ホームページに「エッセイ」なぞという触れ込みでコーナーを設けているところは比較的少数派で、「日記」という形でエッセイを執筆しておられるところの方が多いようです。 ということで、今回は日記形式で書いてみます!(大差なさそうですが‥)
8月19日(晴れ)
朝8時45分、大人のサッカーチームの練習に集合する。
今日は、高校生を交えての練習予定だったが一人も来ない。
そこで、中学3年生2名と小学5年生2名を呼び出す。
大人は8名。
広い遊水池のグランドは蒸せ返っている。
最近、天気予報が当たらない。
朝令暮改の連続である。
週間予報も前日予想も雨だったが、立派な晴天である。
暑い。
ミニゲームを行う。
ここのところ偶然、立て続けに同じアドバイスを耳にする。
テニスをやっている大学時代の旧友、同僚のコーチ、セリエBの監督のインタビュー、みんな同じ事を言っている。
「立ち止まってはいけない。常に軽く駆け足していて、必要が生じたらそのまま加速せよ」と。
最初のミニゲームはそこそこボールに絡めたが、2戦目からはパスを逸してしまったり、追い付けなかったりする。
疲れてきて、足が止まり出したのだ。
最近耳にしていたアドバイスの意味を身を以て痛感する。
立ち止まっている状態からでは、スタートを切る瞬間に片方の足が後ろに下がる。
体勢を低くして蹴り出すために、一歩後ろからスタートすることになるのだ。
体勢を作る時間に1拍、足が1歩下がるからもう1拍、都合2拍遅れるからその差は歴然である。
走る必要がないときも、立ち止まってはならないのだ。
サッカークラブの子供4人を連れて多摩川の花火を見に行く。
勤め先の屋上が特等席なのだが最近使えなくなったので、土手まで行くことにする。
未だ開始予定時刻15分前、土手へ向かう道では、マンションの壁が西の夕空の明かりを反射し、暗くなり始めたばかりの東の空から白く浮き出して見える。
その後ろ側にいきなり花火が上がり、白っぽいオレンジ色の大花輪を大音響と共に幾つも咲かせた。
びっくりする子供達。
土手は何万という人で埋め尽くされ、何キロにも渡って出店が並ぶ。
幸い絶好の場所を確保、屋台の焼き鳥の煙さえ我慢すれば目前に花火を見ることが出来る。
空はとっぷりと暮れなずみ、豪華な火の花が次々と咲いてそれを彩る。
最近の花火の種類の多さには驚かされる。
周りのお姉さん達のみならず、オジサン達も「あぁ、あぁ・・・おぉ、おぉ・・・いやぁー!」と感嘆詞ばかり。
中にはハート型や星形なんていうのもあって、花火技術の進歩にも驚かされる。
可愛かったのはスマイルフェースの花火。
黄色い丸い輪郭に、口は赤、目はミドリで、これが打ち上げられる度に横を向いたり、正面を向いたり、逆さまになったりして広がるから愛嬌がある。
打ち上げ台に近すぎたか、空からバラバラと燃えかすが降ってくる。
大きなものや連発があると、その1分後には灰を被る羽目になるのだということが分かってくる。
ときどき火がついたままのものも降ってくるので、気を付けていないと火傷をしそうだ。
ずっと見ている内、大音響や迫力にも慣れてくる。
横浜開港記念日や鶴見川の花火など思い出す。
花火が好きだった友人のことなども思い出す。
江戸川だ何だと、きっと今年も出かけていることだろう。
気が付くとナイアガラが始まり、空は連打連打の大団円。
しくじった、最後まで見てしまった。
この後、猛烈な人混みと渋滞にハマったことは言うまでもない。
8月20日(晴れ)
やっぱり天気予報は外れた。
逆を考えておけば、相当な確立で当たっていることになる。
子供の付き合いで、朝一番から映画を見に行く。
アイドルが出演する推理サスペンスものの2本立てで、全部見終わるのに2時間以上かかる。
僕は妖怪特撮ものにしようと主張したがダメ。
自分が小さい頃は怪獣映画を見たがったものだが。
アイドルは可愛らしかった。
「ああ、あんな頃があったよなぁ」とジジィ心がくすぐられる。
帰る道すがら、子供に「鬼も十八番茶も出鼻」という言葉について解説する。
出鼻を過ぎてからが大切だということも。
「写真の顔と実際の顔が違うのは、実際の顔が動いているからだ。
だから、その人の表情、その人の心が顔になる。
鏡の中の止まっている顔だけ眺めても仕方がない。
サッカーも同じだ。
ボールはいつも動いている。
動いているのがボールだ。
プレイスキックばかり練習するのは、鏡の中の顔ばかり気にしているのと同じだ」。
わけのわからんジジィの弁に、自意識が芽生え始めた子供が珍しく耳を傾ける。
昼過ぎから渋谷に。
衣料百貨店前の特設ステージで大音響を発しているのは、男女アイドルのプロモーションライブ。
威勢の良いリズムとディストーションギターの音は五月蠅いくらいにアウトローを装っているが、歌っていることは至って優等生。
お商売のためには、プラス志向の言葉を並べた方がいい。
それにしても幼稚化し過ぎてしまったものだ。
やってる側は悪くないよ、彼らを買ってあげる我々が幼稚なのだ。
大学時代の旧友と落ち合って映画を見ることに。
この旧友とは、前回のライブに来てくれるまで、十数年間会っていなかった。
Forest Song 弾き語りを心底気に入ってくれたようだ。
こういう貴重な人との出会いは、本当に大切にしなくてはならないと思う。
見に行ったのは中国映画界、いや世界映画界の鬼才チャン・イーモウ監督の「あの子を探して」。
この映画の紹介は割愛するけれど、全場面においてその説得力は凄い、凄すぎて圧倒的だ。
特に、子供達の表情が本当に素晴らしい。
想像以上に素敵な映画だった。
さて、この作品、出演者の殆ど全員がズブの素人なのだそうだが、その辺の「俳優」には及びも付かない存在感がある。
監督のこの映画に対する視点やスタンスが、人気映画やテレビドラマと明らかに違うことが分かる。
彼らの演技は、「俳優」には真似できそうにない。
これは、見れば分かる。
嘘だと思ったら見てください。
最近、「未来日記」というのが流行っているそうだ。
素人カップルに大まかな脚本を渡し、その気にさせてドキュメントする。
素人が入り込んでしまって、本当に泣いたり笑ったりするから説得力があるらしい。
「ドラマとドキュメンタリーを合わせたドラメンタリー」とは仕掛け人のいとうせいこう氏。
そういうゲームを提供する遊園地まで大盛況となる始末。
昨今学生達のコンパで流行っているらしき「王様ゲーム」を連想させるものがある。
くじ引きかなにかで負けると王様の命令を聞かねばならず、「誰々にキスをせよ」とか「誰々と抱き合え」なんてことを命じて愉しむらしい。
対人交渉が苦手な現代人には、打って付けなのかも。
恥を知れ。
さて、「未来日記」を「あの子を探して」と比較するのは笑止であるけれど、要は「俳優」の「ドラマ」が飽きられてきたということか。
その割に「アーティスト」の「ミュージック」は・・・。
流石に我々も、「資本主義」、「競争原理」、「プロ」といった美辞麗句の落とし穴に気が付くべきときに来ているのではないかな。
旧友とは、ずいぶん夜遅くまで話し込んでしまった。 学生時代には憧れの念を抱いていたぶん却って距離を感じたものだが、この夜はぐっと近しい関係になれたと思う。 久々に楽しい、夢のような週末であった。