を覚えたのであります。
最初に訪れたのは“55 bar”というジャズ・クラブ。
ドラムとアプライト・ベースにテレキャスターという
個性的な編成のトリオが演奏していました。
どちらかというとアバンギャルドな内容だったのだけれど、
一音一音に説得力があり、しっかりと聞き入ることができました。
スタンダードでもなく、ロックンロールでもなく、
ポップミュージックでもなく、パンクでもないけど、
やっぱりこれ、コンテンポラリーなジャズだなという音楽。
テレキャスターの男は、店内にもかかわらずヨレヨレのレインコートを羽織り、
無頼漢を装ったプレイ・スタイルだったけれど、
足元には楽曲リストの紙がセットされていて、
裏ではしっかりと準備して来たのだなと推察。
圧巻だったのは、オフ・ブロードウェイで観ることができた“STOMP”。
手を叩いたり、体を叩いたり、モップを使ったり、ゴミ箱の蓋、台所のシンク、
パイプ、棒、ライター、新聞紙、タイヤのチューブ、ドラム缶などなど、
なんでも楽器にしてしまうという有名なリズムショー。
来日メンバーとは違い、アフリカ系アメリカ人が主体、一人ユダヤ系の男が道化役。
とはいえ、顧みれば、都度全員が交代でボケ、ツッコミ、メイン、バックを務め、
演奏そのものは一人ひとりがピンで活躍して余りあるような技量。
そのスーパーマン、スーパーウーマン達が、
一流のコンビネーションによるアンサンブルを展開します。
素晴らしいのは、これが単なる曲芸ではなく、
身一つあれば音楽ができる、
ゴミ箱からでも音楽は湧き出てくる、
人が集まれば音楽が始まる、
といった夢を与えてくれたということ。
数人がスタンディング・オベーションしましたが、
そのうちの一人は小生であります。
感激したのは、朝の地下鉄のプラットホーム、
確かレキシントン・アベニューの51番ストリートあたりの駅です。
ラッシュアワーにも関わらず、ソリッド・ギターとアルト・サックスの男が
ジャズのスタンダードらしき楽曲を演奏している。
それが、ともすれば苛々させられる朝の駅の空気に、
落着きと、弾力と、香ばしさを与えてくれているのです。
ユニオン・スクェアの駅の構内では、
鍵盤楽器でバロックのような音楽を奏でている男がいた。
これも気持ちのいい音楽でした。
彼らは地下鉄に雇われでもしているのでしょうか。
日本式の典型的なストリート・ミュージックとの違いは3つ。
先ず、駅傍ではなく、駅中、プラットホームで演奏している。
次に、夜ではなく、朝演奏している。
夜も演奏しているのかもしれませんが、
小生が出会ったのは正しく朝のラッシュアワーでした。
そして、最も違うところは、皆を潤しているということ。
日本式も、そりゃあファンのためにはなっているのでしょう。
でも、大抵の場合、迷惑だと感じている人が殆どではないでしょうか。
それは、けして音楽が良くないとか演奏が下手だということだけではなく、
基本姿勢のようなものにあるのではないかと思うのです。
日本式は、オレがオレがです。
駅の広場は、彼の発表の場なんですね。
中には憂さ晴らしのようなものもあるのでしょう。
あるいは、誰かの目に留まってメジャー・デビューしたいとか、
知名度を上げるためのキャンペーンだとか、
そういう明日に向けた音楽。
ところが、ニューヨークのそれは、
まさにその時、
今そこにいる人たちを包み込み、
その場の空気を彩っていたのです。
今を奏でる、だからタイム感が違うのかな?
P.S.
グランド・ゼロは、新たに建築が始まっていました。
嘗てツインタワーの広場にあった大きな地球儀はバッテリー公園にありました。
バッテリー公園では「イマジン」の歌詞を配したジョン・レノンのブロマイドを買いました。