人間、色気付くのは何歳頃からなのでしょう。
自分がまだ子供だった頃のことを思い出すと、小学校の5・6年生ぐらいではないかと思います。
男女は遊離してお互いを非難するようになり、そうかと思うと仲間内では誰が可愛いだのという評価を行う。
気に入った子に輪ゴムを当てたり、おさげ髪を引っ張ったり、なんやかやと悪戯を始める。
よく管理された昨今の小学校では有り得ないのかもしれませんが、当時スカート捲りが流行っていて、僕は「スカート捲り株式会社」の「実行部長」ということになっていました。
当然、職員室に呼び出されて並ばされましたね。
何故か社長・会長ほかの重役・巨悪は難を逃れ、下っ端ばかりの中にあって、自分は首謀格扱いです。
「オマエは何をやっとったのか!」
「は、実行部長です。」
とか、わけのわからん尋問の末ようよう釈放され、その後「株式会社」は解散しました。
昨今はイジメの何のと、問題を未然防止する方向で事が進んでいるけれど、こういう失敗の経験が少年期には必要だ、などと言うのは居直り強盗の論理でしょうか?
小学校高学年では、誰が誰を好きらしいとかいう噂も出てきました。
もうひとつピンと来ないので、半信半疑でおりましたけれど、やっぱり気になる。
「どうして僕を好きだという女子は現れないのだろう」などと考えてしまうわけです。
休み時間でしたか放課後でしたか、男子達に人気のTさんという女子が僕のところに駆け寄ってきて、「O君どこにいるか知ってる?」と尋ねました。
僕は、O君がどこにいるのか知ってましたけれど、TさんがO君のことを好きらしいということを耳にしていましたので、なんとなく面白くなかった。
そこで、「キスしたら教えたるわ(←関西弁)」と意地悪を言ったのです。
すると、Tさんは無言のまま僕の手を引いて駆け出し、渡り廊下のところまで連れてきました。
何のつもりだろうと思っていると、Tさんは辺りに人目がないことを確認してから僕のオデコにキスをしたのです。
その年代というのは女子の方が成長が早いですし、そもそも僕は当時からチビでしたから、きっと端から見ると微笑ましい光景だったでしょう。
「ほら、キスしたで。教えて?」
「と、図書館‥」
Tさんも赤面しているように見えましたし、僕も顔面が真夏のカンカン照りに曝されているような感じで、Tさんが駆けて行ってしまった後も、渡り廊下にしばらくボーと立っておりました。
明くる日の朝まで顔を洗わなかったのは言うまでもありません。
中学に入ると、誰が誰を好きみたいな話はどんどん現実味を帯びてきました。
例によって、おチビの自分には浮いた話なぞありませんでしたけれど、学生服の下にカラーTシャツを着てみたり、出がけに髪の毛をブラシしたりと、なんやかんややっておりました。
親子懇談会のとき、担任の先生はうちの母親の友人でしたけれど、「お子さんも色気付いてきてしまいましたなぁ」と笑っておられたのを記憶しています。
そうはいっても、周りにカップルのようなものができてくると、自分としては焦るわけです。
けど、自分には何をどうしたらいいのか分かりませんから、ただただ面白くないわけです。
むしろ、どんどん道化の役を買って出て、そういうことで気を紛らわすようになりました。
休み時間中、授業中を問わず、先生まで笑ってしまうような言動を繰り返していましたから、やがてクラスの、いや学年きっての人気者になってしまいました。
女子どころではなく、男子からも、先生からも、こいつは次に何をするのだろうと期待されているようでした。
周りに何組もカップルができているのに、俺はなにやっとんだという気はありましたが、もう後には引けないという感じでした。
そんなある日、隣の席の女の子から、「よく見るとカワイイねぇ」みたいなことを言われたんです。
「それどういうこっちゃ!」
「え?カワイイって、誉めてるねんで?」
「バカにしやがって!」
「え?なんでよぅ‥」
当時、女子から誉め言葉を聞いたことのなかった僕は、「カワイイ」という言葉が、いわば「カッコイイ」と同義に使われていることを知らず、ガキンチョ扱いされたと思ったわけです。
今から考えると可哀相なことをしてしまいました。
その後、いいなぁと思う女子が2・3人出てきまして、1人じゃないんですね、2・3人というところがいかにも思春期ですが、かといってさしたる接点もなく日々を送っていました。
中学2年生になると、転校が決まりまして、それならということでしょうか、先輩から推薦されて卓球部の部長になりました。
そして、あろうことか、好意を感じていた3人の女子が、卓球部に入部してきたのです。
単なる偶然かも知れないし、あるいは、いつもジロジロ見たりしてたでしょうから、好意が通じたのかも知れません。
しかし、情けないもんです、その卓球部はなかなかの強豪揃いでしたから、県大会で橿原まで遠征したとき、部長はベンチということになってしまいました。
にもかかわらず、女子は部員数が足りず、その入部したての女子が出場したのです。
小学生の頃から卓球の練習を積んできた自分としては、なんとも複雑な心境で声援を送りました。
帰り、その内の1人であるMさんとは、帰る方向が同じでした。
駅からの道は同じなんですが、Mさんは早足で30mくらい前を歩いている。
僕は、小走りに追いついて、「やぁ、きょうはどうだった?」などと話しかけました。
Mさんは「うん」とか「はぁ」とか応えていましたけれど、二人は肩を並べるわけではなくて、幅2・3mの道の右端と左端を歩いておるわけです。
夏の暑い日で、なんとも印象深い思い出です。
転校するとき、1人は僕の飼い犬を引き取って最後まで面倒を見てくれました。もう1人は女医さんになり、残るMさんはいわば初恋の人となりました。
その後、横浜に移り住んでからは、ハチャメチャな思春期と相成るわけです。
そんな中、何人かの素晴らしい女性の方々のご努力によって、幾分更生できたのではないかと思います。
先日のライブには、大学時代のクラブの後輩であったNさんがいらしてくださいました。
この方は、当時の男どもにとってはアイドルのような方で、一言でいえば健康美に輝いているような女性です。
悪い意味での色っぽさとか女性臭さがなく、爽やかなイメージの方です。
背が高く、すらっとした肢体だけではなく、この方には心の健康美がありました。
有名なお嬢様大学の出身というイメージに反して、イヤミがなく、純粋で、明るい心の持ち主で、彼女に憧れる男性達もまた、どんなに粋がっていてもやはり心の奥底に純情の火を灯したままのような連中ばかりでした。
かくいう自分もまたその一人で、そう、「憧れ」という言葉がぴったりでしょう。
強い好意を抱いてはいるのだけれど、なんとも近寄り難い気がしたものです。
彼女の前に立つと、ちょうどドラキュラが十字架を突き付けられた時のように、卑屈な自分が土になって崩れてしまうんではないかという感じがしたものです。
こういう女性というのは、昨今では希有な気がしてなりません。
どこか凛とした純粋さというものに、なかなか出会うことがありません。
こんなことを言うと、また中年の愚痴と思われてしまうかもしれませんが、僕は特に若い女性達にそれを感じます。
もちろん、深く関わる機会などありませんから、上辺だけの印象なのですが、そこにはある共通のイメージがあります。
元来、僕は女性に対する敬意にもにた観念を持っていました。
男性というのは、長い歴史がそうさせたのかも知れませんが、群をなす生き物です。
縦社会にどっぷりと浸かり、集団になると威勢が良くなるが、集団から外に出ると至って無力になる。
グレーの背広にネクタイを絞め、突出した事を侵さないよう、社会の中で四苦八苦しているモノカラーの生き物が僕の男性像でした。
一方、水平な社会の中で個性を尊重し、平和を愛するカラフルで自由な生き物というのが女性像で、もちろん観念ですけれど、女性には男性にない素晴らしさが多々あると思っていました。
ところが、昨今のヤマンバファッションといい何といい、どう考えても美意識がおかしくなっているのに、まるで右へ倣えのように同じ様な情けない格好をしている。
そのことと、彼女たちの喋り方には、ある一貫した特徴があるように思います。
「○○的にはぁ‥みたいな」という喋り方がそうです。
「私はこうだと思う」ではなく、「ワタシ的にはこうだ、みたいな」なのです。
この言い回しは、主張を間接化してインパクトを抑えています。
それとなく主張してはいるのですが、第三者的で、例え軋轢が生じてもヒラリと身を翻すことができるポジションを保っています。
言い換えれば、衝突の起こりにくい話術です。
この右へ倣えファッションと間接話法の共通点は、迎合への欲求のようなものであろうと感じます。
集団から逸脱することができない、或いはしたくないと欲するのはなぜか。
仲間はずれになるとイジメに遭うという排他的な社会や学校の風土から来ているかも知れません。
しかし、学校は学ぶ場所です。
学ぶためには、失敗と成功が必要でしょう。
ところが、失敗をしないように大人がどんどんハードルをどけていく、ケンカのないよう、取り合いをしないよう、不公平のないようにしている。
スカート捲りなんて論外です。
そういったことなかれ生活の中では問題解決の方法がなかなか学べませんから、そのまま社会に出て問題に直面し、誰も助けてくれる者がないとそこで頓挫してしまうわけです。
助け合う身方同士となる集団に迎合するか離脱するかは死活問題で、例え埋没しようとも迎合の道を選ぶ傾向にあるのではないでしょうか。
また、集団が集団としての求心力を持ち続けるためには、強い排他性を必要としますから、これもまた死活問題のように他を隔離し非難します。
昨今顕著な若者のスラングが一昔前の流行語と一線を画しているのは、次々と仲間内だけの暗号を生み出している点です。
オヤジやオバサンに悟られてたまるかといった世代差別のための符丁どころではありません。
隣のクラスには分からない、違うグループには理解できないといった、仲良しの証としての造語が氾濫する傾向にあるようです。
顧みれば、自分は中学・高校・大学と、どのグループにも属さないというスタンスを貫いてきました。
繁く付き合う親友はいつも一人で、それが数年おきに交代していったという感じです。
同級生や担任の先生からは「マイペース」と評され、どのグループとも接するが、どのグループの一員でもないと思われていました。
ウソのようですが、本当にとても勉強ができましたから、気取っているとか、人をバカにしていると言う風にも映っていたようです。
かと思うと、いわゆる不良連中にも通じていましたから、頼りになるとか、近寄りがたい、怖いというイメージもあったらしい。
イジメられるでもなく、イジメるでもなく、確かにマイペースで或る意味孤立していましたけれど、しかし実際には遊び仲間と騒ぎたかったし女の子にモテたかったのではあります。
このことは、大学時代のクラブ活動でも似たようなものでした。
Nさんいわく、「いつも周りに女の子がいた」というイメージなのだそうですが、何を見てそう感じられたのか、当人はいつも誰か相手をしてくれる人を捜してフラフラと部室に通っていたように思います。
ましてや、皆の憧れであったNさんとは滅多に口も利けない状態でした。
と、思いきや、Nさんとは2度ほどデートをさせて戴いたのだと聞かされ、眠っていたそんな記憶がフツフツと甦って来ました。
一つは、晴れた夏の日の公園で、カケッコをしたり二人で四つ葉のクローバーを探したりしました。
もう一つは、雨の日の喫茶店で、心理ゲームなんかをやって談笑したようです。
どちらのときも、夕方に駅でさよならをして帰宅しました。
Nさんいわく、「まるで中学校の教科書にでも出てきそうなデート」でしたが、これは清純なNさんへの憧れがなした技、そんな教科書デートが実に楽しく美しい思い出として甦りました。
憧れる気持ち、それはけして同種同類の仲良しのグループの間から生まれてくるものではないでしょう。
同種同類の一線を越えるエネルギーとして、我々に憧れという感情が与えられているのかも知れません。