地球が止まる日


 毎年楽しみにしているラジオ番組に、NHK第1の「夏休み子供科学相談」というのがあります。 下は幼稚園児から上は中学生まで、子供達が普段疑問に感じていることや夏休みの自由研究に関することなどを電話で相談し、それに動物、植物、気象、天文などの専門の先生方数人が交代で、或いは協力して回答するという番組です。 何年も前から夏休みの時期、高校野球の日程を外して放送され、自分にとっては一種の風物詩的な、そして楽しみな番組です。 車で移動中などに聞いていると、渋滞を忘れるくらい面白いことがよくあります。 回答というよりむしろ子供達の疑問そのものが興味深く、そして質問するその息づかいが面白く感じられるのです。
 「サリガニは何を食べるんですか?」といった質問、この手のものはむしろ先生方が話題を膨らませて回答してくれます。 しかし、そういうケースは稀で、聞いている自分も、おおそう言われて見ればと感心させられるものが殆どです。 例えば「蝶と蛾は何処が違うんですか?」というのはオーソドックスな質問なのだそうですが、僕などは一緒になって知りたい知りたいと思ってしまいます。 回答される先生方は、経験豊かな専門家揃いで、しかも子供達に分かるように説明できる(これがすごい)という方が殆ど。 大抵の質問には慌てず騒がず、具体的なデータまで交えてお答えになります。 ところが、「ツルの雛鳥はいつから片足で立って眠れるようになるんですか?」という質問に正確な回答はありませんでした。 「5月に孵化し、多分親離れのできる秋頃には」といった回答で、このように「多分」といった回答は異例です。 この質問には3人の博士が他の鳥の例を挙げたり動物園での経験談を交えたりで対応しましたが、これも異例。 どんな細かいことでも把握している専門家が、そう特異な話でもないのに正確に回答できないような質問、これが面白い。 つまり、専門家にとってはさしたる研究課題でもなく見過ごしていたが、その子にとって「ツルの子供が親鳥のように片足で眠れるようになるのはいつか」ということが、わざわざラジオ局に電話して聞きたいと思うに至る問題であったということです。 これが実に面白いと思うのですが、そう思いませんか?
 内容もさることながら、子供たちの個性に満ち満ちた口調や息づかいが、負けず劣らず面白い。 ポワンとした中学生のお兄さんもいれば、毅然とした小学1年生のお嬢ちゃんもいます。 今朝の放送では、小学校低学年と思しき男の子から、「どうして地球は回っているのですか」という可愛らしい声の質問がありました。 天文の先生は、何故地球が回っていると認識できるのかといったことを交えて話題を膨らませ、最後に惑星誕生のシナリオとサッカーボールを蹴ったときの話を例に挙げ、感心するほど分かり易く説明をされました。 そして、独楽はやがて回転が止まるが、何故地球は回りつづけるかという話。 更には、実は潮の満ち干など様々な要因が抵抗となり、極僅かずつではあるが自転速度は遅くなっているということまで紹介されました。 そのときの男の子の電話越しの、何故かいきなり文語調の、独り言ともつかぬ、訴えともつかぬ、一種演劇的とさえいえる口調の言葉が印象的でした。 「地球はいつまで回っているのだろうか...」
 天文の先生は、「大丈夫、あと50億年は止まらないから」といったことをお答えになりました。 実際はその前に老化して肥大した太陽に飲み込まれるでしょうから、自転の停止した地球が宇宙空間で公転だけを続けているという姿は見られないでしょう。 そう考えると、誕生したのが約46億年前だとすれば、地球はいま丁度人生の折り返し点にいるということになるのでしょう。 生物と呼べるものが誕生したのが約38億年前だとして、人類誕生はたった3〜200万年前です。 短絡的な推論をすれば、生物の将来は今後38億年止まりで、人類の将来は2〜300万年しか残されていないなんてこともあるでしょう。 人類の歴史も折り返し点にあるということかもしれません。 僕の人生も折り返し点を過ぎました。 「地球はいつまで回っているのだろうか...」  少年よ、いいところに気がついたね。

--- 25.Aug.1998 Naoki


back index next