ニューヨークこぼれ話

 年頭のニューヨーク出張には、当然のことながら幾つものこぼれ話があります。 その中にあって、どちらかというと些細な出来事かもしれないのですが、 特に忘れたくないエピソードを一つ、遅ればせながら書き留めておこうと思います。

 決して自分は全く英語ができないかというと、そんなことはないはずだったのです。 中学生の時は英語の成績も悪くなかったし、 肉体労働ながら高校のころは長野の駒ケ根で開かれた 「イングリッシュ・キャンプ」のヘルパーをやったこともあるし、 片言ながら当時横浜の本牧にあった米国海軍居留地の子どもと遊んでいたし、、、 ところが、そもそもその英語力というのはメッキみたいなもので、 長年使っていないと錆びるだけでなくメッキも禿げて、 なんのことはないスカスカの地金が出て、それも錆びちゃうんですね。

 20年ほど前、サンホセへ初めて海外出張したときは、 空港のどこへ行ってなにをしたら帰れるかも分からず、 チェックイン・カウンターのお兄さんにワケの分からん英語で訴えていると、 “トゥェニスリーブゥォォォリンプレィ”とか何とか言われて“ぱーどんみー?”。 “23”らしき音だけ聞き取れたので何とかなりましたが、 辞書を引いて“ボーダーリング・プレイス(搭乗口)” と言っておったらしきことを知ったのは帰国数週間後。

 数年前、シアトルに出張した時は、 一人で行動する間中、頭の中に一つのメロディーが流れてました。 人気テレビ番組「はじめてのおつかい」のテーマ。 レストランに行ってあれこれ注文するのは億劫なので、 コンビニでジュースとサンドイッチを買うことに。 スパニッシュ系の綺麗な女子店員さんに“ぷりーず”と差し出すと、 眩いほどの笑顔で“ワナバァ?”。 面喰らって得意の“ぱーどんみー?”を返すと、彼女の表情がサッと曇り、 店長らしきオヤジさんのところへ行ってこっちを見ながらヒソヒソ話。 意を決して戻ってきた彼女は、“ドゥ、ユ、ワン、ナ、バァ?”と 一語一語噛みしめるように伝えながら、両手で何かを持ち上げる仕草。 その仕草から、どうやら袋の要不要を問うているらしい。 ということは、“ドゥー・ユー・ウォント・ア・バッグ?”と尋ねている節。 “バッグ”? “ビニール”って言えよ! と、心の中で叫びつつ、 モソモソのターキー・サンドはささくれた心にひっかかって喉を通らなかった。

 2〜3年前、ラスベガスに行った時は、地図で見るよりも広大、 すぐそばにあるはずの空港にもタクシーで行くより仕方がありませんでした。 帰国のために捕まえたタクシーの運転手は、比較的珍しいゲルマン系の男。 “えあぽーと、ぷりーず”と行き先を告げると、 “オケ、フィチエアライ”とかなんとか、太くて低い声が返ってきた。 聞き取れなかったので、5秒くらい悩みましたが、 利用する航空会社によって車を着ける場所が違うだろうから、 多分それを訊いているのだろうと思い、 “あー、あーめーーりかんえあらいん?”と答えると、 運転手、一瞬こちらを振り返って、太くて低い声で“グーッド”、 「よろしい」てなもんです。 偉そうなやっちゃ、こっちは客だぞ、 “オーケーサー”とか“アイアイサー”とか言え! と内心思いつつもニコニコしていた髭のサラリーマン。

 こういった経験を重ねて、どっぷり「英語できん子」を自覚した小生、 ニューヨークでも滅多に口を利きませんでした。 けれど、自然と体で覚えたのは“エクスキューズミー”。 日本人は大いに勘違いをしていて、 米国人は決して謝罪しないと思っているけれど、 ホテル、歩道、駅、どこも“エクスキューズミー”のオンパレード、 袖触れ合うとか肩が当たるまでもなく、 相手の動線に入ってしまったと感じた時は、 老若男女迷いなく“エクスキューズミー”を口にします。 もちろん、様々な人間たちの坩堝、それだけ物騒な背景もあるのでしょうが、 日本人は礼儀正しいなんて口が裂けても言えませんね。 動線はおろか、踵を蹴ろうと、正面からぶち当たろうと、一言もない。 電車のつり革を持つ手で人の頭を押さえつけようと、ウンもスンもない。 ニューヨークだったら撃たれるでしょうね。

 まぁ、固定観念というか、想像を根拠にした思い込みというか、あります。 唯一想像通りだったのは、例のサンホセで聞いた話。 アメリカでは誰も車のクラクションを鳴らさないねとの小生の指摘に、 西海岸はそうかもしれないが、東海岸だったら渋滞しただけでブーブー鳴らすとの答、 これは本当でした。 ニューヨークには、クラクションとエクスキューズミーが飛び交っていた。 すると自分も反射的に“えくすきゅーずみー?”と口走る。 意味が通じますから、うれしくなって、プリーズだとか何だとか 自分からも言うようになって来るんですね。 赤ン坊みたいなものです。

 そんな折、協力会社のボスに招待されたパーティーは満員御礼。 モデルさんのような、日本人男子の平均より明らかに長身と思しき 八頭身のバニーガール達が人混みを縫うようにしてカクテルを運んでいます。 その人混みに飲まれ、連れの日本人達とはぐれてエライことに。 見知らぬ外国人たちと英語で話す社交性も勇気もない小生は、 上の階の、そのまた隅まで行って難を逃れ、 グラスを片手に窓の外の摩天楼を眺めていました。 しばらくすると、後ろから肩をたたかれた。 振り返ると、どうやら昨夜会食を共にした初老の白人。 名前をポールといいます。 そのポールが話しかけてくる。 「参ったなぁ」と思いつつも、力ない笑みを浮かべて相槌を打つ髭のサラリーマン。 何を言っているのかさっぱり分からず、首を傾げることも数多。 それでも根気強く話しかけてくるポールに、少し耳が慣れてきた。


ポール:あそこは年明けにカウントダウン放送もあった有名な通りなんだよ。
髭サラ:ニューヨークは美しいね。
ポール:日本や中国に比べれば歴史が浅くて薄っぺらだろう?
髭サラ:いや、そんなことはない、近代の重厚な歴史を感じる。
ポール:それぞれ違うのは良いこと。
髭サラ:それぞれの違いを認めることが肝心。
ポール:大切なことだね・・・子どもはいるのか?
髭サラ:息子がいる、大学生だ、そっちは?
ポール:娘がいる、大学は卒業して今はローラーゲームの選手だ、知ってるか?
髭サラ:昔、日本でも流行った、過酷なスポーツだ、走るプロレスだからね。
ポール:米国では人気のスポーツなんだ、確かに傷は絶えないけどね。
髭サラ:でも女性は基本的にフェアプレーだ、少女サッカーを教えていて感じる。
ポール:娘も子どものころはサッカー選手だったよ、私はサッカーパパだった。
髭サラ:体の入れ方はローラーゲームも共通だろう?
ポール:役に立っている、それに相手へのリスペクトが重要なのも同じ。
髭サラ:そこなんだ、それさえあれば世界は平和になる。
ポール:そうとも、世界は平和にならなければいけない。
バニーガールが行き交う中、最後はその爺さんと抱き合っていました。 自分の英語が通じたらしい、という状況証拠が得られたわけであります。

P.S.
 因みに、JFA(日本サッカー協会)の審判講習において 「リスペクト」は、「敬意」ではなく、「大切に思うこと」と意訳されています。 良い訳し方だと思います。


ニューヨークはクラクションと
エクスキューズミーの街だった

生きた英語は人と話してこそ培われる
座学や独学はそれ以上の何物でもない

親切な美女が地下鉄の入り方を教えてくれた
(もっと話したかったが、話しかけられず)

言葉や文化は違っても人と人
必ず共感するものがあるのだ

---2010/3/5 橋本


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