ギターの思い出
初めてギターを手にしたのは多分10歳のクリスマスでした。
オヤジに「ピアニカかギターか好きな方を買うてやる」といわれて近鉄奈良駅近くの「あこや楽器」に行き、「ギターの方がかっこええ」という理由で店頭に立て掛けてあった3600円のガットギターを買ってもらったんです。
添付してあった説明書と調律笛でチューニングだけは覚えましたが、何から手を着けて良いかわからず、とりあえずNHK教育のクラシックギター講座のようなものを眺めては、ポロポロとやっておりました。
オヤジは、音楽には無縁な男ですが、時々ギターを貸せと言っては5弦だけを使って古い歌謡曲のメロディーを弾いてみせました。
これではいつまでたってもギターが弾けるようにならないと思い、多少フレット音痴だったそのギターにも満足できなかったので、中学の入学祝いに強請ってカルカッシギター教本と22000円のハンドメイドのガットギターを買ってもらいました。
このギターは、当時はけっこうな代物で、実に良い音がしました。
僕は、そのギターが大好きでした。
しかし、中学に上がってみると、当時は和製フォークが流行っていたため、先輩達はスチールギターをザンザカやっていました。
よく、何人かの学生達がそのギターの周りに集まって、楽しげに歌を歌っていたりしました。
「ガッツ」だとか「新譜ジャーナル」などのフォークソング雑誌を手に、次はどれにしようかと話し合って決めるのです。
覗き込んでみると、楽譜にはコードシンボルが付けられており、僕には最初それが何を意味するものか分かりませんでした。
先輩からコード譜について教わると、僕はフォークギターに傾倒し始め、面倒くさいクラシックの練習はやめて、例のザンザカをやるようになりました。
これにはやはりスチール弦を張らないと形になりません。
2台のガットギターには、哀れにも下敷きを切って作ったピックガードが貼り付けられ、スチール弦を張られてネックが弓なりに反ってしまいました。
横浜にやって来ると、ギターで歌を作ることを覚えました。
そして、自分はシンガーソングライターなのだと思うようになりました。
そんなある日、教室にテイスコか何かのエレキギターを持ってきている奴がいたのです。
あんなモノから音が出るとは。
決していい音だとは思いませんでしたが、何か刺激的でエキサイティングな楽器だという印象がありました。
僕はロックには殆ど無縁で、小さい頃親戚の家でローリングストーンズの“She's a Rainbow”を聞いたことがあるくらいでした。
親が聞かせないようにしていた向きもあります。
横浜の中学の友人達は、そんな僕にいろいろなレコードを貸してくれました。
ビートルズの“Let it Be”、ジミヘンの“Purple Haze”、ツェッペリンの“Black Dog”、
中で一番驚いたのが“Cream Live Vol.2”というアルバムで、未だにCDで聞き返すことがあります。
僕はお茶の水の下倉楽器へグレコのレスポールカスタムの模造品を買いに走りました。
それからはエレキギターの虜になり、ジェフ・ベック、サンタナから、果てはマハビシュヌオーケストラだのラリー・コリエルだのと人が嫌がるもの(ファンの方ゴメンナサイ)まで聞きまくりました。
自宅にあった歌もののレコードはバート・バカラック、PPM、S&G、ビートルズくらいで、ギターヒーローもののLPばかりが増えていきました。
身近にロックギターの凄腕がいたこともあり負けじと練習した甲斐あって、やがて「橋本君ってギターがうまいらしいよ」ということになりました。
「聞かせて」などと言い寄ってくる女の子も現れるようになり、なかなかハッピーな青春の始まりです。
そうやってかなりギターに自信を持ち始めたころ、スイカ男が「すごいギター弾きがいるから遊びに来い」と電話をくれました。
彼の部屋に行くと、フォークギターを抱いて厳つい男が座っていました。
秋山とかいうジャズギタリストで、多分歳は同じくらいです。
そいつは、やおら大きな手で自由自在にジャズギターを弾いて見せました。
こんなやつがいるのか、これはかなわんという印象でした。
そして自分のギター演奏も、演奏してきた音楽も、彼のプレイの前では陳腐なものに思えてしまいました。
秋山は、今度は僕に演奏してみろと言いました。
僕が後込みしていると、スイカ男から僕の弾き語りのテープを聞かされて大変興味を持った、その中のどれでもいいというのです。
仕方なく僕は、ソロギターではなく、フォークを一曲歌いました。
秋山は、意外にもそれを絶賛してくれたのです。
「君には特別な才能がある」と彼は言いました。
スイカ男も、僕がクリームやジミヘンのコピーをやっているのが腑に落ちないらしく、「おまえはギターより歌の方がよほど面白い」と言いました。
ギターヒーロー気取りであった僕としては、面白くありませんでした。
秋山は、「いいからこのギターを聞いてごらん」と、ボブ・マーレイ&ウェイラーズのライブレコードのテープをくれました。
「“No Woman No Cry”という曲のギターは素晴らしい。僕にはああは弾けない」というのです。
自宅に帰ってその曲を聴きました。
僕には、なるほどそれが素晴らしいものだということがよくわかりました。
シンプルで落ち着いたギターですが、歌の中で全て一つに溶け合っていたのです。
こんなことができたらと、僕は新たな意欲を抱くようになりました。
それから、セッションではなく、バンド活動に精を出すようになったのです。
本当にいいと思ってもらえるギターを弾こう。
しかし、その夢はギターを練習するだけでは実現できないものでした。
先日、パパイヤパラノイアの石嶋さんがスタジオセッションを企画してくれました。
彼女とは過去にオレンジチューブというバンドで一緒にプレイしたことがあります。
短い付き合いでしたが、お互いにその頃の苦楽をどこかしら支えにしてきたのです。
彼女は、バンド活動に落胆している僕を見かねて、敢えてセッションを企画してくれたのだと思いました。
ぶっつけの即興がライブのように盛り上がるのを体感しながら、バンドの本来の姿と、その中で僕がギターを手にすることの意味というか、役割について改めて考えさせられました。