ロックスピリッツ?


 ある若い方とのメールのやり取りを編集してみました。

 ロックの世代に生まれていたら、のめり込んでいたかもしれない。 そう考えると、時間差で生まれてきたのはラッキーだったかも知れません。 完了しないですみますからね。 いつも不完全と言うことは、いつも可能性があるってことですからね。
 自由とはロックでもなければヒッピーでもなかった。 ましてや全学連でも中ピ連でもなかった。 それを歴史は学んでいますが、人は各々の時代で初めて悩む。 だから今の若い方々もロックということになってしまうのだと思いますが、ロックの前にロックはなかったのです。 だから、ロックの後にもロックはない。 自分たちの言葉を獲得すべきなんです。
 ロックのはじめは、1957年でしたか、当時人気DJのアラン・フリード(後に収賄でつかまりました)が、新手のR&Bやそれをカバーした白人青年の音楽を "Rock'n Roll Music" と紹介したことに端を発すると聞いています。 その後ロックは一世を風靡し、黒人民権運動、ベトナム戦争、ヒッピームーブメントなどと影響し合って、(1968年でしたっけ)モンタレーのロック・フェスティバルという一大イベントが巻き起こるまでになります。 あのジミ・ヘンドリックスが、事実上の米国デビュー(彼はむしろ先に英国で人気を博していた)を果たした場です。 ジャニス・ジョップリン、サイモンとガーファンクル、フーなど、そうそうたる連中がこの日に集合しています。 ロック最盛期の到来です。 そして、当時空前とされたウッドストックのロック・フェスティバルで絶頂期に達しました。 インドの天才シタール奏者ラヴィ・シャンカルの演奏も有名です。 ヒッピームーブメントも絶頂期にあり、何十万という人たちが自由と音楽を求めてウッドストックという田舎町に大移動したお祭りです。 ヘルズ・エンジェルという米国最大級の暴走族も集結しました。
 ところが、その後開催されたロック・フェスティバルで、例のヘルズ・エンジェルが観客に暴行し、一人を死亡させてしまった。 そのフェスティバルは中止され、これを機にロックは衰退の一途を辿ります。 自由の象徴としてのドラッグやマリワナは疑問視され、ウェストコーストに代表されるメロー(しらふ)な音楽が親しまれるようになり、ロックの生き残りは、せいぜいピーコック・ファッション(今で言うビジュアル)でお茶を濁すと言った程度のものに、一挙に変化していきました。 ロキシー・ミュージックを退団したブライアン・イーノは、「もうこれ以上人気取りの音楽をやっても仕方がない」とアンビエント・ミュージック(環境音楽)に走り、閉塞感の充満した1979年には、ロンドンとニューヨークで申し合わせたかのように同時にパンクスが登場します。 ロックは終わりました。 それを認めてあげないというのは、その時代を生きた人たちへの冒涜というものです。
 僕は、いまのところ、ムーブメントとしての音楽や、カウンターカルチャーとしての音楽に期待していません。 一斉にやるという時代は、向こう100年来ないだろうと思う。 一斉にヒッピーになり一斉にマリワナを吸い、或いは逆に一斉にゲバ棒を持ち一斉にシュプレヒコールを唱える、そういう時代にはならないと思う。 もっと個人的な、もっとデリケートな世界に細分化されるのではないかという気がしています。 それは、一見、人間達の内向の始まりともとれますが、恐竜の陰に隠れていた哺乳類達の繁栄の始まりとも言えます。 例えば西洋文化を恐竜に例えても良いかも知れません。 歴史は繰り返さない、繰り返しているようで少しずつ違う。
 ロックが自分にとって憧れの音楽であったことは確かですが、自分はロックミュージシャンではありません。 また、現在ロックと称しているものは、自ら偽物であることを暴露しているようなものです。
----- ロックについての議論にわたしなりに答えようと思います。 まず、わたしが最初に「ロック・スピリッツ」という言葉を使った時の「ロック」と、直樹さんが捉えている「ロック」という言葉の意味するものが一致していない、というかやっぱり私にはロックがわからないのです。 歴史を知っても、当時のCDを聞いても、想像は多少はできますけど、他人事のように思えるのです。 その名前が意味するところがわからない。 音楽のジャンルに関してはほとんどそうです。 歴史の名前なのか、奏法の名前なのか、人の名前なのか、音の名前なのか、それとも社会的なムーブメントもあわせた名前なのか。
 僕は、音楽にジャンルがあるのは、生物学でいうところの分類学みたいなものだろうと思います。 もし有用な面があるとすれば、それは楽器のルーツだとか、音階のルーツだとか、リズムだとか、ハーモニーなんかについて出所を探る役に立つという点でしょう。 では、何故そんなことが有用なのか、つまり出所ですね、それは「人を知るため」です。 音楽は「人」だからです。 だから、文化人類学だとか、比較文化学だとか、そういうことと絡めて研究する人がいたら(いるんですが)、その人は「人」を知りたい、「種族」を知りたい、そして 「人類」を知りたいという人に違いありません。 そういう観点からすれば、「ロック」という言葉を使うとき、誰を指してその音楽の発信源とするのかは大切です。 もし「ロック」を商標と捉えるのであれば、何だっていい、キッスもエアロスミスもロックだって言えば良いんです。 ところが、「人」のための言葉だとすると、そういう使い方は駄目なんです。 意味を持たなくなるんですね。 キッスやエアロスミスは、どちらも個性的で優れた芸能集団ですけれど、ロックとして纏めちゃうと訳が分からなくなるんです。
----- わたしとしては、その音楽があらわそうとする心の名前だという感じがするのです。
 とても良い言葉ですね。 こういうふうに、音楽を擬人法で表現されると、胸を刺すものがあります。 「音楽は人だ」という言葉には、二次的にそういう思いが込められているんです。
----- たとえば、現代に生きる一人の少年が自分の感情を表す名前を知らずに、ある日古いレコードを聞いて、これこそ自分の感情にぴったりの音楽だ、と思って、それがたまたま70年代のロックだったとしたら、その少年が歌を歌ったり演奏をしたりすることがなくっても、ロックは生きていると言えるかもしれない。 ミュージックシーンの中ではきっと死んでいるのでしょうけど、ミュージックシーンというのは狭いファインダーみたいなものなんじゃないかなあ。
 感情にぴったりの音楽はいろいろあるはずです。 一つのジャンルに特定するはずがないだろうと思います。 70年代のロックについて言えば、僕はその70年代ロックで育ちましたけれど、真の意味のロックからは外れている。 殆どは、ロックの余波であったり、ロックが滅び行く課程であったり、ロックを看板にした便乗商売であったりしました。 もう少しましな言い方をすれば、ロックの余生のようなものです。 だからといって、つまらない音楽ばかりだったというのではなく、素晴らしい音楽はいくつもあった。 ただそれを敢えてロックと呼ぶ必要も無かろうということです。 むしろ70年代は、音楽が多様化し、個性的なものがいろいろ生まれましたし、大きなうねりとしても、ボブ・マーレーやジミー・クリフに代表されるレゲエミュージックが大変な影響力を放ちながら花開いていった時代です。 つまり、サード・ワールドをロックと呼ぶ必要はない、レゲエでいいわけです。 それは、ジャマイカ音楽の名前とか、アフタービートなベースラインの名前とか、ジャー信仰に根ざしたイデオロギー音楽の名前とか考える必要はなくて、レゲエという存在があったという捉え方が正しいように思います。
----- 名前はなんでもいいんです。 「ロック」じゃなくても。 それは一人のDJがつけた名前なのでしょう? ああいった音楽を生んだ人達ではなく。 昔、「ロック」と呼ばれた音楽が表現した心の色がいまなくなったとは思えないのです。 うまく伝えられないなあ。
 ロックの一つの側面は、ティーンエイジャー音楽、そしてアウトロー音楽といったことにあったようです。 少なくとも、ロックンロールが始まった頃、50年代でしょうか、そのころはそうだった。 ロックの黎明期といったところです。 そういったエネルギーを指してロックスピリッツと呼ぶ方法もあります。 が、最終的にあの雑音に満ちた音楽は、もっと高みを見たのです。 そして散ったのです。 僕はそう思っています。
 きっとそれに似たことは、形は違ってもそれぞれの時代それぞれの地域にあったのだろうと思います。 ただ、近世、レコードやラジオが普及し始めてからは、一挙に全世界的なレベルで「文化」めいたものが駆け抜ける。 パンクミュージックが流行ればパンクファッションも流行ったし、松田聖子が歌えばお女中方は皆聖子頭になった。 勢いは凄いが、でも希薄なんでしょうね、命が短くなった。 ロックは、バリ島のケチャや、東欧のフォルクローレより遙かに大胆に花開きましたが、やはり短命でした。 それでも、現代のチマチマした「文化」めいたものよりは、数倍もそれ以上も根を下ろした芸能であったと思います。
 僕が期待しているものは、ロックが残した大いなる遺産を古典芸能保存会のように再現することでもなければ、応用してチマチマのスパイス代わりに効かすのでもない。 それはそれとして、新たに切り開いていくことです。 それが全人類的なムーブメントになろうがなるまいが、そんなことは関係ない。それは、全人類的なことが、必ずしも全世界的なことではないからです。 僕は、バリ島のケチャをテープでしか聞いたことがありませんが、その録音から想像するに、それは全世界的なものに違いありません。 そういう、音を切り開く精神をロックスピリッツと呼ぶなら、それは面白い言葉の使い方かも知れませんね。 ただ、誤解を招く言い回しかも知れません。

--- 21.Dec.1998 Naoki


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