徒夫散人の宿題


 徒夫散人(とふさんじん)又の名を侮易徒夫(ブイトフ)、彼は僕の最も尊敬する人物の一人でした。 このエッセイで彼のことに触れるのは、よそうと思っていました。 到底書き切れるものでもないし、満足な表現もできないからです。 しかし最近何故かまた特によく彼のことを思い出します。 だから、少しだけ書いてみたくなりました。
 詩人であり、旅人であり、芸術家であり、音楽愛好家であり、郷土史研究家であり、教育者であり、ヘビースモーカーであった彼は、決して怒らず寛容でありながらアイロニックな視点と毒舌の持ち主で、知人からは「万年青年」と評されていました。 早くに愛妻を亡くし、男手一つで一人娘を育て上げ、娘が嫁いでからの数年は自ら曰く「独居老人」生活でしたが、そうやって四十年近く暮らした公団住宅は、老朽化を理由に新しい高層住宅へと建て替えられることになりました。 引っ越しまであと数日となった頃、しかし彼は一足先にそこを出なければなりませんでした。 病院に入院する必要があったからです。 肺癌でした。 まだ寒気が身にしみた晩冬の宵、愛飲の「わかば」を上着のポケットに押し込むと、「さあ、行くか」と彼は立ち上がりました。
 長年公立中学で教鞭を執っていたことのある彼は、その病棟を最後の教室にしました。 最後の生徒、すなわち彼の娘のための教室です。 毎日看病に通う娘に、自分の姿をよく見ておくよう彼は言いました。 娘には幼い息子がいました。 彼は、その孫に二つの教訓を与えました。

 「おちつきなさい」

 「おとこはなかない」

 子供向けの平明な言葉でありながら、この教訓は僕を含めた全ての人にも、厳しく、優しく、奥深い響きを投げかけます。 そして彼はそれを病棟で実践して見せました。 狼狽えてしまう患者の少なくない呼吸器病棟で、彼は全くと言っていいほど不平を漏らさず、笑顔と感謝とを忘れず、特有のジョークを絶やしませんでした。 病棟の隣人の名前を覚え、看護婦の出身地を覚え、彼は新たな友人を幾人も得ました。
 彼はクリスチャンでした。 クリスチャンには、臨終に備えてオリーブオイルで額に十字を描き罪を清める「末油式」という儀式があるのだそうです。 様態が悪化して駆けつけた司祭にその十字を描いてもらった日、おそらく彼の最後の生徒に向けたのであろうメモ帳の日記には、一言、「これが末油式というものだ」と記されていたと聞きます。
 ある日彼は心電図の破れ紙の裏に、ふるえる手で孫の名を書きました。 孫は未だ小学校にも上がらぬ幼子でしたが、そのメモを見つけた看護婦の計らいで、特別に集中治療室への入室が許可されました。 いろいろな管が刺された祖父の姿を見て取り乱すのではないかという懸念もありましたが、果たしてそれには及びませんでした。 大人用の衛生服を端折ってマスクとキャップに身を固めた幼子は、天使であるかと見違えるように優しく、そして凛々しく彼の手を取り、目と目で笑顔を交わしました。
 ある秋の日、朝から降っていた雨は上がり、雲が切れて日が射しました。 「おちつきなさい」、「おとこはなかない」、最後の教室にこの二つの目当てを残し、その日の午後、彼は悠々と帰天しました。

--- 09.Jul.1997 Naoki


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