古き良き中学生時代、学生間の勢力争いは昨今よりも古式ゆかしく、正々堂々一対一で戦う、これを「タイマン」と呼んでいました。 語源はおそらく「マン対マン」みたいなことで、カメの一種(タイマイ)やワニの一種(カイマン)とは関係ないようです。 鞄を放り、学ラン(陸軍の軍服を模した詰襟の学生服)を脱ぎ捨てて戦うのが作法で、これは武器を隠してはいない、素手で戦うのだということの意思表明でもありました。 昨今の、一人を皆でやっつけたり、妙な武器を持ち出したりというのとは、一線を画していたと思います。 少なくとも「表番長」はそうでした。 世の中、何事も表と裏があります。 表番長は人望も篤く、人気者で皆によく知れ渡っていました。 裏番長は潜伏して表舞台にはなかなか登場しませんが、登場したときは大騒ぎという存在でした。 今回の話題は、その表の方になります。 ですから、転校先の中学で表番長が同姓であることを知ったのは、転校初日やそこらであったと思います。 如何せん、些か成績の良い不遜な転校生は相当目立ったらしく、さして日を置かずに「体育館の裏へ来い」の通達が下されます。 ここで逃げては我が青春なしと感じた転校生は、大見栄切って受けて立ちました。 刻一刻と放課後が近づき、生きた心地はしません。 それを流石に不憫と感じたのでしょう、5時限目が終わると表番長が声を掛けて来ました。 「まぁ、そうカリカリするなや、いい度胸じゃねぇか」と慰めながら転校生の肩を抱き、続けてこう宣言したのです。 「今日からオマエの渾名は『ナンバーツー』だ。オレが『ナンバーワン』、オマエが『ナンバーツー』、いいな?」。 こうして中学時代、小生の名前は「ナンバーツー」に定着したのです。 歯痒い気がしないでもありませんでしたが、痛い目に遭うよりマシです。 それに、その渾名に甘んじることは、心細い転校先で自分の居場所を確保することにも役立ちました。 例えば、表番長とその一派は、ロビー外交によって生え抜きの有力候補達を次々と封じ込め、その転校生を生徒会長に就任までさせたのです。 表向きは生徒会を奉りながら、実際には八九三な学生生活を謳歌するための作戦でした。 転校生とて順風満帆、頼もしい後ろ盾を得て安定した政権を維持します。 但し、あくまでもボスは「ナンバーワン」、自分が「ナンバーツー」であることの掟を踏み外すような言動は慎み抜きました。 この「些か成績の良い不遜な転校生」は、「革新派」ないし「急進派」と見られることがあるようです。 組織にあっては、「実力者」ないし「キレ者」という色眼鏡で見られるし、実際にそういう言葉で評されることもありました。 この「キレ者」という言葉が、短気ではなく、明晰を意味しているのだとすれば、悪い気はしませんよね。 どんどんそう呼ばれたい、どんどんそうなりたい、そんな意欲を感じた頃もありました。 ただ、流石にここまでやってくると、この言葉が必ずしも肯定語ではないことに気が付くようになります。 「キレ者」というのは、或る欠点を評した言葉でもあるからです。 論語に、「君子不器」という教えがあるのだそうです。 君子(リーダー)は器(スペシャリスト)であってはならない、といった意味のようです。 キレ者がスペシャリストの一種だとすれば、こうも言い換えることができます。 「キレ者はリーダーには向かない」と。 キレ者は、自分のことはさておき、他人の愚が理解できません。 キレ者は、自分が興味深いと感じること以外、世俗的なことに興味が持てません。 キレ者は、信奉者に勝るとも劣らぬ数の、敵を創出します。 キレ者は、自他区別の罠に陥りやすく、いわば典型的な煩悩から逃れられません。 即ち、キレ者は凡夫中の凡夫、リーダーには向かないのです。 しかし、卑下ばかりする必要もないと思っています。 ニクソン時代のキッシンジャー、毛沢東時代の周恩来、中大兄皇子時代の中臣鎌足等々、腹心として活躍したキレ者だって少なくはないはず。 残念ながら見逃しましたが、以前TBS系で「THEナンバー2 〜歴史を動かした影の主役たち〜」という番組も放映されていたとのこと。 組織の中、社会の中で、あれこれと携わり、あれこれと抗い、あれこれと試してきましたが、このナンバーツーという居場所は、自分にも適しているように感じます。 ただ一つ憂いがあるとすれば、ろくなボスが見つからないことくらいでしょう。 --- 2014/5/7 Naoki |