開幕戦
海の向こうでは敬愛するロサンジェルス・ドジャーズの野茂英雄が白星スタートの大リーグ通算30勝を果たして、今年も野球シーズンが始まりました。
僕は、高校生のころ横浜スタジアムでアルバイトをしていたことがありますが、観客として野球場に入ったことはたった一度、小学校のころ父親につれていってもらった大阪球場だけです。
今はなき南海ホークスの、今はなきホームグラウンドでした。
別に野球が好きだったわけでもないのですが、初めて見たナイター照明に浮かび上がる土と芝のコントラストは子供の目に新鮮でした。
球団のイニシャルが自分と同じということや、球団のイメージ・カラーが自分の好きな緑色だったこと、そして父親からサブマリン投法の杉浦選手、俊足の広瀬選手、それに戦後初の三冠王の野村選手などのことを聞かされていたので、なんとなく南海ファンではありました。
「南海」という響きも、当時父親につれていってもらった「ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘」を連想させるものがあって、気に入っていました。
そして、その日、野村克也は夜空に3本のホームラン・アーチを見せてくれました。
と前振りするまでもなく、お気付きの通り、僕はアンチ巨人であります。
マスコミをスポンサーとし東京をホームグラウンドとする大球団ジャイアンツは、当時川上監督の元、V9(でしたっけ?)のまっただ中にあり、王貞治、長島茂雄などのスーパースター達が圧倒的な支持を獲得していました。
おそらく、実力を持ちながら全国区スターとは言い難かった野村選手にとって、ON人気には切歯扼腕の思いだったのではないでしょうか。
期せずして南海のなれの果て福岡ダイエー・ホークスには王監督が就任し、ジャイアンツは当然のごとく長島監督、そして野村さんは今ヤクルトの監督に就いています。
横浜スタジアムでアルバイトをしていたころ、一番好きだったのがヤクルト・スワローズです。
僕は、一度、燕を助けたことがあります。
大変不思議な体験でしたのでまたの機会にお話ししたいと思いますが、とりあえずそんな因縁もあって燕が好きだからという理由が一つ。
そしてなんと言っても、太田さんとかいう眼鏡のオッサン(もうジイサンかな?)が音頭をとって繰り広げられる応援の愉快さ。
例の、傘を広げて東京音頭を唄うあれです。
応援団の統制下で行われるのではなく、観客が喜んでオッサンと一緒にやるんです。
日本の野球の応援にいいところがあるとすれば、あれでしょう。
そこへ野村さんが監督に就任したわけですから、これはもう応援せざるを得ない。
そして、既に数回のリーグ優勝と日本一をやってくれました。
面白いのは、スター選手がいないのに、気が付けば優勝してたりするところ。
無名の若手選手が突然開花したり、お役御免のベテランがいきなり返り咲いたりします。
阪神をクビになったオマリー選手だの、西武をクビになった辻選手にしたってそうですね。
実績のある大リーグ出の助っ人はおらず、ノーヒットノーランに成功したブロス投手ですら3A出身です。
長島巨人は好対照といえるでしょう。
バリバリの大リーガーを呼び、日本屈指のスター選手を集め、ヤクルトに破れたとなるとその3番4番の主軸選手を引き抜く。
でも、妙に勝たなかったりする。
不思議なもんです。
難しいことは分かりませんが、やっぱり野球もチームプレーなんでしょうね。
もちろん、実力は球界ナンバーワンで、去年のペナントレースは巨人が征しています。
そして今日は1997年セリーグペナントレースの開幕戦。
奇しくもカードは巨人対ヤクルト!
松井、清原のスーパースター打線に開幕三年連続完封勝利投手の斉藤を擁する巨人に対し、どう考えても小粒としか言えないヤクルトは相撲を取らせてもらえるのか?
だいたい落合選手獲得にも失敗し、クリーンアップに助っ人外人もこれといったスター選手もおらず、去年広島を自由契約(要するにクビ)になった小早川が入っているくらいですから、いくらなんでも今年は見るに耐えないペナントレースになるだろうと思っておりました。
失礼しました。
私が悪ぅございました。
名声や肩書きじゃないですね。
努力とチームプレーですね。
ご存じの通り、小早川選手の開幕三打席連続ホームランで、ヤクルトが試合を征しました。
--- 4.Apr.1997 Naoki