正月の小学生
あけましておめでとうございます。
只今こちらは1999年が始まった辺りです。
元旦に実家へお年始で、なんだかなーと思った光景があります。
まず、世が世なら家長たるお祖父ちゃんが孫に向かって「おめでとうさん」などと声をかける。
孫は、「え?」なんて言っている。
「あけましておめでとうございます」とくりかえすお祖父ちゃん。
「あぁ、おめでとう」と孫。
どっちが偉いんだか。
確かに、この三が日、近所をうろついていると顔見知りの小学生に会ったりするんですが、しかし彼等は言いませんね、「おめでとうございます」って。
で、こっちから催促してやるんだけど、それでも「おめでとう」が言えるのは半分くらいかな、後の子はエヘヘと逃げてしまう。
どうやら、恥ずかしいらしいのです。
そういうマジなことが嫌みたいですね、ダサイんですね。
彼等、よく「マジかよおい」なんて言葉を使います。
つまり、真面目というのは非常なことなんですね。
普段は洒落てなきゃならん、真面目は野暮だよということなんでしょう。
挨拶が苦手な子供が多いのは、人が群れすぎたせいもあると思います。
何年か前、オヤジの郷に遊びに行ったとき、こんなことがありました。
虫採りをしようと思って一人で田舎道をあるいてたんです。
しばらく行くと、道端で草刈りをしているオジサンがいるんですね。
エンジン付きの草刈り機で黙々とやっている、地元の方でしょうね。
でも、僕にとっては全然知らない人なわけです。
だから、草刈りの邪魔にならないように、少し距離を置きながら通り過ぎようとした。
そしたら、オジサンなんだか憮然として、僕が通ろうとする方に草刈り機を向けてくる。
危ねぇなぁ、何のつもりだなんて思いながら避けて通って後で気が付いた。
つまり僕はとんでもなく無礼なことをやってしまったわけです。
1キロ四方誰もいないようなところで、人と人がすれちがったのに、無視したような形になる。
しかもよそ者が断りもなしに通り過ぎたんですから、そこが公道か私道かなんてことじゃなくて、彼の空間を侵害したことになるわけです。
これはやはり、無礼以外のなにものでもないんですね。
しかも、ある種の緊張関係を創ってしまったわけです。
それからというもの、田舎では、会う人会う人に挨拶するようになりました。
「こんにちは」とか、「暑いですねぇ」とか、何か言って笑顔を見せる。
これには、私は怪しいものではございません、貴方と同じく健全なる一市民でございますということをアピールして安心してもらう効果もあろうかと思います。
で、田舎の人は必ず笑顔で応えてくれます。
(先の正月の小学生みたいに)応えてくれなかった人はまだ一人もいません。
しかし、これを渋谷の駅前でやってたら誰も応えてくれないでしょうし、多分1メートル進むのに10分くらいかかるでしょう。
できっこないんです。
渋谷と言わないまでも、そのへんの駅前に行けば同じです。
知らない人がいて当たり前、しかも感覚的にそれは不特定多数の人たちだというのが、我々「一般市民」の常識となっているわけです。
そういう社会観みたいなものが子供らに定着してるんじゃないかな。
子供らが挨拶をしないのは、挨拶の仕方を知らないのではなくて、挨拶する動機が得られないのであろうと思います。
それにしても、年始の挨拶ができんとは由々しき問題だと家族に話しました。
「近頃の子供は言葉をしらない」と息子に説教するカミサン。
僕も息子に「新年最初のサッカー練習に行ったら、当番のお母さん方にちゃんと『あけましておめでとう』って言うんだぞ」と言い聞かせていると、一流大学文学部ご卒業のカミサンが再び口を挟みました。
「あら、幕の内すぎても『あけましておめでとう』って言っていいの?」
...幕の内...それもいうなら「松の内」じゃございませんでしょうか。
相撲取りかおまえは。
近頃は大人も言葉を知らん。
--- 4.Jan.1999 Naoki