超人達の音楽

 亡くなった丸山雄一の追悼コンサートをやろうという話が前々から持ち上がっているのですが、なかなか遅々として進みません。 旧友に何人も有名人がいるため、彼らをブッキングするのが至難の業なのだとか。 致し方ないですが、それでも準備だけは進めようと、縁の人たちを集めて混成バンドを企画しました。 きっと実現して、このエッセイでも何か報告できることを期待しています。

 丸山君は、小笠原地方にも縁がありました。 「かまし連発」のアルバムで小笠原民謡の「ウワドロヒ」をカバーしたのも、彼の発案でした。 そこで、追悼コンサートでそれも演奏しようかという案があったのですが、アルバム以上の展開についてはノーアイディア。 一方、丸山君が病に臥していたとも知らず、こいつはヤツもきっと気に入るだろうから今度会ったら聞かせようと思っていた楽曲がありました。 夏川りみさんの歌う「チチヌマピロマ」(作詞:岸本俊平/作曲:上地正昭)(敬称略)です。 如何せん、結局彼に紹介できず仕舞いでした。 集結したメンバーにこれを聞かせたところ、皆いたく気に入って、ぜひ追悼コンサートに組み入れようという話に。

 「チチヌマピロマ」とは「月の真昼間」、即ち「真昼間のように明るい月夜」という意味のようです。 南西諸島の発声は、少し東北地方の発声に似ていて、大和口の「お」が「う」に、「え」が「い」に母音変化する傾向があります。 「月の」は「月ぬ」と聞こえますし、吹く「かぜ」は「かじ」に聞こえます。 でも、やっぱり日本語というか、むしろ古式ゆかしい日本語に感じられます。 なぜか懐かしささえ感じる。 この曲も、端々から胸を突くような美しさが伝わって来ました。 とはいえ、詳しい意味はよく分からなかったため、いろいろ調べてみました。 どうやら以下のような内容のようです。 (勝手な訳です、間違っていたらごめんなさい)

明るい月夜、友達で集まって、ソレ、遊ぼう
明るい月夜、太鼓、三線、島の酒、盛り上がろう、ソレサァ
明るい月夜、入れ替わり立ち替わり、民謡を踊ろう

明るい月夜、しょっちゅうは遊べないんだ、ソレ、遊ぼう
明るい月夜、今宵は心浮かされて、気持ちが晴れるよ、ソレサァ
明るい月夜、爽やかな風が海を渡ってきて涼しいさ

明るい月夜、浜が照らされて、ソレ、美しい
明るい月夜、好きな娘の目が笑って美しい、惚れ惚れするよ、ソレサァ
明るい月夜、目眉がパッチリして花にも勝る姿、彼方には星々が・・

 この歌に因んで、メンバーに配信したメールがあります。 思いのまとまらぬ、くどくどとしたメールですが、まぁ、書かずにはおられなかったということで、若干の校正入りで写し留めておきます。 ご笑覧頂ければ幸甚。


やぁ・・しかし・・

小生、蒙古目だし、弥生の血が濃いと思うんですよ。
朝鮮半島辺りから九州あたりに渡って関西方面から勢力拡大。
多くは、陶磁器や金細工、馬の調教など
やってたんじゃないでしょうか。
職人気質だったんだろうと思います。

それ以前の列島の住人は、
南北幾つかのルートでやってきていた人たちです。
あるアイヌの部族に「あなた達はなに人ですか?」と訪ねたところ、
我々は「シュメルンクル」だと答えた記録があるらしい。
「クル」とはシュメール語で「人」のこと、これ即ち、
「シュメール人」という言葉そのまんまだったという事実が。
しかも、衣装には「ディンギル」という
シュメールで神を表す模様まで染められて・・

現代人が東アフリカを出たのが約10数万年前、
凍結したベーリング海峡を歩いてアメリカ大陸にまで到達したのが数万年前、
最初の文明として確認できるのが5千年ほど前だといわれています。
その後も人類は世界狭しと歩き回ったことでしょうから、
シュメールの末裔が日本に住んでいたとしても
けして不思議なことではありませんよね。

北方ルートは大陸を渡ってきたのだと思いますが、
南方ルートには海路もありました。
南インドのタミル地方に日本語の原型の一部が見られるのが証左。
インドに留まらず、人々はどんどん東に進んで、
最後は太平洋にぶつかってしまうわけですが、
彼らは尚もそこから出帆して行ったんですね。

その頃の船は、現代の宇宙船のようなもので、
乗り込む人員は宇宙飛行士さながら、勇気があり、
心身共に逞しい選ばれしエリート達、いわば超人達でした。
新天地を夢見て超人家族が出帆していったと思われます。
過酷な航海で多くの船が淘汰されたでしょうが、
一部は島を見つけて上陸していった。
サモアだとか太平洋の島々にやたら屈強な人が多いですが、
きっとそういう超人達の末裔だからでしょう。

マレー諸島や、フィリピン、南西諸島、小笠原諸島などにも
そういった人々が移り住んで行きました。
航海術を身につけた彼らは、
島々の間を行き交うことも多々あったでしょう。
例えば、小笠原民謡の「ウワドロヒ」によく似た歌が
他のマリアナ群島(サイパン、テニアン、ロタ)辺りにもあるようで、
「ウワドロヒー イッヒヒッヒヒー ウワドロセデミンデ イエトブラー」
などと歌うそうです。

こういった人々の一部も日本列島に到達したことでしょう。
まぁ、日本も当然のことながら混血国家ではありますが、
やっぱり沖縄のタンメー(爺さん)と関西のオッサンは
若干顔付きが違う。
タンメーの顔付きの方が縄文人に
オッサンの方が弥生人に近いのではないかと推察します。

さて我々は、
ジョン・ウェインやゲイリー・クーパーが
シャイアンやアパッチをやっつけたのと同様、
弥生人が縄文人を征服したと思っていますが、
実際はちょっと違うみたいですね。

縄文時代末期の縄文人の人口は7万6千人くらいで、
そこに流入してきた弥生人は60万人くらいという試算があるそうです。
では、縄文文化が弥生文化に全面的に凌駕されたかというとさにあらず。
例えば、三種の神器の一つ、勾玉は縄文文化の産物です。
空に雲が浮かんだような美しい模様を持つ縄文人の勾玉は神秘的。
きっと弥生人も魅入られてしまったのでしょう。
弥生人が農耕・職人集団であったのに対し、
縄文人は採取狩猟・芸術家集団であったことを
多くの物証が物語っているようです。

如何せん、レコードもCDもYouTubeもなかったので、
彼らがどのような音楽を奏でていたかは分かりません。
一つ手がかりになるとすれば琉球音階と都節音階でしょう。

琉球音階は、沖縄民謡でよく耳にする音階ですね。
民謡やわらべ歌の基幹音程となる
テトラコルド(4度の音程)の中間音が高く、
「ド・ミ・ファ」とか「ソ・シ・ド」に近くなります。
都節音階は、お馴染みの大和風な音階で、
テトラコルドの中間音が低く、
「ド・レ・ファ」とか「ソ・ラ・ド」に近くなります。
凄いのは「ド・レb・ファ」(シ・ド・ミ)みたくもなる。

これ、日本だけではなく、インドネシアにもあります。
琉球音階っぽいのは「ペロッグ」、
都節音階っぽいのは「スレンドロ」と呼ばれます。
ガムランなんかでも、これらを聞くことができます。

実は、東アジア地域を眺めると、
圧倒的に都節音階(スレンドロ)が多いんですね。
ところが、意外なところで琉球音階(ペロッグ)を耳にします。
ジャワ、バリ、台湾、チベット、インドの一部などです。
点々と散らばって存在しているのですね。

新興住宅地なんかができると、元あった森林が分断されて、
雑木林がポツンポツンと点在するようになります。
これ「森林の孤島化」と言って在来動物を絶滅に追いやる環境。
それはともかく、文化圏にも似たところがあって、
在来文明に巨大な他文明が流れ込んでくると、
在来文化は分断され、孤島化するのだそうです。
専ら琉球音階(ペロッグ)を好んだ文化、
おそらくは縄文のような文化圏に、
都節音階(スレンドロ)を好む文化、
おそらく弥生のような文化が後から入ってきた
と考えるのが自然なようです。

「チチヌマピロマ」は、現代の沖縄地方、石垣島の音楽です。
なんか、芸術的超人達の末裔ならではの秀逸さを感じます。
なんか、美しさが強力ですよね。
胸に込み上げるものを感じるのは、
嘗て縄文人達の美に弥生人達が魅せられ動かされたように、
真に美しいものが輝きを失わないからかもしれません。

※因みに「ウワドロヒ」のメロディーも「チチヌマピロマ」のそれも
 テトラコルドに分解するとペロッグと同系であることが分かります。


    <参考(敬称略)>
  1. 東京藝術大学教授 小泉文夫 著「人はなぜ歌をうたうか」
  2. 言語学者 川崎真治 著「日本語の謎を解く」
  3. 東京大学教授 斎藤成也 著「DNAから見た日本人」
  4. 静岡大学教授 小西潤子 監修 「ミクロネシア、小笠原、沖縄の民俗芸能交流とその受容、変化の動態に関する比較研究」


嘗て丸山雄一と組んだバンド「満願旅行団」として集結したメンバー(2013.7.27)


--- 2013/10/29 橋本

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