寿司屋
今日のエッセイは、多分かなり手抜きというか、舌足らずのものになりそうなので先にお詫びしておきます。
ここ1年あまりですが、行き付けの寿司屋があります。
もともと寿司が好きということもあって、多少高くはつくのですが、呑むときはここが殆どです。
ここは、川崎の北部市場から仕入れたネタで、海に面したところのとれたてぴちぴちというほどにはいかないかも知れませんが、ネタも良く、丁寧に握ってくれますし、何より大将(元・暴走族らしい)と若女将(元・新体操の国体選手らしい)の織りなす「美味しい」雰囲気が買いです。
それに加え、再三初対面の妙な論客、もっとも年輩が多いのですが、そういう輩が最後にクダをまきに来るところというのが魅力です。
今日は新聞屋の「常務」です。
ここに来る人は苦労人が多い。
最初はこの男の独壇場に耳を傾け、チクチクと話を挟んでいましたが、室生寺の話になって対立しました。
奇しくもそのとき、そっち方面に明るい大学教授のオヤジ(建築士らしい)が土産を頼みに来ていましたので、そのオヤジを巻き添えに喧々囂々。
この地域には変なオヤジが多い。
「教授」が帰って四方山言、酔っぱらいの発言はえてして巨大主語になります。
「経済は」とか「政治は」とか「日本人は」といった主語です。
そのうち「図書館」の話になって、「そんなものどんな経済的な貢献があるのか」といった調子で「常務」が罵倒し始めました。
「常務」も苦労人らしく、「国宝」とか「図書館」とか、そういった一種権威じみた価値観に非常に敏感です。
僕は「ばっかじゃねぇのか」とくってかかり、一触即発の険悪なムードとなりました。
寿司屋の大将の顔を立てて各々自制心をフル出動させて会話に戻りました。
やがて酔っぱらいの会話は、東南アジア問題に。
「常務」は、以前より多少遠慮気味ではあるが独壇場を決め込み、寿司屋の大将の所見も否定して論説。
「おまえら、国がどうしたとか、これから21世紀になろうというのに...mmm...国なんて狭い了見じゃ...mmm...」。
僕はこれには驚いたのであります。
そもそも彼の話は面白い要素をいっぱい持っていたわけです。
福島の海岸育ちと見えるこのオヤジ、人は何故帰路の計算が成り立たないまま沖に泳ぎ出てしまうのかなど、体験に根ざした面白い視点の持ち主です。
ただ、主語が巨大にになると、非常に偏った空論に終始するのが玉に瑕といったところでしょうか。
ところが、この五十絡みの経済史上主義者は、気づくべき事にちゃんと気づいている、いきなり青雲の志を持った若人に変身します。
「お勘定!」と僕は席を立ちました。
「なんだよ、もう帰るのかよ」と「常務」。
「すいませんねぇ」と寿司屋の大将。
しかし、僕は単に、いいところで余韻を保って帰りたかっただけです。
気になったらしく、「常務」は席を立って出口に向かう僕に何か言いに来る。
僕は振り返り、握手を催促して言いました。
「貴方は信じないかも知れないが、僕は貴方の言ったことがとても素晴らしいことだと思う。こんなジジイからそういう言葉が出てくるとは思わなかった」。
この変つくオヤジは、それまでの高圧的な態度を180度翻し、僕と抱擁したのであります。
「今度新聞売りに行くからよぅ」。
「来るなよ」。
寿司屋の酔っぱらいの話であります。
--- 31.Oct.1998 Naoki
追記 --- 4.Jan.1999 Naoki