偲ぶ宴

 2週連続、都合3人分の追悼コンサートがあり、計5バンドに出演したことになります。 久々にギターを握ったため、指先に水膨れができたり、血豆までできて、初心者もビックリするような塩梅でしたが、なんとか無事演奏をすることができました。



 3月1日に行われたのは、大学時代の音楽サークル、WFSの後輩であった根岸広君への「ありがとう会」。 現役時代に幹事長であった彼を忍んで、実に大勢の先輩、同輩、後輩達が集い、ほぼ一日中演奏をしました。 親父さんの後を継いでギターを弾いているご子息も登場。 親父さんより猛烈に速弾きで、ついでに頭の回転も速く、文字通り親子ほど歳の離れた年配達を手玉に取っていました。 一回り逞しくなったのだろうし、これからもどんどん逞しくなっていくでしょう。 根岸君が眼を細めて見守っている気がしました。


(港町悦次郎)



 3月9日には、ドラムの丸山雄一とギターの金子周平を「偲ぶ演奏会」がありました。 小さな会場を借り切っての極々内輪のコンサートで、総勢40名ほど、大半が出演者でもありました。 出演順にご紹介しておきましょう。

満願旅行団
 bisq - ボーカルとピアノ 
 山田晋也 - ボーカルと生ギター 
 宮本悦次郎 - ギターとコーラス 
 星島裕樹 - ベースとコーラス 
 いしきん - ドラムとコーラス 
 みゆき - ドラムとパーカッションとコーラス 
 デルピエ〜ロ橋本 - ギターとコーラス 

 トップバッターの 満願旅行団 は、丸山君が宮本君や小生なんかと数年間活動したバンドで、レパートリーだった「春の歌」、丸山君が必ずや気に入るであろうと用意した「チチヌマピロマ」、bisq が丸山君の他界を悼んで書いた「蝶々」、丸山君がドラムからミックスダウンまで入魂のアルバムサポートを行った「希望和平(平和の願い)」などを演奏しました。

時空兄弟
 マダムギター長見順 - ボーカルとピアノとギター 
 大津まこと - ギター 

 丸山君が スーパースランプ にいた1980年代前半、"East West" や "Light Music Contest" といった音楽コンクールでライバルバンドの サンセットキッズ にいたのが大津君。 面識がありながら、初めて丸山君と言葉を交わしたのは20世紀も終わりを告げる頃だったようです。 最後に会ったのは数年前、小生と Forestsong Trio を演ったときで、そのときは丸山君から握手を求められたと感激していた大津君。 亡くなった オレンヂチューブ の大島君から握手を求められたときのことを思い出しました。

 片や長見さんの方は、実は丸山君と会ったことはなく、なんと違う人の追悼と勘違いしてやってきたという裏話が。 けれど、来てくれて良かったと思います。 冴え渡る歌とギター、丸山君が生きていたら意気投合したこと間違いありません。 いわんやをや、彼女は早速、会場に見えていた丸山君の弟さんと意気投合していました。

かまし連発
 いっぺ - ボーカルとギター 
 デーモン閣下 - バックボーカル(?) 
 星島裕樹 - ベースとコーラス 
 石川俊介 - ベース 
 飯島一誠 - ドラム 
 デルピエ〜ロ橋本 - ギターとコーラス 

 いつも丸山君がボーカルの いっぺ に頭を痛めていた かまし連発 は、コンサートに臨むにあたり、ドラムに飯島君、ベースに星島君、そこにオリジナルメンバーである石川君を加えてツインベースに、更にバックボーカル(?)に閣下まで誘って万全の体勢を整えつつありました。 しかし、看板ギタリストであった宮本悦次郎が参加を辞退しました。 宮本君いわく、「演って自虐、演らずとも自虐。客席でかまし見つつ、こみ上げる何かとともに、丸山さん、送るほうが今の気分です」。 仕方がありません、我々は最善を尽くすことに。 結果、宮本君いわく、「今日のかましが今までで一番良かったですよ」。 きっと丸山君は「カッカッカッ!アイツラほんとバカだな!」と笑ってくれたことでしょう。

オレンヂチューブ(+全滅岬)
 大山大介 - ボーカル 
 フジタヨシコ - キーボード 
 佐藤ヤスオ - ギター 
 豊岡正志 - ベース 
 佐藤カツ - ドラム 

 オレンヂチューブ は、よりディープでジャジーなバンドだった 全滅岬 の曲も交えての演奏でした。 全身全霊キレキレの演奏が実に圧巻で、きっと丸山君は「いやぁ〜、いいんじゃないっすか?!」と喜んでくれたことでしょう。

 ボーカルの大山君は、80年代、東京ギョギョーム や リビドー で演奏している頃の丸山君のVTRを編集して来て、開演前に映写してくれました。 その丸山君の姿を誰かが「松田優作みたいね」と話しているのを耳にしました。 なにをかいわんや、顔が似ているわけでも、背丈が近いわけでもありません。 むしろ、全然違うタイプだと思います。 ただ、昨今の若者達とは若干異なるキナ臭さとでもいうか、男臭さとでもいうか、「黒さ」のようなものは確かにそうなのかもしれない。 あの頃は我々もそうだったのかもしれない、ふとそんな気がしました。

スーパースランプ(+ナマローバ)
 東畑秀一 - ボーカル 
 デーモン閣下 - ボーカルとお婆さん 
 田中詞崇 - キーボード 
 佐藤ヤスオ - ギター 
 豊岡正志 - ベースとコーラスとお嫁さん 
 小泉美雄 - ドラム 
 デルピエ〜ロ橋本 - ギターとコーラスとお爺さん 

 最後に登場する スーパースランプ に先駆け、ナマローバ というバンドの曲を演りました。 これは昔、閣下と豊岡君と丸山君と小生が結成したもので、情けない名前ですが、後にレナード衛藤がドラムを叩いていたという伝説のバンドでもあります。 その命名の経緯を閣下が詳細に覚えていて語ってくれました。 小生はすっかり忘れていたのですが、話を聞いているうちに黒いテーブルと黒いチェア、他に来客もなくがらんとしていた喫茶店の状景が甦ってきました。

 閣下と小生が下がって東畑君とヤスオ君が上がり、晴れて スーパースランプ 登場。 一足先に旅立ったスーパーギタリスト金子周平と丸山君が、共に在籍したバンドです。 何曲か演ったあと、閣下と小生も再び加わり、東畑君と閣下のツインボーカルで代表曲を奏でました。 小生もヤスオ君と実に30年ぶりのツインギターを楽しむことができました。 彼とは、スーパースランプ、オレンヂチューブ、サンセッドキッズ などの時代、スパズロ というバンドで一緒だったのです。

 各バンド演奏の合間、客席で丸山君の弟さんとお話しすることができました。 「こんなライブなら兄貴が生きているときにもっと行くべきだった」。 全く同じ感想を、かまし連発の いっぺ も伺ったと言っていました。 加えて、四十九日の法要の折、親類縁者の皆様の前で、小生の拙作エッセイ「刻時の証」を朗読されたとも伺いました。 消え入りたいほど恐縮しましたが、丸山君が生きた証のほんの一部にでも触れられたのなら、光栄なことだとも思いました。

 全てのバンド演奏が終わると、そのまま二次会に雪崩れ込みました。 やがて終電時刻が近付き、弟さんが帰宅されることになりました。 弟さんが礼を述べられ、皆が拍手や歓声で挨拶し、弟さんが会場を後にされ、扉が閉まりました。 この扉が半ばガラス戸であったため、気がついた小生と少なくとも他にもう一人(多分閣下だったと思う)が慌てて礼を返しました。 扉の外の弟さんが、身じろぎもせず、深々と、延々と、頭を下げておられたからです。 人知れぬスポットライトのような玄関灯の光と、息を詰めたように微かに流れる時間は、どちらも質量を帯びていました。

 この宴の感慨を、小生は上手く書き留めることができません。 しかし、満願旅行団でドラムを叩いた いしきん のメールを引用することで、それが可能になりました。 以下が、その抜粋です。

錚々たるメンバーの中に加えていただき、
本当に感謝しています。
当初は丸山さんのためになるならば、
という思いでやっていたつもりでした。
でも、すべてが終わって、今考えてみると、
あの楽しくて充実した貴重な時間は逆に
丸山さんからのプレゼントだったんだな〜と改めて実感しています。
本当に楽しかったです。
ありがとうございましたm(_ _)m


--- 2014/3/17 橋本

丸山雄一に、一人ひとりの思いをこめて。
(満願旅行団)

心を貫通する歌とギターに会場が酔いしれた。
(時空兄弟)

何年ぶりかの再演、バカがジャンプでやってきた!
(かまし連発)

挑発的で圧倒的なサウンドは時代を超えて健在。
(オレンヂチューブ+全滅岬)

東畑氏が心をこめて失神寸前の熱唱、悪魔の口からは怪しい光線が!
(スーパースランプ+ナマローバ)

延々と続いた二次会、異色のユニットも、、、
(左から、マダムギター、デルピエ〜ロ、デーモン)



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