日比谷のスズメ
出先で一仕事終えたお昼過ぎ、飯でも喰うべぇと、目前の日比谷公園にふらりと入りました。
思い出のある処で、公園内にある日比谷公会堂に宇宙物理学のホーキング博士やグロス博士の講演を見に行ったことがあります。
親友が自分のチケットをくれたんです。
いい奴でした。
この講演、大変面白かったのですが、まぁその話は別の機会に回すとして、実はこのタイプの公園、元来はあまり好みではないのですよ。
歩道はアスファルトで固められ、「芝生に入るな」の看板、真ん中にはでっかい噴水、どうもお決まりのパターンです。
けどまぁ、この噴水の脇で吉永小百合さんがロケされたんだなぁ、イイオンナだったなぁ、いや今でも至極魅力的な方だ、などと感慨深くちょっと道草を喰った次第です。
それに、この公園に植わっているのは、設計の中心的人物であった本多静六博士が首をかけて守ったという古木の大銀杏をはじめ、殆どが凛とした壮木で、その落ち着いた空気にはやはり何かしら人を惹き付けるものがあります。
人だけではない、先ほどの噴水では水飛沫を浴びながら色鮮やかなカモ(鴨)の番(つがい)が心地よさそうに羽繕いをしていたりして、おっと、そういえば鳥が多いですね。
カラス(烏)の鳴き声はするものの、以外にもハト(鳩)の姿は見かけませんでした。
代わりに、嗚呼、鳥に不案内な我が身が情けないのですが、名も知らぬ鳥が楽しそうに囀っていたり、比較的大柄な、いやムクドリ(椋鳥)ではないな、白黒の綺麗な鳥が飛び立ったりします。
平日の午後一時過ぎというのに人出の多いこと、特にOL風の方が多い、何してらっしゃるのだろうねと思いつつ立ち寄ったのは、公園資料館横の「ひびやサロー」という、これはまさしくカフェ。
この公園には他にも二三、カフェ風の店舗が見受けられます。
妙にラーメンを啜っているサラリーマン風のオジサン(僕もか)が目に付くテラスで、当店ご自慢のオムライスをオーダーしました。
中学生の頃、横浜野毛坂に明治からあるという洋食屋で戴いたデミグラスソースのかかったごついやつが出てくるのかと思いきや、至ってシンプルな、ケチャップのチキンライスを薄焼き卵で包んで上からまたケチャップという、まさしくこれはオムライス。
しかし卵は微妙に半熟で、ケチャップの濃さも適度、鶏肉も多からず少なからず、うむうむ、これぞオムライスの王道...とかなんとか感心していたら、パッと近くに何やら降り立った。
おや、スズメ(雀)が二羽、足下から数十センチのところに降り立った。
これは至近距離、異常な距離です。
そっぽを向いているけれど、明らかにこっちを気にしている。
しかも、「ピチピチ」と囀ってみたりする、自分の居場所を知らせているようなものです。
直感的に、「ははぁ」と思いました。
奴らは、ニジリニジリと間隔を詰め、やがて足下から二十センチもないところまでやってきました。
「おこぼれ頂戴だな...」。
では試しに、ケチャップライスを一寸摘み、手を差し出してみました。
逃げない。
むしろ、物欲しそうにこちらを見上げているではありませんか。
足下に落としてやると、「ピピ!(頂き!)」ってな感じであっという間にたいらげました。
それから僕が食べている間じゅう、足下に降りたり、すぐ側の塀に乗ったり、面白いから何回か恵んでやりました。
感心したのは、僕が食べ終わった瞬間にどこかへ飛んで行ってしまったこと。
如才のない奴らです。
それにしても、スズメに餌付けしたのはこれが初めて。
テラス脇の枝には「カラスに注意」のプレート、ブンと羽音がしたかと思うとスズメバチほどもありそうなアシナガバチのニアミス。
若干危険動物のいる環境は、僕は好ましく思っていますが、それに引き替え無防備なスズメ達です。
思えば噴水のカモも人のすぐ側に降りていた。
都心には追い回す子供が少ないということか、なんとも逆説的な都会の風景ではありました。
鳥というのは、一見臆病な動物です。
自由に大空を飛ぶことのできる代償として、地上に降りた彼等は無防備でか弱い生き物です。
猛禽であるワシ(鷲)タカ(鷹)でさえ断崖や樹上から降りようとはしませんし、海鳥の多くは他の獣を寄せ付けない孤島に営巣します。
しかし、犀の背に乗っている輩や鰐の口内に首を突っ込んで掃除をしている小鳥の写真を目にすることがあるように、時として彼等は非常に大胆なライフスタイルを見せます。
これは、本来魚を捕食するはずのイソギンチャクと戯れているクマノミという小魚と同様、「共生」というスタイルです。
鳥の中には、自分が弱い分、他の生物と共に生きるという方法によって賢明に暮らしている輩がいるわけです。
ツバメ(燕)が、山奥でなく、人家の軒先なんぞに巣を掛けるのも、カラスや蛇などの天敵から雛や我が身を守るためと考えられます。
ウグイス(鶯)やメジロ(目白)を初めとする山鳥が、意外と人家の側に、時として住宅地なんぞに暮らしているのも、彼等の賢明な、或る種勇気のある判断に基づいているのかも知れません。
人間はしかし酷い野郎共で、こういった鳥を捕まえて売り飛ばしたりしますから、山鳥の多くは捕獲禁止の沙汰になっています。
可愛くて人気の高いメジロなぞはその一つ。
業者はやむなく売買可能な大陸のメジロを仕入れてくるしかありません。
ところが此奴は大柄で鳴き声も喧しく趣がない。
そこで人間様の中には、検閲が済んだら大陸のメジロを野に放ち、密猟した内地のメジロにすり替えて売る不届き者がいるという話を耳にしたことがあります。
密猟でダメージを被ったところへ競争力繁殖力の勝る大陸のメジロに凌駕され、内地のメジロは絶滅の危機にあるのだそうです。
それでも、多くの鳥には、人間達に寄り添って暮らす傾向がある。
これを見て人間様は、鳥達の「習性」だとか「本能」であると鷹を括っていたりするわけですが、本当にそうでしょうか。
「現存する中で最も恐竜に近い生物、それは鳥です」、故カール・セーガン博士が「コスモス」という彼の番組の中でそう言っていたのを記憶しています。
恐竜は、ご存じの通り、二億年やそこら地球上を制覇していた動物で、その強さたるや獅子虎の及ぶところではなかったでしょう。
そして彼等は巨大化するため、骨格の力学構造に工夫を凝らしました。
丁度クレーンの鉄骨のような構造を採用して、骨の軽量化に成功したのです。
鳥が、空を飛ぶ動物の中で哺乳類や爬虫類よりも栄えているのは、この恐竜の頃からの遺伝的特徴に依るところが大きいと考えられます。
ともあれ、正確なところは知りませんが、少なくとも六千万年以上前から鳥はいるわけで、昨日や今日ポッと出てきた二本足よりも遙遠な歴史を持つ彼等を見くびるのは考え物です。
彼等の「習性」は、彼等の意志決定の積み重ねから生み出されたものかも知れません。
彼等が決意したのは、人間と共生することです。
しかし「(鳥の)言葉の通じない人間」は、そんな働きかけにも気付かないまま、やれ習性だ本能だと片付けて、共生の本質を理解せぬまま、自分達は地上最強の動物であると傲っているだけかも知れませんね。
大学生の頃、不思議な体験をしたことがあります。
アルバイト先からの帰り、帰宅ラッシュの7時頃だったでしょうか、横浜線から田園都市線に乗り換える長津田という駅の階段の踊り場に人集りができていました。
見ると、ツバメが一羽、踊り場から出られなくなっていたのです。
硝子窓が閉じられており、ツバメ君はそれに幾度か体当たりを繰り返しては天井近くを飛び回り、疲れると人の手の届かない鉄骨に留まって休憩しています。
しかし、表の景色が暮れ馴染んでいくのを目にして気が気ではないようで、かなり焦っている様子。
通りがかりのオジサンが硝子窓を開けたのですが、風通しにしかならない構造で、下の方に10センチばかりの隙間しか空きませんでした。
そこから出てくれればいいのですが、人の高さまで降りたくないのでしょう、ツバメ君は相変わらず硝子に体当たりを繰り返すだけ。
かなりパニックに陥っている様子です。
オジサンは、手を伸ばしてみたがとても捕まえられそうになく、諦めて行ってしまいました。
「誰か助けてあげなさいよぉ!」と野次馬の中から悲鳴にも似たオバサンの声。
僕は、そりゃ助けてはやりたいけどさと硝子窓のところまで行き、取り敢えず捕獲を試みましたが、とても無理。
何せ動きが早い。
その内ツバメ君は、またも天井の鉄骨の上まで逃げてしまいました。
僕は仕方なく、さて何か脚立のようなものはないかいなと見回しておりました。
するとツバメ君、やおら天井から舞い降りてきました。
ふらふらっと舞い降りて、翼を広げたままの妙な恰好をして壁に貼り付いてしまったのです。
壁に当たって翼を折ったのかもしれないと思いました。
何かに引っかかったのだろうと思いましたが、壁はザラザラしているものの、そのような突起は見当たらず、一体どうして貼り付いているのか不思議でした。
実は針金のようなものが出ていてそれに突き刺さったのかとも考えました。
僕はそっと近づきました。
間近に見たツバメは、抱いていたイメージ以上に美しい鳥でした。
静かにしています、逃げる機を計っている気配はありません。
でも死んでいる風ではない、生きている。
そのしなやかな体から、生命の輝きのようなものを放っているのが分かりました。
左の翼を大きく開き、頭は上を向いていて、その後頭部は僕の気配を充分察知しているようです。
僕は、何が何だか分からず、でも捕まえるしかないなと決心しました。
ゆっくり、ゆっくりと手を差し伸べます。
なんだかツバメ君が心の目でこちらを見ているように感じます。
でも、じっとしています。
そして、両手に抱いたとたん、「ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!」と大きな悲鳴を上げました。
元気です。
「もう大丈夫だよ」と言い聞かせて窓の隙間から差し出してやると、「ピーッ!」と一声残して薄暮の中へ飛んで行きました。
手に抱いたツバメは、何物にも例えようのないくらいふわふわで、小さく、まるでファーストキスのように感覚がいつまでも掌に残っていました。
しかし、すぐ我に返り、ツバメ君が貼り付いていた辺りの壁を見ました。
針金のようなものが出ているか心配だったのです。
幸いそのような物はなく、冷静に見れば桟のようなものが渡してあり、微妙なバランスをとってこれに乗っかっていたのかも知れません。
とても爪の立つような所ではありませんから、無理矢理へばりついていたということでしょうか。
もし衰弱したか気絶したのなら落ちてしまったでしょうし、そもそも人の手の届く高さ、いや実際なぜ僕の肩より低いところまで降りてきたのかが疑問です。
元気に飛んで行ったのですから、翼は折れてなんかいませんでした。
ということは、ツバメ君は彼の意志で僕の手の届く所にへばりつき、わざと翼を拡げて注意を引こうとした、そう考えるしか説明が付かないのです。
このままでは死んでしまう、そこで彼は賭けに出たのではないでしょうか。
しかし、根拠のない賭けではなかった、彼は人間が自分を捕食する動物ではなく、共生し得る動物であるはずだと自分に言い聞かせたに違いありません。
更に、人間はもしかしたら自分達ツバメが彼等を共生相手に選んでいることを理解しているかもしれない、ならば助けてくれる可能性がある、そこまで熟慮したと僕は想像します。
ならばどうやって「(鳥の)言葉の通じない人間」に自分の意志を伝えるか、そうだ「傷つきのポーズ」をとろう。
そして最後に勇気ある決心を固めた、僕はそう確信しています。
--- 21.Apr.1998 Naoki
--- 追記 23.Apr.1998 Naoki