ハクビシン現る


 夜、横浜市旭区方面から緑区方面に向かう用事が出来、車載のナビゲータを使って抜け道に入りました。 暗くてよくは分かりませんでしたが、道の両側は雑木林で、延々と木のトンネルになっている曲がりくねった道です。 慣れない道なので、恐る恐るスピードを控え目にして走っていると、案の定、道路脇から飛び出そうとする獣がいました。 「タヌキだ!」と思ってブレーキを踏みました。 横浜市の都筑区と青葉区、これはいずれも旧緑区なのですが、そこで三度ばかりタヌキに出会ったことがあります。 隣接する川崎の生田緑地付近にも、黄色い菱形にタヌキの絵をかいた「獣類飛出し注意」の道路標識が立てられており、いわゆる東京のベッドタウンとはいえ一昔前は武蔵野の外れ、身近にタヌキがいるらしいということは心得ておりました。 しかし、ヘッドライトに浮かび出た其奴の姿は、長くて白い鼻筋、スリムな動体、大きな尻尾、タヌキとは明らかに違う様子なのです。 其奴は横断を思いとどまり、身を翻して雑木林に消えました。 「あっ、ハクビシン」という言葉が過りました。
 ハクビシンは、テレビで見た事があるのですが、日本各地に江戸時代以前から生息しているアナグマの一種のようです。 夜行性で警戒心が強いため、人前には滅多に現れず、そのため幻の珍獣と呼ばれて来ましたが、個体数はそれほど少なくはないのではないかと言われています。 単に宅地開発で山林が減少しただけでなく、分断されることによって生じる森林の「孤島化」によって、近年は人里でも目撃されるようになってきたと考えられています。 あれがハクビシンであったとして、その印象は一言、「美しい」でした。 目の辺りが黒、顔や胴が白、尻尾が茶の縞といった配色であったように記憶していますが、ヘッドライトに浮び出たその姿は、姿勢の低いアナグマに関らず凛としてハンサム。 ドキッとしたのは危うく轢きそうになったというだけでなく、一瞬にしてその美しさに打たれたという帰来があります。
 もうずいぶん車に乗っていますから、先に触れたタヌキもそうですが、時々こういう出合いがあります。 もう10年も前のことになりますが、これも夜、荒川沿いの道を走っていて、カワウソかイタチのような獣が横切ったことがあります。 我々が気付かないだけで、ちゃんと日本には日本の野生動物というものがいて、彼らは決して完全に駆逐されてしまったわけではなく、ひっそりと、しっかりと生き続けているのだと思います。 できれば彼らと共存したいものです。
 人間と動物の共存の姿として、あんまり好みではないのが、我が故郷の厄介者、奈良の鹿連中です。 これは落語のネタにもなっていますが、彼らは神の使いとして保護されて来た、というより甘やかされて来ましたから、そりゃもう今時の若い衆も及ばないくらい態度がでかいです。 よく観光客の方が「鹿せんべい」などを振る舞われたりしますが、僕など地元の者には信じられない、よくあんな勇敢なことができるなぁと感心したものです。 小学校の頃でしたが、奈良公園で写生をしていると、雌鹿が失礼にも人様のお弁当をこじ開けて喰っているではありませんか。 画板を盾にして追い払おうとすると、その雌鹿、闘牛がよくやるように前足で地面を掻いたかと思うと、やおらガツンと画板に頭突きして来たのです。 鹿に怪我をさせると罰せられるという思いから躊躇していましたが、その一撃で完全にキレた幼い少年(僕ですね、はい)は、画板ごと猛然とアタックして追い払ったのです。 雌鹿だったからこれで済んだのです。 雄鹿だったらヤバかったですよ。 奥山など人気のないところを通るとき、鹿のハーレムがいると、正面切って道なんて歩けませんからね。 彼らのメンキリ(関東で言うガンタレ)の視線を全身に感じながら、道の端の林に張りつくようにして通らせて戴くしかない。 これはまだましで、逸れ雄鹿の、しかも(角を落とすときに暴れて)耳の切れたような輩がいると、こりゃもう引き返す以外ないんですから。 なんだかこういう「野生」はどうもねぇ。 単に人間は危害を加えませんというのでは、やっぱり不自然、お互いへの敬意と畏怖を持ち合わせた共存を致しませんとねぇ。
 考えてみれば、いかなる小動物であろうと、つまり食物連鎖の底辺にいるような輩であろうと、自分の力で生きていますよね。 自分の力で捕食し、自分の魅力で繁殖し、自分の知恵で困難を克服して生きています。 人間は、知恵の動物のようでいて、例えば一人山林に残されたら何をどうしたら良いか、どうやって渇きを癒し、どうやって冬を越せばいいのか分かりませんよね、普通。 だから助け合って生きています。 水道局のオバサンやガス会社のオジサン達の御世話になっております。 しかし、自然界の動物は、教科書や先生なしで、自分の英知を振り絞って生き抜いておるわけです。
  「ヤマネ」というネズミの一種がいます。 越冬するとき、単に丸くなって雪の中で寝ているという、一見メチャクチャ無防備で、しかしそれが生きる知恵のようなのですが、そういう奴です。 此奴の写真を撮っている方がご自身の写真集に、この愛らしい小動物は、間近に見ると、厳しい自然を生き抜いている威厳のような風格を持っているというようなことを書かれていたように記憶しています。 この一連のシリーズに、エゾモモンガの写真集があります。 これにも、同様の雰囲気が漂っていて、一見の価値ありです。 これら写真集については、追ってご紹介しましょうね。

--- 27.Jul.1998 Naoki
改訂 --- 29.Oct.1998 Naoki
お薦めの図書は...
西村 豊

ヤマネ—森に遊ぶ

ISBN-4-06-206166-X
講談社
目黒誠一

エゾモモンガ—アッカムイの森に生きる

ISBN-4-06-206883-4
講談社

追記 --- 4.Jan.1999 Naoki


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