土星の夜

 土星探査機カッシー二が、1997年10月15日の打ち上げから20年後の今年2017年9月15日、土星の大気圏に突入して燃え尽き、最後のミッションを終了したそうです。度重なるミッション延長を経ながら独り地球に情報を送り続け、最後に送ってきたのは土星の夜側の写真でした。専門家には貴重な情報がいろいろ籠められているのでしょうが、自分のような素人でもわかることが一つありました。土星の夜は漆黒ではなく、ほんのりと明るいのですね。1610年と言いますから約400年前、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で初めて目にしたあの土星の環が月のように照らしているのです。そんな夜に包まれて、カッシーニは永遠の眠りにつきました。

 我々は、真実をあまり知らないものです。目に見えた断片的な現実だけを認識し、それらを繋ぎ合わせて類推し、憶測したものを真実だと信じて疑いません。本当は何があるのか、どうなっているのか、わかっていないことの方が圧倒的に多いわけです。それはまあ仕方のないことですが、一つ困ったことがあります。目に見えた断片的な現実からの憶測だけならまだしも、そこに虚構からの憶測が混じり始めているからです。しかも、大量に。

 古くはネット通信のフォーラムや掲示版といったところでしょうが、昨今はFacebook、Twitter、Instagram、Line等々、そういったSNS(社交網サービス)が全盛です。友達と繋がる、見つける、増やす、自分を飾る、盛る、持論を主張する、無責任な思いを言い放つ、イベント参加を呼び掛ける、商売に利用する、洗脳する、テロの道具にする等々、様々な役に立ちます。言葉と画像を巧みに組み合わせ、自分に都合の良いネット上の世界、つまり虚構を作り出すことができるのです。それはいいのですが、直に目撃し、聞き、触れ、嗅ぎ、抱き、感じる現実以上に、この仮想現実、言い換えれば虚構現実から誘発される認識の比率は加速度的に高まっているように思います。ことによっては追い越している向きもありましょう。

 人間が現実を認識し難くなっていく一方、何が真実かの判断はAI(人工知能)に委ねられつつあります。たとえば、いまわれわれが最も信頼する情報源はWikipediaでしょう。ひとつまみの専門家だけに委ねられる旧来の百科事典よりも、「大衆の知」と銘打ったネット上の百科事典の方が、ある種の偏りこそあれ、情報が多く詳しいという傾向があります。但し、ガセネタが蔓延してはこまりますから、有志の委員達が疑義の発信や確証の調査、真偽の判断などを行っています。そうはいっても有志の委員達だって人間ですから、判断に迷ったり、誤ったり、委員同士で討議したり、揉めたり、ことによっては罵倒し合ったりしてきました。たいへん効率が悪いので、昨今はその役割をボット(論理ロボット、自動化プログラム)が肩代わりし始めているんですね。幾つものボットがネット上で討議を繰り返しながら、情報の真偽を判断しているのだそうです。いわばそのボットネットが真実を判断するAIに相当します。AIの特徴は、すごく速い、しかもめちゃめちゃ根気強い、さらには凡人(ないし秀才であろうと人間)には思いもよらぬアイディアを生み出すというところにあります。更 にもう一つ、その思考過程は凡人(ないし秀才であろうと人間)には理解できません。要は、なぜかは知らんがこれが真実だ、というものを人間は教えられることになるわけです。

 退化が始まっています。自分なぞ、その最先端を走る人間の一人でしょう。ご先祖様に顔向けできないようなこの有様ではとても成仏できませんが、AIに知力体力で立ち向かったとて歯牙にもかからないことは最早自明のことになりつつあります。ならば人間が発達させるべき能力は何なのでしょう。直感でしょうか。直感には大きく三つありそうです。ひとつは、本人が直感と思い込んでいる思いつき、あてずっぽうです。これはまあ、偶然の産物とも言えるもので、だからどうというほどの能力でもないように思います。つぎに、本能に基づく直感というものがあります。生まれた直後からでも感じとることができる先天的な直感です。進化や遺伝が培った深層記憶が提供してくれる能力なのでしょう。そして最後に、後天的な直感、すなわち経験に基づく直感というやつです。名人級の棋士や老練な軍師などに顕著な能力で、いちいち論理展開するまでもなく、瞬時に最適解を見出すことができます。如何せん、ディープラーニング技術の発展で、こちらはAIに凌がれつつあります。

 となると、人間には本能に基づく直感くらいしか残されていないのでしょうか。この原動力は、感情です。よく喜怒哀楽と称されますが、恐怖、驚嘆、猜疑、嫉妬、焦燥、安心、愛着など様々な感情的作用があります。それでAIに太刀打ちできるのでしょうか。よくよく考えると、感情は他の動物にも、もしかしたら植物にも備わっているかもしれませんから、人間独自の能力というのは言い過ぎでしょうね。それに、むしろいまどきの人間は、思考力を感情に乗っ取られつつあります。SNSの応答ボタンを見てください。「いいね」、「超いいね」、「可笑しいね」、「すごいね」、「悲しいね」、「腹が立つね」、そんなものばかりです。もちろん、応答したご本人はもっと複雑な思いや深い考えをお持ちかも知れません。しかし、これらがSNSを形作っているわけですから、その虚構現実を生きている間に、真実への信念は否応なく単純化されていくでしょう。多くの人間が、益々感情に支配され、思考や思惟の能力を退化させていくのではないでしょうか。

 直感で恐縮ですが、いま人間に必要なのは、そういった単純な感情から飛翔したレイヤ(層)にある感情ではないかと思います。単純な感情が糾い、補い、高め合った結果生まれる高次の感情、情緒、情感、それに基づく直感が、非常に大切になってきたように感じます。それは、母と子の間に存在し、夫婦や家族、恋人や友人、仲間、ライバル、隣人との間に、そしてもしかしたら未だ見も知らぬ人達や、社会や、世界との間に存在すべきもののように感じます。それはきっと、人の世が続く限り必要なものでしょう。また、それをもってAIを制御しなければ、教育して行かなければ、人間が駆逐されてしまうのは時間の問題でしょう。


--- 2017/9/19 Naoki


produced by NASA Jet Propulsion Laboratory

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