少女とボール
その年、1年生のガキンチョチームは超コンパクトサッカー、
即ちお団子サッカーでワシワシと戦っていましたが出ると負け、
得点すら上げたことがありませんでした。
そんな折り、ある子が猛烈にアタックして、
遂にチーム初得点を奪いました。
女の子でした。
彼女は、とても可愛らしい子でしたが、人一倍、
いや二倍か三倍負けん気が強く、いつも勇猛果敢に戦っていました。
守備から攻撃まで全速力で走り回り、紅一点ながらチームの核として
男どもを引っ張るくらいのパフォーマンスを見せていました。
ところが、3年生の時でしたか、熱中症で倒れ、
心配した親御さんがクラブを退部させました。
お母さんはクラブの保護者会長でしたし、
お兄ちゃんは6年生のエースでしたから、
退部後も彼女はグラウンドへ遊びに来ていました。
今度はスカートを履いて、けれどボールは持って。
ボールを持ってきたとはいえゲームができるわけでもありませんから、
お母さん方が倉庫前で立ち話をしている所へ行ってその輪に加わっていた、
僕はその背中を複雑な心境で眺めていました。
すると突然、男の子が蹴ったシュートがゴールマウスを逸れ、
その彼女の背中にドンと命中。
息が詰まったに違いありません。
心配して駆け寄ると、彼女は泣くのを堪えて振り向き、
ボールを取りに来た男の子を睨みつけていました。
印象的なシーンでした。
その後しばらくして、彼女のお母さんに協力を仰ぎ、
女子チームを再建したのは自然な流れでした。
最初はクラブ内の女子クラス創設という働きかけをしましたが、
諸々の事情あって叶わず、独立したクラブにしました。
彼女は、いわばその新生クラブの1期生となるわけです。
最初は彼女の友達と妹のたった3人のクラブでしたが、
今では近隣小学校から通う子ら含め20人近くになりました。
チームはしかし、1年生から6年生、大半が初心者ですから
なかなか彼女の望みに適うような戦いができるわけではありません。
男子の低学年チームにも歯が立たず、
彼女にとっては悔しい毎日だったに違いない。
彼女自身は、Jリーグ下部組織のサッカー教室に出向いたり、
陸上大会に参加したりしていました。
陸上では、隣の区と合同のカテゴリーで1位になり、
新聞の地方欄に名前が載ったほどです。
如何せん、彼女中心にクラブを運営するわけにもいかず、
指導方針としては専ら初心者に歩調を合わせて来ました。
これからもそうしていくつもりです。
そんなチームではありますが、
近隣の女子チームからのご紹介で、
今年から市区の大会に参加できるようになりました。
次は県をと勧められていますが、
保護者の方々への負担を考えると、
気軽に入れる女子チームの域を超えてしまいます。
なので、そんな必要が生まれるのかどうか、
機が熟すのを慎重に眺める構えといったところです。
ただ、女子リーグに入れてもらい市協会にも登録したお陰で、
選抜の対象に加えて頂けることになりました。
県選抜の選手と組んで市代表チームを作る、いわゆる市選抜の対象です。
我がクラブは超初心者軍団ですから該当者ゼロという沙汰もあり得ましたが、
幸い今年は彼女が選ばれました。
「○○ちゃんは凄いねぇ!」
「さすがは○○ちゃんだねぇ!」
当の本人は陸上との兼ね合いがあり複雑な表情をしていましたが、
チームメイトは彼女の当選を誇らしく思い皆で大喜びしていました。
チームを離れ、数日のトレーニングを経て、
東京、川崎、湘南、藤沢を含めた市対抗戦に、
彼女は横浜代表として出場しました。
僕は、ビデオ片手に、立派な球技場へ観戦に行きました。
彼女はベンチスタートながら、その潜在能力から、
スーパーサブ的に扱って戴いていて嬉しく思いました。
それにも増して嬉しかったのは、
対抗戦に至るトレーニングの過程で
何人もの友達を得たらしく、
皆と笑顔で話をしている姿。
結果も準優勝と上出来で、
空色の市代表ユニホームで皆とスクラムを組み
記念写真を撮っている彼女の笑顔は眩いほどでした。
では、彼女のコーチ、つまり僕ですね、に対する信望も
篤いかというと、実はそうではない。
僕はさしたるテクニックもありませんから、
こんな男にサッカーを習ってていいのだろうか
という不信感を彼女は持っているはずです。
彼女の目の前でオウンゴールも2回やってます。
それも芸術的なボレーやバックヘッド。
「なにやってんのよもう!」
とでも言わんばかりの彼女の視線が突き刺さったっけ。
これじゃ薄れていくよなぁ〜信頼感。
加えて、どうしても低学年や初心者寄りの指導になりますから、
彼女からしてみれば、いわばウザい存在なのですね、僕は。
ですから、すれ違いざまなど彼女はふっと視線を逸らし、
挨拶を省略されることもしばしば。
なんともやるせないところではありますが、
しかし僕としては満足であり、
彼女にサッカーの機会を提供してこられたことを誇りに感じています。
先日も、今度は我がチームの区大会ということで、真剣勝負に遠征しました。
如何せん、ウォーミングアップも束ねられず、
中低学年は「はないちもんめ」に興じる始末。
付き添いの方と顔を見合わせ、
眉毛を八の字にして首を傾げながら腕を広げ合うしかない状況。
高学年は、サブグラウンドになっていた
消防団倉庫横の空き地へ降りて行ってしまいました。
「デルピ!」
僕はそう呼ばれていますが、珍しく彼女からお声が掛かった。
「なんじゃな?」
わざと爺さん口調で応対すると、
どうやらリフティングを練習していたら
ボールがネットを超えて出てしまったということらしい。
ネットは3m以上ありそうですから、なんちゅうでかいリフティング、
と、呆れながらネットの外を見て、あっ、と息を飲んだ。
ここは丘の上だったのですね。
ボールは何メートルも下に落っこちてしまったらしく見当たらない。
これは簡単な話ではなさそうです。
彼女はあちこち走り回るが降りる道はなし。
息を切らせて彼女の後を追っても追いつけず呼び止めた。
「どの辺へ落ちたんだ?」
「こっちのほう!」
案内してもらうとネットの外には柵があって、
ズミの木の仲間でしょうか、
そこには赤い実を沢山つけた木が生い茂っています。
見おろすと人家の屋根、その横は神社の屋根、
それらを超えるともうどこまで転がり落ちて行くか分からない景色。
ヤバイな。。。
みんなと一緒にアップしているように言い渡し、
僕は車で下へ回ることにしました。
神社、神社、あおによしの屋根の神社が目印です。
1kmほど大回りしてようようそれを見つけ、手頃なスペースに駐車。
怪しまれること間違いなしですから、先ずは人家に挨拶。
カメラ付きインターホン越しに事情を説明して裏庭へ。
庭にでも転がっていてくれればいいのだが見当たらない。
裏のブロック塀によじ登り、上から眺めるが無い。
これより下に転がったとすれば、
車道を挟みこの辺り一帯に家宅侵入しなくてはなりません。
もっと的を絞る必要があります。
赤い実を付けた木があった。
彼女はリフティングをしていたと言っていた。
リフティングはボールを蹴上げるだけですから、
本来そう遠くへは飛んでしまわないはずです。
先ずは赤い実の木を見つけて、
その真下からどう転がったかを推測するのがいいでしょう。
見ると赤い実の木は丘の上に2本あり、
丘の中腹から人家の裏庭までの斜面には柵がしてあって、
その中にはありとあらゆる雑草が茂っています。
ボールは先ずこの斜面に落下し、
雑草の中で止まるか、柵に引っかかっているはずです。
もし運悪くバウンドして出て行ったとすれば、
これはもう絶望的。
僕はブロックを上って柵を乗り越えることにしました。
柵は首の高さほどですが、足掛かりがないのでちょっと不安。
歳を取ってからはよく筋肉が攣るので少々ストレッチした後「せぇの!」とジャンプ。
腕がプルプル震えます。
僕は小学校のとき体操部にいたこともあり、
中1では吊り輪にぶら下がった体勢から腰まで上がり脚前挙できた数少ない生徒の一人。
身軽さには自信があったのですが、
今や筋力も衰え体重もずいぶんと増えている。
降りるか、登るか、腕が攣るか、プルプルしながらなんとか成功。
降り立った斜面は膝上まで雑草が生い茂り、
スポーツスーツ越しになんだか脚がチクチクする。
一歩進む度に足下がズルリと滑って倒れそうになり、
ありとあらゆる種類のバッタがバタバタと逃げる。
前人未踏の原始の森に突如怪獣が現れ平和を乱している格好です。
幅40〜50m、奥行き最大20mほどの雑草の森は、
踏破するには十分広く、試合時間も迫っているので、
正直言って途方に暮れました。
簡単に見つからないだろうか。
僕は先ず斜面の上まで辿り着き、そこから見渡してみました。
ボールは見えません。
下に建ち並ぶ人家数軒の裏庭にもない。
どうしよう、もう諦めて戻ろうか、、、
いや、ボールは必ずやこの斜面の中に留まっている、
僕はそう信じることにしました。
これから開始するローラー作戦は、必ずや報われるであろう、
自分にそう言い聞かせてモチベーションをコントロールしたのです。
赤い実の木は2本あるが、さっき見たのはおそらく右の1本である。
ボールがその辺から出て行ったという彼女の証言が正しいとすれば、
落下地点はこのあたりである。
10m近く落下したとしてもボールの勢いは雑草に吸収され、
殆どバウンドせずに転がるだろう。
柵に捕まっていないところを見ると、
ボールは斜面の途中で止まっているはずだ。
雑草の深さからボールは見えないが、必ずや存在している。
ボールが通ったような道はないだろうか。
残念ながらそれらしきものは分からない。
ならば、雑草をなぎ倒しながら、
この赤い実の木の下を降りていこう。
バサバサ、ズルリ、チクチク、バサバサ、ズルリ、チクチク、
これから何往復するやも知れぬこの行進の険しさを覚悟しながら
斜面の中腹まで降りたとき、左目の視野の左端に、白い広がりが。
(あった!ボールだ!)
それは、歩み出した最初のルートのほんの2〜3mほど左でした。
なんという確率。
僕はボールを拾い上げ、坊主頭にでもそうするように
「心配掛けやがって」と小突いてやりました。
本当に声に出してそう言ったようにも思う。
人家に礼を言って戻り際、チクチクが気になって足を見ると、
ありとあらゆる種がくっついてきていました。
靴ひもの辺りなど細長い無数の種が毬栗の棘のように逆立っている。
そういえば子どもの頃、空き地で遊ぶとよくこういう種を付けて帰宅したものです。
つまみ取れるものは取って車に乗り込み意気揚々と凱旋。
みんなと一緒にいるはずの彼女はグラウンドから眺めていたのでしょう、
車が戻って来るなり消防団倉庫の空き地まで降りてきた。
「ボールあった?」
助手席の窓の向こうから彼女が訊くので、
僕は運転席の窓を開け、車の屋根越しに投げてやりました。
ストライク!
そのときの彼女の笑顔。
またあの眩しいほどの笑顔を見ることができました。
第1試合は大差完封負け、第2試合も惜敗ながら無得点。
ピッチから戻ってくる途中、
口をへの字に曲げ今にも悔し泣きしそうな顔になっている彼女に
何やらフニャフニャと慰めの言葉を掛けましたが、
彼女は例によってふいと視線を逸らし、
逃げるように行ってしまいました。
あんた如きに弱みは見せないよってとこでしょうか。
まぁ仕方ない、いつものことです。
クロージングミーティングでは平静を装っていた彼女。
それから帰り支度をして本部に礼に行きました。
「ありがとうございました!」
礼が終わってザワザワ、ガヤガヤ、
子どもたちとお喋りしながらゴール裏を通っているときでした。
「危ない!」
という声と同時に気配を感じて顔を上げると、
シュートボールがゴールマウスを超えて飛んできた。
勢いがあるので、その先で誰かを直撃しかねない。
咄嗟にジャンプして右手を思い切り伸ばすと、
幸運にもボールは手のひらをジャストミートして真下に落ち、
ワンバウンドして腕の中に収まりました。
それはもう、周りから「おぉぉ!」と声が上がったほどの好プレイ。
誰が蹴ったのかと振り返ると、、、なんと彼女でした。
憂さ晴らしがてらゴールマウスに向かって一発強打したのでしょう。
僕は、ディスコダンスの決めポーズよろしく、
右脇にボールを抱えたまま左手で彼女を指さしてニヤリ。
彼女もゴールネット越しにヘヘヘと笑っていました。
彼女の笑顔は僕の勲章です。