音楽の原風景

 普段は忘れている、歳を取った、ということを実感する瞬間があります。 運動して数日経ってから筋肉が痛み始めるなどは序の口、何だこの怪我はという怪我を発見するがいつ創ったか分からない、そうだ一ヶ月前だと思い出す、回復力が衰えている証左です。 人の名前が思い出せないとか、もの覚えが悪くなったように感じるのもそうです。 これ、昨今の研究で分かったんだそうですが、歳を取っても覚える能力というのは衰えないんだそうですね。 記憶力は衰えないんだそうです。 如何せん、思い出す能力が衰えるのだと。 ほらアレだよアレ、などと口走るのはその証左、分かってるんだけど思い出せない。

 だから、最近のことはすぐ忘れるけれど若い頃のことはよく憶えている、というよりも、若い頃のことは思い出すルートが定着しているということなのかもしれません。 音楽に関して言えば、思春期に感化された音楽というのは、もう殆ど神の啓示のように憶えているもんです。 なので、丁度その頃に(いろんな意味で)本物に出遭えれば、音楽的には生涯祝福されることでしょう。 逆に、不幸にも碌でもないものに感化されると一生祟られる、幾らその後様々な音楽に出遭ったとしても、どうしても祟られるんですね。 小生の場合は、祝福されたのか祟られたのか分かりませんが、それがロック音楽だったのだと思います。 それも、ロック・ムーブメントが断末魔を迎えた直後の、いわば祭りの後のロック音楽です。

 初めてロック音楽らしきものに触れたのは、小学4年生だったと思います。 それまでレコード・プレイヤーで耳にしたのは、チャイコフスキーとかプロコフエフとか、小学生にもすんなり入るクラシック音楽。 それと、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」、橋幸夫さん・吉永小百合さんの「いつでも夢を」のような昭和歌謡ですね。 タイガーズやテンプターズといったグループ・サウンズも流行っていましたけれど、小生の中ではそれは昭和歌謡の一側面という位置づけでした。 ビートルズが来日したときのニュースを視た憶えはありますが、ロックだとかロックン・ロールだとかいうものは身の回りにありませんでした。 ところが、親戚の家の居間にあった仏壇のようにゴージャスなステレオ装置でローリング・ストーンズの「シーズ・ア・レインボー(She's A Rainbow)」を耳にしたとき、乾燥した種が始めて雨に触れたような衝撃が走りました。 一時iMacか何かのCMでも流れていたので、ご存知の方もおられるでしょう、ロックン・ロールというよりは子どもがピアノで遊んでいるような曲です。 しかし、それは初めての感覚で、何度も何度も聞き返したのを憶えています。

 あの衝撃が何だったのかは分からず、その後、「雨にぬれても(Raindrops Keep Falling On My Head)」、「サンホセへの道(Do you know the way to San Jose)」などでお馴染みのバート・バカラックのレコードや、「500マイルも離れて(500 Miles)」、「悲しみのジェットプレイン(Leaving on a Jet Plane)」なんかでお馴染みのピーター・ポール&マリーのレコードなんかを親に強請って買ってもらいました。 利発なお子様であった小生に、オフクロはバイオリンを習わせようと、オヤジはピアニカを買ってやろうと考えていたようですが、ギターを選んだのはグループ・サウンズのせいばかりではありません。 ピーター・ポール&マリーやジョーン・バエズのようなフォーク音楽に憧れてだと思います。 そのうち中学生になって、和製フォークが大流行し、素人でも作曲できるんだということが分かってのめり込んだわけですが、転校先の横浜で待っていたのはフォーク音楽ではありませんでした。

 「おまえ、ビートルズ聞いたことあるか?」 ギターが弾けるということで早速友達になったアヤパン(だったかな、名前は忘れましたがそんな渾名、「パン」は「ちゃん」や「くん」のような接尾詞型敬称)に訊かれて目が泳ぎました。 実は、ちゃんと聴いたことがなかったのです。 ロックは不良の音楽というイメージがあって(事実そうなのでしょうが)、親は触れさせず、利発な小生も触れずに来たのです。 小生が中学2年生の時代といえば、ビートルズが解散し(1970年)、モンタレーやウッドストックに代表されるロックの祭典がフィルモアの悲劇の前に崩壊し(1971年)、いわゆるロック音楽の栄華が6千数百万年前の恐竜のように淘汰されつつあった時代です。 おそらくアヤパンか、マキシ(作家の息子で素行が悪いことこの上なくオフクロ同士相手の子が自分の子を駄目にしたと信じて疑わなかった悪友)、アメサン(体格に似合わず苛められっ子だったが高校進学後に一念発起して伝説の番長となったギター仲間)からレコードを借りまくりました。

 最初に借りたのは、ビートルズの「レット・イット・ビー(Let It Be)」のLP(アルバムを収録できる直径30cmほどの塩化ビニール製レコード盤)だったと思います。 続いて、エリック・クラプトンを擁したクリームの「ライブ・クリームVOL.2(Live Cream, Vol. 2)」、圧巻でした。 そして、レッド・ツェッペリンのシングル、A面は「ブラック・ドッグ(Black Dog)」、B面は文字通り「ロックン・ロール(Rock and Roll)」でした。 こういった音楽が先ず、頭というより、身体に、皮膚に染み付いたのだと思います。 そして自分でレコードを買うようになるのですが、先ずジミ・ヘンドリックスの「紫の煙(Purple Haze)」のシングル(初期のスタジオ録音で、いま持っていれば貴重品ですが、アメサンに貸すか売るかしてそのまま)、そして、多分最初に買ったLPが、今回話題にしようと思っていた(え、ここまでは前置きなの?!)1971年のビッグ・イベント、「バングラデシュ・コンサート(The Concert for Bangladesh)」のレコードです。

 これは、元ビートルズのジョージ・ハリスンがバングラデシュ難民を救おうと発起したチャリティー・コンサートで、先ずは映画を観に行きました。 その時の感動が、3枚組、確か4500円という高価なLPを買いに小生を走らせたのです。 その収益の何割かがバングラデシュ救済のために寄付されると聞いていたので、学生の身分とは言え散財する張り合いもありました。 で、映画ですけれども、そもそもロックのコンサートなど観たこともありませんでしたから、それだけでも興奮でした。 既にジョージ・ハリスンやリンゴ・スターはもちろん、エリック・クラプトンやビリー・プレストンなんかも知っていましたから、その映像を目の前にしただけで感無量、種殻が弾けて芽が吹き出すような気分でした。 更に、全く初めて見たにも関わらず圧倒的な印象を受けた、ラヴィ・シャンカール、レオン・ラッセル、そしてボブ・ディランがいました。 連れて行かれた、という表現が相応しいと思います。 小生の魂は、そのとき誘拐されたのです。

 ラヴィ・シャンカールは有名なインドのシタール奏者で、例のモンタレーやウッドストックにも出演しています。 ウッドストックの映画をご覧になった方は、聴衆の中に非常に真剣に聴き入っているジミ・ヘンドリックスの姿を発見されたことでしょう。 無数にあるラーガ(旋法)の中からロック・コンサートの聴衆にも歓迎されそうな絶妙の選択を行い、おそらくキメはあるのでしょうが殆ど即興で演奏が繰り広げられます。 弦が7〜8本はあろうかという三味線のお化けのようなサロードと、多種多様な音と複雑なリズムを掌や指1本1本で奏でる打楽器のタブラと、シャンカールのシタールとが素晴らしい掛け合いを交わしながら次第に全体を高揚させていきます。 その間、女性奏者がタンブーラという弦楽器を爪弾いているのですが、こちらはメロディーではなくドローン(持続的な軸音)を延々と奏でています。 かといって掛け合いをしている3人と心を異にしているのではなく、表には出ない微妙な音のゆらぎや奏者の表情の変化が、本当の中心がそこにあることを物語り、まるで大地のように楽曲を支えています。 この時点で、心はもう身体を離れてしまいます。

 レオン・ラッセルは、ジョージ・ハリスンが歌っている「ビウェア・オブ・ダークネス(Beware Of Darkness)」の途中からいきなり入ってきます。 最初の歌い出しで「あ、こいつ不良だ・・」と分かる声をしています。 続いてローリング・ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ(Jumpin' Jack Flash)」と「ヤング・ブラッド(Young Blood)」のメドレーを歌い始めるのですが、それまでに聞いたことのあるロック・ボーカルの中で一番ヤバイ声をしていました。 その胡散臭さたるや、この救済コンサートの神聖さ、気高さを、一瞬のうちに怪しく隠微な夜のダウンタウンへ放り込むくらいの威力があります。 この男が、名曲「マスカレード(Masquerade)」やカーペンターズでお馴染みの「ア・ソング・フォー・ユー(A Song for You)」の作曲者だなんて、誰が信じられるでしょうか、いいえ信じられません。 レオンの強烈なボーカルと歪みの掛かったブルージーなピアノ演奏は清純なイメージのジョージとは対称的で、レオンの演奏の後ジョージが「ヒア・カムズ・ザ・サン(Here Comes the Sun)」を演奏したのは一種の口直しの意味もあったのかと。

 そのレオン、ボブ・ディランが演奏するときにはベースとコーラスに回り、黒子に徹した素晴らしいサポートをしていました。 危険人物然としたこの男が、実は非常に繊細で献身的な音楽家であることにも驚きました。 そして、ピーター・ポール&マリーのアルバムで名前こそ目にしていたものの初めて見聞きしたボブ・ディランは、ギター1本とショルダースタンドに取り付けたハープ(ハーモニカのこと)とトッポ・ジージョのような歌声という簡素な装備に関わらず、完璧な音楽的誘拐魔としてのオーラを纏っていました。 3拍子系の原曲を4拍子にアレンジした「女の如く(Just Like a Woman)」は、ほんの弾き語りでオーケストラを総動員したような奥深い世界を作り出し、尻の青かった小生に歌の凄さというものをまざまざと見せつけたのでした。 静寂の中で弾き語られたその曲が終わったと同時に湧き上がった怒涛のような歓声は、会場となったマディソン・スクエア・ガーデンの天井が落ちるのではないかと思われるほど凄まじいものでした。

 さて、こういうことを書き始めると切りがないのですが、なぜ今更こういうことを書いているかというと、何十年ぶりかで聞いたからです。 このコンサート、うちにLPはあるのですが、数十年来聞く手段がありませんでした。 その音源が売られていたんですよ、ダウンロード販売で。 小学生の頃は、レコード・プレーヤーの前に正座をしてレコードを聴いたもんです、本当に。 バート・バカラックのライブ収録レコードなぞ、拍手が聞こえると自分も一緒になって拍手していました、そういうもんだったんです。 それが、ウォークマン以来、電車の中でも歩きながらでも聞ける、しかもLPより鮮明な音色で聞けるわけです。 そして、非常に面白いことが分かります。

 全部、憶えてるんですね。

 主旋律だとか対旋律だとか、アンサンブルだとかフィル・インだとか、そんなものどころではないです。 MCの言葉、口調、無名のバックコーラスのお姉さんがフェイクする叫びの一つ一つ、観客の吹く口笛のタイミング、音程、缶殻がコケる音、全てです。 それを、予測しながら聴いている自分がいることも分かります。 次にこういうチューニングをする、そこにこういう観客の声が掛かる、そんなことまで憶えているのですね。 逆に言うと、今回ダウンロードで手に入れた音源はリミックス版とのことで、ミキシングのバランスが所々変化しています。 また、バングラデシュ・コンサートは昼夜2ステージ行われたらしく、少なくともレオンが歌ったメドレーの音源はLPのそれと差し替えられているようです。 初めての方は聞き比べても識別できないかもしれませんが、LPを経験した者には容易く識別できるでしょう。 何十年も前に耳にした音との瑣末な差分が、物覚えの悪い凡夫にも何故か分かってしまうのですね。

 記憶というのは、コンピューターの場合だったら、何メガバイトとか何ギガバイトという容量で語れます。 圧縮された楽曲の音源だったら、数十〜数百メガバイトくらいでしょうか。 ところがそれは、どこでどの周波数の音がどのくらい出てくるかという、バラの情報でしかありません。 それが観客の声なのか、MCなのか、歌の文句なのか、そしてその文句はどのような意味でどのような情緒を携えているのか、そういう内容までは含まれません。 同時に複数の音の意味を鮮明に思い出し、しかも予測しながら聞くことができるようにするためには、いったい何メガ、何ギガ、何テラバイトが必要なのでしょう。 しかもそれは1楽曲、1コンサートに過ぎません。 生涯に記憶する音楽の数は、何千曲、何万曲とあるはずです。 そもそも、近しい人の名前もド忘れしてしまうような凡夫に、どうしてそこまで記憶することができるのでしょう。

 最新の研究によれば、人の記憶には、脳内の海馬という組織の付近にある「場所細胞(place cell)」というものが深く関わっているのだそうです。 何十年かぶりで訪れた故郷の小道を覚えている、ちょっした曲がり、ちょっとした景観を何故か憶えていて、思い出しながら、ひいては予測しながら歩くことができる。 場所を覚える能力は動物にとって死活に関わる本能だと思うのですが、人の記憶力もそういった能力の延長上にあるらしいのです。 専門家ではないので詳しいことはよく知りませんが、「場所細胞」もやはり発火(ニューロンが構成する回路内部の電流ではなく細胞膜の表面に一斉に流れる電流で、判断や意思決定、行動開始などの瞬間に観測される現象)をするのだとか。 ニューロンの発火現象自体、単純な回路理論や電子工学ではとても解き明かせない代物で、電子の量子的ゆらぎの共鳴現象を持ち出す学者までいるとのことですから、随分複雑な未知の仕組みのようです。 人の記憶は、磁気ディスクやICなどによる単純な記号的記憶とは似て非なるものなのですね。 そこには記号だけでなく、心の向きが記憶され、広がった世界が内包され、時間が折り畳まれています。 特に、幼い頃育った家の中、近所、通学路などは、何十年経っても憶えています。 同様に、思春期に聞いた音楽というのは、いわば原風景として、人それぞれの海馬の辺りに焼き付けられているのかもしれません。

 因みに、数学者の岡潔さんは記憶は脳から出て外界に繋がっている、哲学者の小林秀雄さんは記憶が自分から人に思い出させる、などと仰っていたやに記憶していますが、はてさて凡夫の記憶は如何にも頼りなく・・



--- 2013/11/11 橋本

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