卓球少女

 早稲田大学に入って、面白かった授業は体育でした。 1年目は、サッカーを履修しました。 これは、「年間実技」というやつで、毎週木曜日に受講します。 殺伐とした理工学部キャンパスに女性陣が現れるのは、テニスの授業があるときくらい。 テニスコートが理工学部キャンパスにあったからです。 サッカーの場合は、花の文学部キャンパスにハンドボールコート大のミニサッカー場がありましたから、そちらへ出向くことになります。 ですから、体育のある日は、るんるんしたものです。 ところが、サッカーというのは、当時は専ら男子のスポーツであったわけで、一歩グランドに入れば、それはやはり殺伐とした世界なのでありました。
 だから、というわけでもないのですが、2年目は卓球にしました。 中学の頃、卓球部の部長をやっていたこともあって、少々腕に覚えもあったし、何年ぶりかでラケットを振ってみたくなったということもあります。 こちらは、「合宿併合実技」というやつで、半年間授業に通った後、3〜4日ほどの合宿に参加すると単位がもらえるというものです。 やはり文学部にあった体育館での授業でしたが、サッカーとは違って3分の1程は女学生が参加していました。 それでも、大勢受講していますし、僕は(今でもそうですが)あまり社交的な人間ではありませんでしたから、お互い面識はできるのですが、とりわけ新しい友達ができるでもなく、半年間の授業が終わりました。
 とはいうものの、合宿ともなればさすがに接触している時間が長いですから、気のあった者同士、各々小さなグループができあがって、なかなか楽しいヒトトキと相成るわけです。 僕が意気投合していたグループには、女学生も数人にて、中に一人、目のクリッとした小柄な娘さんがいました。 派手な格好ではなく、むしろ華奢な体つきに質素な出で立ちなのだけれど、ハキハキしていて何とも華やかな雰囲気を持った娘さんでした。 「乙女チック同好会」とかいう少女漫画サークルのリーダーをやっているらしく、学年は1つ下でした。 下であるにもかかわらず、僕に「少年」というあだ名を付けて、「ねぇ、少年、少年‥」と屈託なく話すのには感心しました。 合宿が終わってそれっきりになりましたが、一度文化祭ですれ違ったときも、「あ、少年!」と呼び止めてくれたりして、なんとも明るくて好感の持てる娘さんでした。
 それから1、2年経ったでしょうか、ぼんやりとテレビを見ていると、当時売り出し中の「しんしん」という漬け物のCMが流れていて、そこに見たことのあるような女の子が出ていました。 他人のそら似かと思いましたが、やっぱりあの卓球合宿の女の子に違いありません。 早稲田には様々な演劇サークルがあり、何人もの女優・俳優・演出家などを排出しているそうなので、彼女もそういうところに参加していてスカウトされたのかも知れません。 いずれにせよ、芸能人といったしたたかさだとか一種のイヤミのようなところを持ち合わせているような人ではなかったので、なんとも不思議な気がしました。 それが後に、フジテレビ系の「オレたちひょうきん族」という番組で拝見するようになった石井めぐみさんで、「世の中わからんもんだなぁ」という感慨を新たにしたのでした。
 石井さんとは、その程度の面識のようなものがあって、それでも僕としては、希有な存在感のある方として強く印象に残っています。 ですから、テレビ局の方と結婚されたらしいとか、ご長男が障害を持って生まれたけれど一生懸命育てておられるらしいといったことは、芸能ネタに疎い我が身に関わらず漏れ承っておりました。 そして、先日そのご長男、優斗(ゆうと)君が、8歳7ヶ月の短い生涯を遂げられたということを知りました。
 石井さんは、最愛のご主人と、次男の瑠星くんとともに、華奢な体に似合わぬ人並み外れたバイタリティーと、例えようもないほど大きな愛情で、優斗君の命を守り、医学的な常識を覆すほどの成果を上げ、幸せを築いてこられました。 しかし、インタビューでは、「親が優斗に育てられた」と表現され、優斗君への惜別に加え、感謝の気持ちを吐露されていました。 優斗君の、その名の通り優しい斗(たたかい)を通して、愛情と命について深く学ばれたであろうことも確かですが、例えば障害を持つ子供の母として、「大勢の人に便利だという理由で取り入れられているものが、一部の人達にとっては必ずしもそうではない」といった社会についての発見もあったそうです。 石井さんは、「優斗は80年分は生きたと思う」とおっしゃっていました。 石井さんもまた、人の倍も3倍も素晴らしい時間を生きておられるのだと思います。 石井さんの持っておられた存在感は、彼女の生命力であり、愛情のエネルギーだったのかも知れません。
 さて、僕がこのようなことを知り得たのは、石井さんが芸能人であり、テレビなどで報道されたからです。 ご主人が、職業柄ということもありましょうが、石井さんや息子さん達との生活をビデオに記録されていたこともあるし、それがドキュメンタリー番組やワイドショーなどで放映されたおかげで、遠い遠いところにいる自分もまた、その光の恩恵を被ることができたのです。 僕は、テレビのようなマスメディアの持っている素晴らしさの一つは、こういうところにあると思います。 個人的な、語らざる真実としての光が、その側面だけであったにせよ我々のところまで届く、そしてそれは、決して個人的なことでは終わらないのです。 我々が、小説や童話を介して宮沢賢治の発する光を見つけることができたように、マスメディアもまた、素晴らしい道具になり得るのですね。 地平線の向こうの、我々の手の届かないところからも、光は届くことがあります。


--- 13.Sep.1999 Naoki

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