自由のチケット
ライブを見に来てもらうためにチケットを買ってもらいます。
招待券は配らないですし、自腹を切ってライブハウスを借り切るということもしません。
お金を出して見に来てもらうのです。
しかし、僕は職業音楽家ではありませんし、小遣い銭が欲しいわけでもありません。
そういうチケット収入というのは殆どがライブハウスの維持費に消えていきますから、プレイヤーはどのみち総合的に見て赤字です。
ですから、多くの人に見てもらいたいのなら、駅前で演奏するとか、貯めた金でチケットを撒くとか、見に来てくれた人には金一封差し上げますとか、そういうことだって構わないはずです。
でもそうはしたくないんです。
何故こだわるのか...
冷戦が終わって(←随分と話が飛躍しますね!)資本主義が共産主義を征したというふうに表現する人がいるようですね。
もちろん「資本主義が勝った」などと本気で思っている人は、そう多くはないだろうと思います。
自由経済の歪み、腐敗、行き詰まりのようなものが、共産国家の崩壊の頃から既に露呈してきました。
学生の頃、子供心に思いましたよ。
国民総生産だか国内総生産だか知らないけれど、前年比率何パーセントの伸び率が下がったから不況だ、上がったから好況だというのでは、これから何十年何百年経ったとき世の中はどうなるのか。
そういうものはインダストリーエイジ、いわば産業革命の申し子の思想で、人類の営みの中では一つの過渡的な価値観でしかないはずです。
バブル崩壊から景気を回復するには、新車を再び月産何万台の生産軌道に乗せて、地価上昇率を何パーセントに回復して...といった構想を抱く人がいるようですが、そりゃ変ですよ。
そんなことしたら地球上は車でいっぱいになるし、地価なんて意味をなさないくらいの高値になってしまうということぐらい子供でも想像がつきます。
インダストリーエイジの価値観は、人類が次のステージに向かうための、言葉は悪いけれど一時の錯覚のようなものだったのです。
少しフォローするなら、ワクチン注射のようなものだったというべきでしょうか。
確かに共産主義は或る意味で自己崩壊しました。
しかし、購買欲に踊らされている我々は、果たして何を手に入れたのでしょうか。
マイカーに大枚を投じるお兄さんも、ブランド品を物色するお姉さんも、何を手に入れるのでしょうか。
特に心苦しいのは、社会の金銭崇拝が子供達にダイレクトに反映されているということです。
昔から売春というものはあったけれど、今時の援助交際なる売春に従事なさっている女学生比率の高さ、罪悪感や羞恥心の欠如、そういったものが家庭や教育現場に限定された問題だと言えるでしょうか。
更には、低年齢層の購買欲を食い物にする流行りオモチャの手法。
TVや漫画で火を付け、小出しにしてブームを起こし、値崩れを防ぎ関連商品まで売り尽くそうというやりかたが昨今の常道となっているようです。
ある百貨店でパートをやっていた人から聞いたのですが、在庫はあっても出さないのだそうです。
それで余計に欲しくなるというわけです。
それ自体、賢いやり方なのでしょう。
オイルショックの時のトイレットペーパー騒動で儲けた奴と同じ発想です。
しかし、年端もいかぬ子供相手にそんな卑怯なことをして恥ずかしくないのかと思う。
手に入りにくいポケットゲームを餌に子供を集めて金を取り、当たりのないくじを引かせて「はずれオモチャ」を売りさばいているテキ屋も出る始末。
大の大人が、大の企業が、子供相手にせこい銭集めをやっています。
TVアニメや漫画だって、売れればいいわけだから、女の子を裸にひん剥こうが、人を殴り殺そうが、それもまた表現の自由と居直って、やっぱり銭集めに終始しています。
資本主義もまた自己崩壊の道を突き進んでいると感じます。
資本主義のモットーは自由経済です。
デカルトは「自由」にはレベルがあり、我々が求めるべきは「高邁(こうまい)な自由」であると説いたそうです。
「高い理想のための自由」という意味です。
今我々が勝ち得た自由は、どれを買うか選択する自由、その程度です。
我々の目指すべきものは、もっと高い理想のための自由経済であるべきです。
逆を言えば、もし共産主義が「高邁な平等」に向かっていたなら、決して破綻しなかったでしょう。
何もかも同じに、均等にしてしまうことを「平等」とはき違える向きがあります。
同じような教材を与え、同じように教育し、同じような服を着せ、同じような道に進ませることは平等ではないのです。
何故なら、同じ人間は二人といないからです。
差別や依怙贔屓を肯定しているのではありません。
サッカーのコーチをしていて思うのですが、上手い子、下手な子、やる気のある子、あんまりない子、フォワード向き、ミッドフィルダー向き、ディフェンス向き、キーパー向き、小さい子供でもやはりあるんですね。
しかし、それらの個性が一丸となって勝利したとき、スター選手からそれこそベンチウォーマーまで一緒になって抱き合って喜ぶようになります。
「平等」の意味するところは「均一」ではないのです。
そう考えれば、20世紀の世紀末とは、理想を見失ったカオスの時代と表現できるかも知れません。
先ず先陣を切って共産圏が自己崩壊し、自由経済圏に合流を始め、しかしその自由経済圏も既に崩壊を始めている、そんな図式です。
新しい価値観が必要なのです。
ですから、21世紀を「情報化の時代」だとか「エコロジーの時代」だと推察するのは大凡正解であろうと考えられますが、もう一つの側面、というよりそれらの根底にあるべきものを考えれば「心の時代」になるであろうと思われます。
そのために、我々は今何をすべきか、未来を信じる人々の少なからぬことを期待します。
さて、話があらぬ方向に行ってしまいましたが、そうそう、チケット代の話でしたね。
そうなんです、チケット買って欲しいんです。
以前バンドでライブをやったとき、友達が何人か来てくれました。
受付で前売りをさばいているとき、「かまし連発」というバンドのボーカルだったイッペーなる輩が来て、「タダにしろ」とか「ナンボか負けろ」と粘っていたんですね。
すると、一緒に来ていた当時売り出し中の後輩が、「直樹さんのライブの料金を値切るとは何事ですか、僕はちゃんと買わせてもらいます!」と怒ったんですよ。
そのとき、なんだかとても嬉しかったんです。
「儲かった」というんではなく、「ありがとう、一生懸命やるからね」って感じです。
ま、そんなようなことです。
だから今度はちゃんと券買ってくれよイッペー。
--- 17.Aug.1997 Naoki
更正 --- 21.Aug.1997 Naoki