人間の顔というものは、歪んでいるのだそうです。そりゃそうですよね、左右対称ではありません。最近、リアルな女子高生のCG(コンピューター・グラフィックス)が評判です。人物をCGでリアルに表現すればするほど、どこか不気味に思えてくる、その越え難い境界を誰かが「不気味の谷」と呼んだのだそうですが、それを越えたというのですね。いろいろな工夫があったのでしょう。その一つは、顔を左右非対称にしたことなのだとか。でもねぇ、そういうことなら、雛人形だって昔からそうですからね。大量生産の廉価版ならともかく、本気で造られた雛人形は、昔から「不気味の谷」を飛び越えていたわけです。好ましい顔に、むしろ歪みが必要だったというのは、なんとも逆説的ですね。 そもそも、歪みとはどういう意味なのでしょう。あてた漢字が「不」と「正」の会意文字みたいですから、「正しくない」という意味なんでしょうか。一方、大和言葉では、「ゆがみ」とか「ひずみ」と発音しますね。その本来の意味たるや自分如きに推察できるはずもありませんが、そこは想像力逞しく、独自解釈というか、連想して、空想してみましょう。「ゆがみ」は「ゆがむ」という動詞を名詞化したものですね。「ゆ」という音が肝でしょう。ちょっと弓(ゆみ)を連想させるので、なんだか引っ張って変形させる感じではないでしょうか。「ひずみ」は「ひずむ」の名詞化ですね。捻(ひね)るを連想させるので、引っ張って練るというか、なんだか回転方向に変形させる感じがします。よって、この空想の結論は、どちらも整ったものに力を加えて変形させること、となりましょうか。変形という意味なら、引いたり捩ったりに限らず押したり叩いたりでもいい、そうすれば物理的に変形するでしょう。 対象が静止した物とは限りません。動くもの、時間を持っているものもあります。例えば波ですね。引いたり捩ったりは難しそうですが、風を当てたり障害物を置いたりして、波の形を変えたり、到着を早めたり、遅めたり、間隔を変えたりすることができます。これも歪みの類でしょう。狭いところを潜らせるという手もありますね。そうすれば波の天辺が削がれて変形します。音波であれば、澄んだ音が濁ったように聞こえます。その場合、歪み(ゆがみ)と言わず、歪み(ひずみ)と言う方が多いかもしれませんね、なぜでしょう。まだまだ空想の余白はありそうです。 自分なぞは、エレキ・ギターというと、歪(ひず)んだ音を連想します。団塊の世代の方々は、ベンチャーズのようにリバーブ(残響)を効かせたテケテケした音に「シビレるー!」と感嘆されますが、自分なぞはガーガーと歪んだ音にシビレるくちです。印象的だったのは、中学生の頃、初めて聞いたレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のシングル。A面が「ブラック・ドッグ(Black Dog)」、B面が「ロックンロール(Rock'n Roll)」という、いま持っていればプレミアがつくようなレコードでした。これが実に心地よかった。なぜでしょう。心地よい音というのは、透き通るような爽やかな音のことを言いそうなもんですが、濁った汚い音を心地よいと感じてしまう。昔、排気ガスの臭いが好きでトラックが通ると付いて行きたくなると吐露していた女学生を覚えています。汚れた空気の中で生活しているとそうなるのでしょうか。ならば、雑音の中で暮らしているとエレキにシビレる体質になるのかも。ロック音楽は、日頃の生活に喧噪をもたらした、産業革命の申し子かもしれません。 最初に手に入れたエレキ・ギターは、お茶の水で購入したレスポール・カスタムのレプリカでした。当時で38,000円しましたから、廉価版ではありますが自分にとっては安くなかったです。如何せん、ネックはボディーにボルト止めされており、オリジナルとはちょっと違うような。そうはいってもレスポール・モデル、これでブラック・ドッグの音が出るのかと思いきや、なんだかペンペン鳴るだけです。そこで店員さんに相談すると、ファズというものが必要とのこと。勧められて、アンプに直接挿し込む小さなブリキの箱を買いました。エレクトロ・ハーモニクス製の「マフ・ファズ」という代物であったと記憶しています。出た出た、ブラック・ドッグの音が出ました。でも、すぐに壊れました。電池が切れたのかとネジを抜いてブリキ箱を開けてみると、わかりました、配線が切れています。しかも、回路基板なんてものはなく、トランジスターだとかコンデンサーだとかが立体的に空中配線された、ハンダ付けの掻き揚げのような回路です。諦めました。また楽器屋に行って、同じくエレクトロ・ハーモニクス製の「リトル・マフ」(「ビッグ・マフ」は高価で買えなかった)を手に入れました。クリーミーな粒立ちのファズで、それなりに良い音だと思いましたが、荒々しさはなくなってしまいました。その後、ありとあらゆる歪み系のストンプ・ボックス(フット・スイッチを実装したブリキ箱)を試すようになります。 そもそもエレキ・ギターは、なぜこういう歪んだ音を奏でる楽器の代表選手みたいになったのでしょう。クラシック・ギターやジャズ・ギターなら、澄んだ音や滑らかな音のはず。ところが、澄んだ音や滑らかな音でも、よくよく聞くと歪んでいるんですね。様々な倍音が混じりあっています。波形がクリップする(先端が削ぎ取られる)こともある。この倍音もクリップも取り去ってしまうと、正弦波といって、ご愁傷様のときに「ポー」と鳴る心電計の音のようにしかなりません。なので、古今東西、わざと歪ませるということもやるわけです。カリンバ(平たく打った釘のようなものを木の実や木箱のようなものに固定して弾く楽器、別名ンビラ、ンゴマ、サンザ、リンバ、リケンベ、サム・ピアノなど)は金属の駒や貝殻のようなものをつけて意図的に雑音を混ぜ込むことがありますし、津軽三味線なんかには棹(さお、ネック)の端に弦をびりつかせる「さわり」という仕組みがあります(先代の高橋竹山氏は、さらに紙を挟んでおられました)。楽器に意図的な歪みを与えるのは、自然なことなんですね。
エレキ・ギターを意図的に歪ませるようになったのは、あるギタリストのロード(どさ回り)先。ギター・アンプ(電気回路とスピーカーと筐体からなる音声増幅器)が不調で音が歪んでしまい、仕方なくそのまま演奏したのだけれど、それがすこぶるウケが良く、以来その音で演奏するようになったのだとか。それが誰だったのか、その記事をどこで読んだのかは、残念ながら失念してしまいました。巨漢で知られたギタリスト、ジュニア・バーナード(Junior Barnard)だったのか、強面で知られたギタリスト、リンク・レイ(Frederick Lincoln "Link" Wray Jr)だったのか、他の有名な、あるいは名もないギタリストだったのか。少なくとも、そういった歪みは、ギター・アンプの性能限界から生まれたようですね。当時のギター・アンプには真空管が使われていましたから、音量を上げるほど歪んでしまったのです。マーシャル製、フェンダー製、ブギー製などのアンプは、各々独特の歪み方をして、楽器の一部のように機能しました。 1960年代、意図的に歪ませたエレキ・ギターの音は、キンクス(Kinks)やジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)で知られるようなロック・ミュージックを中心に発展して行きます。やがて、もっと違う歪ませ方をしたい、もっと歪みを制御したいということから、ストンプ・ボックス式やセット・トップ・ボックス式やラック・マウント式の専用エフェクター(効果付加装置、ま、いわゆるブリキ箱)が多用されるようになっていきました。ところが、ギター・アンプのように味わい深い音というのはなかなか出て来ないんですね。1970年代は、トランジスターが普及しましたけれど、真空管の味わいを出すのは困難でした。1980年代には、デジタル技術を駆使したシミュレーション(音真似)が始まりましたけれど、なんとなくそれらしく聞こえるだけで、ダイナミックレンジ(強弱帯域)が狭かったり、追従性が悪かったり、高周波がカットされたり、肝心のところで量子化ノイズ(不自然な非線形の雑音、異音)が入ったりして、とてもじゃないけど「楽器の一部」にはなりませんでした。歪みというのも、実は奥深いらしい。 けれど、やっぱりあのギター・アンプの歪みに魅了される人はいたわけで、中には徹底的にこだわったフリークもいたようです。1960年代後期から1990年代後期まで30年余りにも渡って研究と試作を繰り返したダンブル(Alexander "Howard" Dumble)という人物が有名です。まず、市販のギター・アンプを改造して、まさしく「楽器の一部」としての名機を生み出します。彼は、それを商売にはしませんでした。全て手作りで、量産は考えなかったようです。サンタナ(Carlos Santana)のオーダーに応えたり、レイボーン(Stevie Ray Vaughan)には貸し出したりしていたようです。やがて、歪みを生成するアンプ部分だけの、いわばギター・エフェクター(The Dumble Overdrive Special)を作成します。これも手作りで、1台で5万ドルしたそうですから、高級車1台分の値段ですね。基本的にはプリアンプでメインアンプにオーバードライブ(過負荷)をかけるという仕組みのようですが、その詳細設計は明らかにされていません。それでも、楽器業界としてはなんとしても彼の果実を手に入れたい。そこで、彼のオーバードライブを模した安価な製品を開発するようになります。よく「ダンブル系」などと称されています。そういった歪み系のギター・エフェクターが脚光を浴びるようになったのは、2010年代に入ってからではないでしょうか。 人の顔には、遺伝子がものをいいますから、いわば運命というものがある。けれど、どんな生活を送るかという選択、どんなことが起るかという偶然も人の顔つきを変えるでしょう。よく「四十過ぎたら男は自分の顔に責任を持て」なんてことを言いますよね。そんなこと、どんなオッサンが言ったのかと思いきや、リンカーン(Abraham Lincoln)の言葉("Every man over forty is responsible for his face.")なんだそうです。自分は、とっくに過ぎましたから、もういいやという気もするのですが、ちょっと気にしていることがあります。こうもギターを触らなくなると、正確な演奏も、気の利いた発想もできなくなるんですね。ごくたまにギターを抱いてみると、痛感します。でも、まあ仕方がないと思っています。仕方はないのだけれど、なんというか、音だけはしゃんとせにゃならんと思うんです。音は、正確な演奏も、気の利いた発想も、言い訳にならないと思うんですね。逆に言えば、その人そのものが出てしまうのが音。なので「四十過ぎたらギタリストは自分の音に責任を持て」と、何年かぶりでエフェクターを買っちゃいました。「ダンブル系」です。
--- 2016/9/23 Naoki update --- 2016/10/12 Naoki update --- 2016/10/13 Naoki
すいぶんいろんなブリキ箱を試して来たけれど、 やっと欲しい音色に巡り会えたような気がする。 眠っていた相棒達を新たに組み合わせてみたら、 現代的ではないが近代的な哀愁のある音が出た。 |