僕は、子供の頃、作文が大嫌いでした。
先ず、箸の持ち方と同様、今でもそうですが鉛筆の握りがおかしかったので、すぐに手が痛くなってしまうのです。
ですから、たいして勉強もしなかったのに、小学生のときからペンダコができていました。
小学校低学年の頃、毎日とてもイヤな宿題が出ました。
日記です。
イヤでしょうがなかったので、いつもすっぽかしておりまして、やがて先生も諦めてしまいました。
ところが、「明日は授業参観日です。必ず日記を書いてきてください。」ということになって、満座の前で揶揄されるには忍びないと、その日ばかりは日記を書いて、明くる朝、珍しく提出したのでした。
日記といっても、形だけ、「今日は、お姉さんと馬飛びをして遊びました。」の一行だけです。
知恵を絞って沢山書くのは億劫だし、第一手が痛くなってしまうからです。
授業参観になって、先生が、「今日はみんなの日記を発表してもらいましょう。呼ばれた人は前に出て音読してください。」とおっしゃいました。
まあ、自分は形だけ提出したに過ぎませんから、門外漢を決め込んで落ち着いておりましたら、「では、橋本君、前に出て。」と呼ばれてしまったんです。
全身から冷や汗が滲み出しました。
自分の提出した日記が如何にお粗末なものか分かっていましたし、それを満座の前で読まなくてはならないのですから。
提出したノートを渡され、仕方なく黒板を背に立つと、足が震えました。
でも仕方がない、読んだのです。
「今日は、お姉さんと馬飛びをして遊びました。‥ひ、ひとりずつ交代で飛んで遊びました。」
僕は、思わず即興で話を膨らませたのです。
だって、一行きりの日記なんてあんまりじゃないですか。
すると、先生がおっしゃいました。
「『交代で飛びました』なんてどこにも書いていませんね。だめですよ嘘をついては。」
お母さん方からクラスメイトまで、「ワッワッワッー!」と爆笑で、僕は頭が真っ白のまま席に戻りました。
僕の次に読んだ女の子の日記は、鏡に太陽の光を反射して遊ぶことを覚え、井戸の中を照らしてみるといろいろな発見があったという詳細かつ高尚な内容のもので、馬飛び日記とのコントラストが印象的でした。
そんなこともあってますます日記が嫌いになり、作文が嫌いになりました。
ところが、その類の課題というのはなくならないのでして、小学校高学年になった或る冬休みの宿題も、400字原稿1枚の自由作文でした。
僕は、当初何を書いたらいいのかさっぱり分からず只ボーとしておりましたが、或る日ふと思ったことがあり、作文に着手しました。
内容は、こんな感じでした。
「みんなお正月だとかいって、着飾ったり、挨拶をしたり、気持ちを新たにしたりするけれども、お正月っていったい何なのか。
地球が太陽の回りを巡っていて、或る場所の辺りに来ると人間が勝手にそう言っているだけで、地球は何も変わらないし太陽も何も変わらない。
お正月というのは、実に馬鹿げた儀式である‥」
僕は、その作文をなかなか気に入りました。
時間に何故単位があるのか、単位とは何なのか、単位など実在しないのではないか、そういった思いに基づいていたのであろうと思います。
休み明け、これを提出し、赤い二重丸がつけられて戻ってくることを疑いませんでした。
その日、先生は僕をデスクに呼ばれました。
なんの用事だろうと行ってみると、「この作文は何だ」と先生は不機嫌そうでした。
どうやら、お正月を否定したことが多分に不謹慎であると思われたらしく、お正月が如何に大切なものかということを熱弁されました。
僕は、仕方なく黙ってそれを聞きながら、論点が違うじゃないかと不満を感じていました。
作文は、三角がつけられて戻ってきました。
そんなこんなで、2000年まであと1ヶ月。 貴方の2000年対策は、万全ですか?